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私の転職記(4)アパレルデザイナー

こんにちは。週一更新を目指しています。
何度も下書きに保存して書いてを繰り返しました。長いです。今日は私の転職記(3)の続きを書きたいと思います。

前回はこちら。

アパレルデザイナーを辞めてから10年以上の月日が経っていました。アパレルデザイナーとしての復帰の話を書くのですが、アパレルの話はほとんどありません。

この頃、娘は4年生の思春期に入り始めた頃。息子は2年生で自我が出てきた頃。
子供が大きくなって手がかからなくなった分、自分の時間が増えると思っていましたが、それは大きな間違いで、デザイナーの復帰を果たしたものの仕事と子育ての悩みに挟まれて苦しみました。
この記事は、読む人によっては不快になる人半分、共感してくれる人半分?
賛否両論になる話だと思います。ただ立場が違うだけ。そんな話です。

久しぶりのリクルートスーツ

楽天の会社を退職して、県内のアパレルの会社のデザイナーの求人をかたっぱしから受けました。ただ、県内のアパレルの会社は数件しかない。あっても、カバンの会社、ベビー用品の会社、マテリアルの会社、ぬいぐるみの会社…洋服でない会社が多かった。もう、デザイナーに戻れればなんでも!な勢いだったので全て受けましたが、結果、すべて落ちました。

アパレルの会社って出社時間、退社時間が遅い会社が多い。10時始業の19時までとか、残業込みの給料で月平均40時間残業とか普通。

落ちる理由は、私自身に問題があるとしたらそれはそれまでなんだけど、面接の感触が良くて受かると思っていた会社から、わざわざ丁寧に不採用の電話を頂けたので、不採用だった理由を聞きました。やっぱり『希望退社時刻が早い点と、子供が病気になった時に預け先がない、という点が不採用の理由で、今回は他の方を採用とさせて頂きました。ポートフォリオの出来がよかったので、もしかしたら外注という形で連絡を差し上げるかもしれませんので、もし機会がありましたらよろしくお願いします』との事でした。(機会は残念ながらなかったけれど)

同県での数少ない求人に対して、希望者が殺到している雰囲気はあったので、そもそも受かる余地はなかったんだろうなぁと、今なら思うのですが、面接で落ちるのを繰り返したので、自分に非があるのではないかと心も折れかけましたね。

無職の間は、昼間に時間ができたので、履歴書を見直したり、ポートフォリオを作り直したり、洋服の指示書を思い出しながら作成したり。
その期間は3ヶ月くらいだったと記憶していますが、子供達も学校から家に帰ると鍵が開いていて『おかえり』と言ってもらえたり、夕方、習い事の送り迎えもしてもらえるので(それまでは自転車で自分で行ってもらってました)嬉しそうでした。ちょうど夏休みに入ったのもあり、久しぶりに子供と一緒に自由研究やったり、平日にプールへ行ったり、遊びに行ったりしてました。

夏休みが明け、子供達の学校が始まったら受ける会社を都内に拡大。

都内に広げると一気に求人が増えましたが、電車通勤&遠くなるので16時には退社できるよう時短勤務の募集を探さないといけない。
時短勤務で探し始めたところ、アパレルデザイナー中心の派遣会社があったので、そこに登録をしました。それからはトントン拍子で話が進み、9時〜16時の時短勤務の派遣社員として勤め先が決まりました。

勤め先は総合商社

そこからの記憶、最初の数ヶ月はほとんどありません。

最初の面談の時に『私は長いブランクがあります。思い出すまでに時間を要するかもしれないので、最初のうちはどなたかのアシスタントや雑用でお願いできないでしょうか』と言ってみたら、その時の偉い社員さんは『わかりました。そのような部署に配属するのでご安心ください』っておっしゃってくれてたのよ。
それで少し安心してたのに、入ってみたらすぐに1つのブランドを任された。
そのブランドが実は訳アリ物件で、前任の方が急に(心が病んで)辞めてしまったようで、そのタイミングで入社した私が引き継ぎもなく、右も左もわからないまま担当になってしまいました。私、ブランクあるって言ったよ!

最初からクレームの嵐でその対応に追われました。
何が何だかわからないまま、不良品の対応や、滞ってしまっていた書類の読み解き、発注、混率の修正手続き、クレーム対応に追われた。でも、誰も助けてくんないの!!横目でチラッと見るだけ。それで過去を思い出したのよ。そうだった、思い出した。デザイナーってみんな自分を持っていて、良く言えば個性豊かで自信をもって生きている人が多い。悪く言えば他人に無関心でめちゃくちゃプライドが高い。(全ての人がそうなわけではないですが、若かった時の私ももれなくその類でした)たまに声かけてくれる方もいるんだけど、基本、みんな自分の仕事にいっぱいいっぱいで忙しすぎて、他の人に気をかける余裕がない。
私、超、放置状態。
16時までの時短って伝えてあるのに、上司からの伝達不足で誰にも知らされていないらしく、帰り間際に普通に営業さんが『今から打ち合わせできる?』と聞いてくる。

面接の時と話がちがーーーーう!!!!

私が面食らったのはillustratorスキルではなく、通常業務の方でした。
私が務めていた頃より10年以上経っている。
簡単な電話の回し方からしてすでに忘れている。昔と異なるサンプルの発注方法や、順序。昔はFAXが主流だったのが、メールとwechat(中国版LINE)に変わっていたり。リアルタイムの動画で説明しながら交渉するようになってたり、私の知っているメーカー名や付属名が時代の流れで変わってて、私の中でAとBが一致しなかったり。今と昔じゃ世界状況やインボイスの手続き方法が変わってたり、流行がわからず会議の内容についていけなかったり。
リアルな話、最初の数ヶ月で小さな円形脱毛症ができてしまいましたが、負けたくなくて必死に食らいついていきました。

入社して半年経過

だいぶ慣れてきました。業務もいろいろ思い出したり新しいことを覚えたり、少しずつ感を取り戻してきていました。
ランチを一緒に食べられるくらいの友達はできました。

慣れてきて周りを見渡せるようになって気づいたこと。
まず、子育て中の人は他にもいるって聞いていたのですが、実際は同フロアに50名ほどのデザイナーがいる中、ママとして働いていたのは私を入れて5人。育休明けで、保育園に預けている小さい子供がいるママさん3人と、うちの子より少し小さい小学生がいるママさん1人(Aさん)。
みんな保育園を延長してフルタイム勤務でした。
最初、小学生がいるデザイナーのAさんと仲良くなりましたが、話があわずフェードアウトになりました。Aさんも派遣社員でしたが、シングルマザーで子供は実家のお母さんが見てくれていました。だから夜遅くまで残業組。
時短勤務はデザイナーでは私が初でした。(そりゃ周知されないわけだ)年齢層は、20代〜50代と幅広くいましたが、私と同世代(当時30代半ば)が一番多かったです。

正直なところ、会社のフロア内は針の筵でした。

同世代だけど、20代からずっとデザイナーとして誇りをもっているデザイナー。
同世代だけど、デザイナーは退いたのに子供を産んで復帰した私。

同世代なのに環境が全く違ったせいで、お互いの苦しさを共感できませんでした。
復帰したばかりで本当に何にもできなかった(用語が一致しなくて理解ができない事が多々あった)ので、相当イライラさせてしまったんだと思うのですが、『こんな簡単なこともできないの?あなた、今まで何やってきたの?』ってリアルに言われました。私の心の中は『今まで子育てしてましたよ』です。言えなかったけど。

小学生の子供がいる悩みを共有できる人

慣れてきてからのアパレル勤務は楽しかったです。
一番大きかったのは、同じ小学生のいるデザイナー(Bさん)が同じ時短勤務として入社してきた事です。

Bさんが入社するまでは『小学生になったんだからもうお留守番できるでしょ。なんで時短なの?他のママさんはフルタイムだけど』って嫌味を言われることもありました。『あー、誰かが帰った後がマジクソ忙しいんだけど』と聞こえるように言われたり。

小学生だから確かに留守番はできる。でも自我が芽生えてるのよ。
何にも知らない小さな子供とは違うのよ。
他の家のお母さんは夕方にいるのに、『なんでうちのお母さんはいつもいないんだろう?』とか、習い事のない日は送迎がないので残業をしてしまってたんだけど、『すごく遅く帰ってくるのはなんでだろう?』とか他人と比べる場面がたくさんあったと思います。
それに小学校は、保育園と違って平日に行事があるのよ。お仕事をしている保護者に合わせたスケジュールじゃなくて、子供のスケジュールに親が合わせるのよ。それだけじゃない。PTA役員、地区役員。参観日、宿題のチェック。。。と色々忙しい。
遅くまで預かってくれる保育園とは全く違う部類の子育てである事を理解してもらえず、我慢、我慢の日々が続いてました。
そんな悩みが積み重なってきた頃に出会ったのがBさんです。
同じ派遣会社だったので、境遇も似てて悩みを共有できて少し楽になりました。

入社してから初めての夏休みは、学校がなく夜も日が長くなったのでほぼ毎日残業していました。この頃はデザイナーの感が戻ってきて、仕事してるー!って感じで楽しくなってきてました。
子供に一日中お留守番はかわいそうだなぁと、夏休みの思い出作りに夕方から子供達だけで電車に乗って都内に来させて待ち合わせ、夜景を見に行ったり東京ドームに野球を見に行ったり、日本橋の金魚アクアリウムに連れて行ったり、上野の動物園行ってアメ横で焼き鳥食べて帰ったり。
毎日疲れてたけど、仕事と育児の両立、すっごく頑張ってましたね。
今振り返ると、頑張り過ぎていたと思います。

反抗期?思春期?

Bさんと私の境遇は似ていた。あんまり手伝ってくれない旦那と頼れない実家。
それでもデザイナーに戻りたくて時短で復帰した。子供の年齢もほぼ一緒で悩みも似ていた。

そんなBさん。
突然会社に来なくなった。正確には来れなくなった。
息子さん(当時小4だったと思う)が、最初はアデノウィルスにかかったとかで1週間お休みしていた。その後1回だけ出社したが、その後にまた連休した。
2週間ほど休んでまた出社してきたので事情を聞いてみたら、最近、息子さんが不登校気味になっちゃって、と。会社もこれ以上は休めないから、遠方のお母さんに無理言って来てもらったとの事。

息子さんが不登校と聞いて、私も最近の娘の話をした。
実はうちの娘も最近ものすごく荒れていて悩んでいた。原因はすべて私。
疲れていた私は物忘れがひどくなっていた。学校からもらったプリント物をうっかり捨ててしまったり、提出物を準備するのを忘れてしまったり、約束を忘れてしまったり。多忙すぎて家のことに手が回らなくなっていた。そんな私にものすごい勢いで反抗してきた娘。手が出てしまった時もある。自分自身がキャパオーバーしてきてるなと実感していることを話した。Bさんも同じだった。

Bさんが休み続けている間、Bさんの仕事は誰も手をつけず机の上に溜まってしまっていた。それで困った営業さんが他のデザイナーにお願いをするんだけど、みんなが自分の仕事に手がいっぱいでそれどころではない。
Bさんが不在の間はBさんの悪口大会になっていた。

『インフルだかなんだか知らないけど、そんなに休むもん?』
『もう大きいんだから留守番させればいいじゃん。小学生でしょ?』
『毎日時短で早く帰れていいよね〜。だからうちらの打ち合わせの開始が遅くなるんだよ。昨日なんて19時から打ち合わせだよ!(時短優先の人が先に打ち合わせがあるから後回しになってた)』

いつも自分に言われているみたいで居心地悪かった。っていうか、たぶん私が帰った後も悪口言われてるんだろうなとも推測できた。
帰る時間が基本絶対なので、頑張って終わらせようとするんだけど毎日終わらない。誰かにお願いして帰らないと、誰も引き受けてもらえないまま次の日を迎え、また終わらない。通常業務のデザイナーが毎日22時までやっている業務を、16時までに終わらせるって方が無理だ。

私とBさんはかなり際どい立ち位置で、とても肩身の狭い思いをしていました。
理解されない職場ってつらい。

ある日、Bさんの席に他の新しい人が来て座ってた。
Bさんは静かに会社を辞めていた。
その後、Bさんの担当していたブランドは、新しく入って人が出来る人だったので円滑に回りはじめてた。営業さんも時短という事に気を使わなくて良くなったからか、やりやすそうに見えた。

私って、会社にとってデメリットでしかないんじゃないかな。

娘じゃなくて

2学期に学校で三者面談があった。
会社を休んで学校へ。まず先に娘。
娘の家での暴言が酷かったので、学校ではどうなのかが気になっていた。娘の友達のママさんに聞いても、悪いことは聞かないけれど心配だった。だが、三者面談では『学校ではとても頑張り屋さんで暴言なんてないですよ。もう高学年ですからね。反抗期もあるでしょうし、家で思いっきり反抗しているのでしたらまっすぐに成長している証拠ですよ。自信持ってママも頑張ってください』って逆に励まされてしまった。本当?家ではすごいんですけど。毎日喧嘩なんですけど。
負けそうなんですけど。めげそう。

次に息子のクラスへ。息子の方は全くノーマークだった。のびのびと優しい子に育っていると安心していた。
息子の担任の先生は、淡々と息子の授業の様子や成績の事、そして息子に悩み事がないか等を聞いて、普通に面談が終わった。帰り際、先生が息子に気づかれないように私を呼び止めて、『今日の夕方に家にお電話させてもらってもよろしいでしょうか?息子君の件でちょっとお話しをしたいことがあります』と言われた。
何だろう。

昇降口で、息子の幼稚園からの友達のママに会って、夕方に先生が電話するって言われちゃったよって話をしたら、急に渋い顔になった。

『…実はね、学校での息子君の話をうちの子に聞いててちょっと心配してたの。家では変わらない? 息子君、結構夜遅くまで外にいることあるよ。心配で声かけたら帰ったことがあって、言おうかどうしようか迷ってたんだけど、余計なお節介だと思われたらと思って連絡できなくて。今日会って伝えられてよかった。』

えぇぇぇ???

基本、夕方からは娘と一緒にいるんだけど、確かに週に2回、娘は習い事で不在の曜日がある。急に胸騒ぎがし始めて、買い物をさっさと終わらせて帰宅しました。

息子の担任の先生からの電話

19時頃かな、電話きたの。
要略すると、今まではそんなことなかったのに、ここ最近の行動が荒れていること。まず、忘れ物が激しすぎること。人に意地悪をしたりというのはないが、物に当たって壁を蹴ったり、自分の定規や鉛筆をバキバキに折った事。その事に関して先生も怒って、家に電話するから親御さんに伝えてねって息子に言って夜に家に電話したら『まだお母さんは帰ってきていません』って息子が出て、私に直接伝えられなかった事。

家では全くそんなそぶりを見せる事なく、お母さんが疲れてるからって率先してお手伝いをしてくれたり、娘と大喧嘩した後も慰めてくれたり、とてもいい子だったので全く気づかなかった。母親失格。

家でいつも怒って喚いている姉。いつも疲れている母。夜遅くに帰る父。相談もできないよね。いつも気を使ってくれていたんだね。
家でいい子で外で問題児は危ないです。外で鬱憤を発散してます。
SOSを出していたのは息子の方でした。本当、母親失格。

ちょうどその時期が、野球でも気持ちが落ちこんでしまっていた時期なんです。
全てが繋がってるの。
息子と野球を辞めようって2人で大泣きした日があったんだけど、息子に自分を重ねてました。

会社を辞める事にした

子供の事、自分の仕事の事を毎日考えてたある日、私の携わった商品が大クレームになった。クレーム対応に追われてたが、そんな時に娘がインフルエンザになった。申し訳ない気持ちで会社を7日間休む。
その後1日だけ会社に行ったが、その次の日から息子が発熱した。もちろんインフルエンザ。また7日間休む。月の半分会社に行けていない。

その間、家で何度も携帯が鳴る。これはどーなってるんだ。あの書類はどこだ。電話での対応には限界がある。
旦那に1日だけでも会社を休んでもらえないかと懇願したけどダメだった。
この事で旦那とも大喧嘩したけど、一回も有給で休みをとってくれることはなかった。この件に関しては正直、今でも恨んでます。

久しぶりに会社に行ったら、もう、私の居場所はなかった。

会社を辞める決意が固まった。
会社というより、ファッションデザイナーを、かな。
アパレルの会社なんて狭い業界なので、転職したとしても噂はすぐに広まる。
どこの会社にいたというだけで、『あ、その会社に〇〇さんっていなかった?友達なの』ってすぐにつながる業界だ。
そしてほとんどが関東圏内だと都内に集中してる。どこに転職しても距離が遠くて時短になるのは同じだ。
すごくやりがいのある仕事だし、大好きな業界だけど、実際のところ他のデザイナーや営業のお荷物になってる。私が辞めて他のいい人が入った方が円滑になるであろうことはBさんが辞めた後を見たので知ってる。

私の代わりはたくさんいる。
子供達にとって私の代わりは他にいない。

派遣担当の人との面談で、もう限界だから辞めますって話をした。
普通だったら、辞める理由を聞いてきたり引き止めたりするんだろうけど、そういうのは一切なくすぐに手続きが始まった。たぶん、会社側からすでにこういう状況ですって伝えられていたんじゃないかと思っています。辞めるとこちらから言わなくても、部署異動かクビだったんじゃないかなって感じてます。だって、次のデザイナーが決まるの、超早かったもん。

それから1ヶ月後、会社を、ファッションデザイナーを辞めた。

会社を辞めた後

子供達のケアに集中しようと思って特に何にもしなかった。
普通のお母さんと同じく、娘の習い事の送り迎えをして、息子の宿題に付き合う。
週の半分だった惣菜弁当の日が減り、毎日きちんとご飯を作って一緒に食べる。
日中は、雑草が伸び切って蜘蛛の巣だらけになっていた庭の手入れをする。
私自身も相当無理をしていたんだろう。
会社を辞める最後の方は毎日耳鳴りがしていたんだけど、耳鳴りがやんだ。物忘れも落ち着き、全員のスケジュールもきちんと把握した。
娘も憑き物が落ちたように優しくなり、暴言を吐く事がなくなった。
息子も野球を辞めて吹奏楽を始め、学校でもだいぶ落ち着いたと連絡をもらった。

この静かな主婦生活が続くと、やっぱり私も物足りない。
私は専業主婦は無理みたい。
次の仕事どうしようかなぁ?って思っていた時に娘が『そろそろ仕事がしたいんじゃない?別にしてもいいよ』って言ってくれた。

この半年後くらいにはまたパートで働き始めるんだけど、この時に辞めたのは後悔を全くしていないし、間違ってなかったと思ってます。
むしろ、このタイミングで辞めてなかったら家族崩壊に向かっていたと思う。
あの時、正直に話してくれた息子のママ友や、息子を見守ってくれていた担任の先生にとっても感謝しています。このママ友とは、今でも仲良くしてるし(前回一緒にスケート行った人)、当時の担任の先生は息子が6年生の時も再び担任をしてくれて、息子をものすごく良い方向へ伸ばしてくれた恩師です。

また、アパレル会社に入った時に一番最初に仲が良くなったAさん(同じ小学生のいるシングルママさん)は派遣期間が終了し、そのまま正社員になりました。
Bさんは、辞めてから一回だけ会ってご飯を食べたきり、連絡をとっていないのでわかりません。
Bさんと、ランチの時に話して気づいたんだけど、小学生のいるママさんがいない理由。もしかしたら保育園までは大丈夫だったけど、小学生に上がってからの方が大変でみんな辞めてるからなんじゃない?って思いました。
なるほどね。確かにね。

人生、一期一会。山あり谷ありだよね。

この次の職場は雑貨デザインのパートになります。
が、今の職場ではありません。今の会社の前の会社になります。
私の転職記、もう少しだけお付き合いください。最後まで読んでいただきありがとうございました。


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