春は少年野球を思い出す(3)
最初にネタバレをしてしまいます。
息子は小学4年生の秋の大会を最後に少年野球を辞めました。
我が家としては前向きな退団だったのだけど、他の人から見たら『逃げ』だったのかもしれない。
辞めた時の感情や、前向きに辞めると決めた時のことを、思い出しては書き、書いては消してを繰り返してるうちに、更新が滞ってしまいました。
何を書いても『辞めた言い訳』をつらつらを書いているようになってしまって、その時の感情をうまく言葉にできないな。
どこからどう書いたらいいんだろう。
文章にするって難しい。。
長くなってしまったので、目次作りました。
高学年チームとの同行が始まる
たまたまなんだけど、息子の一つ上の学年は人数が2人しかいなかった。
チームを組むにはレギュラー8人+補欠が必要だった。
春・夏の大会を迎えるにあたり、上級生チームの人数が足りないので4年生の上手い子数人が高学年と同行するようになった。
午前中は低学年チームで練習。
午後は高学年チームで試合に同行する。
下手な息子は当然、午前中で終わるのだが、同行組はそのままお弁当を食べて上級生との練習場に行く。
同じ4年生でも、野球が好きな子は喜んで同行していた。
でも全員じゃない。中には午後はまだ遊びたい子もいた。A君。
午前中の練習が終わって、息子は相変わらず下級生と遊んでいた。
A君の苛立ちは増していたんだと思う。
午後は自由な息子がずるいと思ったんだと思う。
息子へのあたりが強くなっていた。
そして、同行組は上級生と練習する分、どんどん上手くなり差が開いていった。
4年生の行動が分かれてしまったので、当然同行組の保護者の負担が増える。
毎週、低学年の練習場所から高学年の練習場所に移動しなくてはならない。
監督達の中では、まだ半年早いけど4年生全員を上級生チームに上げてしまった方が良いんじゃないか、という話になっていた。
複雑になってしまっていた配車当番や道具車当番も、4年全員上級生チームに加わった方が親の負担も減るし、実力に差も開かず、4年生も上達する(A君のような不満もなくなる)と監督達の中ではほぼ決定していた。
話を聞いた時、息子は大丈夫かな?って少し思った。
今でさえ、練習後の楽しみをメインに野球に行っている感じだ。
夏にめっきり弱い息子。午前中だけでもグラウンドに立っているだけで精一杯なのに、丸一日耐えられるのかな。
私の不安をよそに話は進み、4年生全員の上級生チームへの移行が決定となった。これから毎週土日は弁当持って、丸一日練習が始まる。
これは4年生の8月の話。
丸一日の練習が始まった
あたりまえだけど、上級生チームに入ると練習内容が全く違う。
キャッチボールの距離、ランニングの距離、短距離の長さも低学年より長くなる。試合も投げて打って取る、だけの野球じゃなく、監督の指示をみる、状況を読んで動く、頭を使う野球に変わる。
すでに上級生チームに同行していた組は普通にこなしていた。
これまで同行していなかった息子以外の子も、経験が浅かっただけで下手ではないので、むしろ練習が高度になった事で楽しくなっていた。
ただ、息子だけがいつも渋い顔をしていた。
監督の指示の意味がわからず、意味不明な行動になっていて、その度に怒られる。
丸一日練習が始まって1ヶ月も経っていないのに、息子が土日になると暗くなっていった。明るくてひょうきんで、人を笑わせる事が得意な子なのに、どんどん暗くなっていった。
下級生チームでは、キャッチボールの相手はいつも仲の良い下級生だった。
上級生チームでは息子以外で極端な下手っぴはいない。
相手のキャッチーボールの球が速い。そして息子は届かない。
キャッチボールの相手が嫌そうな顔をする。
ある練習試合があった。
ベンチで応援しながら、ボールボーイやバットひきをやっていたのだが、A君から『とろいんだよ!』『のろま!』『何やってんだよ!』『早くしろよ』と怒号を浴びていた。それでも一生懸命に声を上げて応援していたけど、唯一の取り柄の息子の明るさは、ここではKYでしかなかった。
『お弁当の時だけ調子のいい、ふざけた奴』ってレッテルが貼られた。
少しだけライトに出してもらった事があった。
得意な(得意になったはずの)フライが息子めがけて飛んできた。
低学年の時みたいにかっこいいところを見せたかったんだと思う。
でも速さが全く異なる球が飛んできて、顔面に直撃した。
鼻血ブーでぶっ倒れて試合は一時中断。せっかく出れた試合は、そのまま一回も打席に立つことなく終わった。
その後も何回かは出る機会をもらったんだけど、炎天下の中、全く集中力がなくて、親の目から見ても危なっかしかった。練習中も熱中症に近い状態で何度も倒れて木陰で休む。明らかにチームのお荷物になっていた。
暑くても頑張ってるA君はそんな息子を許せなかったんだろう。
『どうせ仮病だよ、仮病!』と言った。
平日も暗くなっていく息子
野球を辞めさせた方がいいかもしれない、って考えはじめたのもこの頃。
4年生の夏から秋の2ヶ月間は私にとっても息子にとってもかなり濃密だった。
9月。
低学年チームでの最後の秋の大会が始まった。
4年生全員、高学年に同行してはいたが、まだ低学年チームに在籍しているので、4年生だけ高学年の試合も、低学年の試合も出なくてはならない。
ある日、私が配車当番だったので、4年生の息子と他、下級生の子達を車に乗せたのでこっそり話を聞いていた。
まだ上級生チームに入っていない下級生の子達は、無邪気に『上級生チームに入ったらどこ守りたい?』って話をしていた。
息子が『俺は…』って言いかけた時に『何言ってんだよ!お前はベンチだろ!』『万年ベンチ~』って馬鹿にしていた。
息子はその後はずっと黙っていた。陽気で話好きな息子がずっと黙っていた。
息子をいじっているのはA君だけかと思っていたのだが、気になって、その後もよくよく観察をしてたら、息子を馬鹿にするのがチーム内で蔓延していた。
息子の顔は相変わらず暗かった。
根本的に違っていた事
低学年の野球と高学年の野球。
野球というスポーツを覚えるための遊びの延長だったのが、本格的なスポーツに変わっていく。みんな勝ちたくなる。
運動が得意な子(野球が好きな子は特に)はスポンジのように上達し吸収していく。入団の時期なんて全く関係なくなっていた。
息子の方が先に野球を始めていたはずなのに、後から入った同級生や下級生にいとも簡単に抜かされていく。
例をあげるとすると、息子は練習してもなかなかスライディングができなかった。
よく体育館を借りて、野球の友人にも付き合ってもらって練習したりしてた。
練習すればいつかは出来るようになると思ってた。
でも出来なかった。
入団して1ヶ月も経っていない子が、練習試合であっさりとスライディングをやったのを見た時、『あぁ、運動センスってもんがやっぱりあるよなぁ』と、息子も私もなんとも言えない悲しい気持ちになったのを覚えてる。
野球に興味を持ってもらおうと、友人に勧められた野球ゲームを与えてみたり、プロ野球を見に行ったりしたのだけど、ゲームはスマッシュブラザースの方が好きだし、プロ野球を見に行けば、応援やブラスバンドの方ばかり見ていた。
打てば嬉しいし、応援するのは楽しかったけど、野球の試合に興味がなかった。
根本的に違う。
最初からこうなる事は決まっていたのかもしれない。
辞めると決断した日
内容は端折るが、ある野球の試合で、息子が深く傷ついた出来事があった。
それは、誰のせいでもなく、罵倒されたわけでもなく、ただ、仕方のない事だったんだけど、悔しくて情けなくて、私も息子もボロボロ泣いた。
『俺、本当にダメだ。こんな奴、誰も好きにならない』
ってたった10歳の男の子が私に言った。
落ち着かせるためにマクドナルドに寄って、美味しいのを食べて2人で話した。
私は言った。
『野球、やめよっか。辞めても悪いってことは全くないんだよ』
最初は、辞めることを嫌がった。
またみんなに馬鹿にされる。逃げたと思われる事が嫌だったみたい。
でも、そんなことは言ってられない。
小学校卒業まで2年もある。2年間、こんな状況で続けられるとは思えない。
何よりも、息子自身が暗くなって自己否定が始まってる。
そんなこと全くないのに。
この先2年も続けたら、今後の人生に影響が出る。
世の中野球が全てじゃないのだ。
残念だけど、野球は息子のフィールドではない。
残り1ヶ月は本気でやりきった
実力がなくても、試合に出られなくても、本人が野球が好きで、練習が好きだったら辞めずに6年生までやらせていたと思う。
野球が好きな子だったら、ベンチにいてもスコアとったり、仲間を応援したり、自分もいつかは試合に出るぞという気持ちで楽しめていたと思う。
残念ながら、息子は違っていたというだけだ。
監督に辞めることを告げた。
辞めるという相談ではない。もう決定したことですと伝えた。
後は辞める時期を決めるだけなんですと伝えた。
ものすごくお世話になった監督なので、本当に心苦しかったし、引き止めてくれたけど、私達の気持ちがもう決まっていると理解をしてくれたので良かった。
4年生は、秋の低学年の試合が終了したら、すぐ正式に上級生チームなる。
秋の大会が終了したら息子は退団する事になった。
今、大会の真っ最中だから、終わるまで子供達には伝えないでほしいと頼まれた。
そのくらいは聞いた。
保護者の方々には伝えたが、子供達は知らずに秋の大会をやり切った。
息子がその大会で特別優遇していただけたのは監督の花向け(笑)
選手綱領もやらせていただいた。
本当に本当に、当時の監督には感謝しかない。
息子は1ヶ月、本当にやりきりました。
終わりの時期が見えると頑張れるもので、久しぶりに明るい笑顔になった。
この時期の感情は言い表せないくらい、とても切なくて少し苦しい。
辞める日
大会が全部終わったのが10月の半ばだった。
監督から息子を呼んで、みんなの前で10月いっぱいで息子が退団する事を話ししてくれた。そして4年生も10月までは低学年チームにいるけど、11月からは上級生チームに加わる事を話ししてくれた。
息子が野球をするのは、最後の土日のあと2回。
雨が降らなくて良かった。
少ない時間で色紙を作ってもらっちゃって、本当にありがとうございました。
この場をお借りして、当時の監督や保護者の方々にお礼を言います。
辞める事に理解をしてくれて、本当にありがとうございました。
最後の日は、普通にいつもの練習をこなして、ちょっとだけミニゲームをやって終わりました。中学校区が同じだから、今違う小学校の仲間も一緒の中学校になるので、本当のお別れではない。
またね。
ありがとう。
ただ、最後にA君は、息子の前に来て、目に涙を溜めて言いました。
『裏切りもの!』
みんなの気持ちを代弁してくれたような感じでグサッときました。
最後の最後の心のしこり。
私も息子も、この言葉は胸に刺さり、しばらくは棘のように刺さったまま取れませんでした。
(4)へ続く
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