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怖いのはやりたいこと

子どもの頃のイヤな出来事も、時が経つと忘れていくけれど、しっかりと自分の中には残っていて、しっかりと影響を受けて、無意識に行動してる。

忌み嫌ってることとか、怖くて出来ないと思っていることには、そんな痛みを忘れたはずの子ども時代の出来事でできた自分の思い込みが隠れてる。

「これをしたから、こんな目に遭ったんだ」ってショックを受け、絶対に同じ目に遭ってなるものか!って避けようとしてきた結果、怖いと思い込んでいるかもしれないから。

だから、
何をやりたいのか、わからない時、
なんだか息苦しい(生き苦しい?)んだけど、どうして苦しいのか分からない時、
自分が恐れること、バカにしてたことをやってみる、のは有効です。

恐れさえ無くなれば、自分の行動範囲がぐんと広がり、本当はやりたいって思っていたけど、無意識に封印していたことにもトライできるようになります。

わたしにとっての恐怖は、"晒し者"。

それは、小学校の運動会だった。
徒競走はいつも最前列で、1番最初に走らされた。
足が遅い順に5人で競い、だんだん足が速い子たちのレースになる。
もう、晒し者の気分だった。

わたしはいつも、その中でもビリ争いをしていた。
もう嫌で嫌で仕方なくて、だからといって、一長一短で足が速くなるとも思えないし、やる気もなかった。

わたしは生まれてすぐに、へその緒が足に絡まったせいで、右足が切断の危機に陥っていた。
でも、すぐに手術をしたおかげで、手術痕が残ったものの、人並みに足を使える。血の通いが悪いけれど、何も問題なかった。それを足が遅い理由にする気もなかった。

そして、わたしの学年にはもう一人、足を手術していた女の子がいた。
その子は思うように足を動かせないものの、みんなと一緒に体育の授業に参加し、もちろん徒競走にも参加していた。

そんなある年。
わたしはその子に負けた。
ビリはいい。
わたしが堪えたのは、学校全体が彼女に拍手喝さいし、喜んでいたこと。
すっごく惨めだった。
わたしの立場はどうなる。
彼女が努力しているのも知っていたし、懸命に走っているのも知っていた。
本当にいい子なのもわかってる。
だけど。
わたしだって一生懸命に走った。
だけど、負けた。
しかも、わたしは足に障害が残っていない。
それなのに、負けた。
学校中が誰もわたしには気遣ってくれない。
この惨めさはなんだろう。
ダシに使われた気分だったと思う。
彼女のお膳立て。
本当に言葉が悪いけれども。

"わたしはダシに使われる"
"わたしは晒し者にされる"

これが、わたしにできた思い込み。
記憶を遡ると、幼稚園くらいからあったかもしれない、思い込み。

こんな思い込みがわたしの中にあったから、今までを振り返ると、似たような出来事を引き寄せてるし、そういう出来事ばかりが記憶に残っている。
だから、余計に思い込みが強化されてきたんじゃないかと思う。

例えば、
会社の研修で、電話応対の研修があった時。
わたしだけ滑舌が悪いって何度も何度もフレーズを言うことになった。
その間、みんなは黙って聞いてる。
もう、わたしの中は小学校時代に戻って、全身の毛が逆立ち、もう逃げ出したくて仕方なかった。

わたしの知り合いを友だちに紹介したら、友だちの方が仲良くなり、なんだか良い仕事をもらってた、とか。
ダシに使われたって思う例のひとつ。

逆に、晒し者にならないようにしようとするから、必死にボロが出ないように取りつくろうとしたし、他の人が晒し者になってくれるようにしたりしたと思う。
すべては保身のため。

この思い込みがない人から見れば、何ともない出来事ばかりだと思う。
友だちが良い仕事をもらうなんて喜ばしいじゃんって。
自分が満たされてない上に、思い込みに囚われてるから、友だちと言えど、心から祝福できなかったんだ。

よし、晒し者になろう。
というか、晒し者になりそうと思うことをやって、晒し者にはならないことを体感しよう。

あえて、体を使い、指をさらけ出すことをしようとした。
興味があったけど、自分は無理と思っていたリラクゼーションの仕事の研修を受けに行った。
結果は、もうすごく辛かった。
やっぱり周りのようには出来ないし、落ちこぼれだった。

でも、大事だったのは、
落ちこぼれだからって、周りの誰もがわたしと対等に接してくれたことだった。
人とは違う、自分の両手を人にさらけ出す恐怖を抱えていたけれど、誰彼なく練習に親身につきあってくれた。
決して、晒し者にはならなかった。

そして、別の気づきもあった。
ただ、運動が嫌いなだけだったんじゃない?
足が速い子も才能もあるだろうけれど、小さい頃から走るのが好きで、よく外で遊んでいたからかもしれない。
ずっと家で遊んでいたわたしと差ができるのは当然。
好きじゃないから練習しなかった、だけ。
人より劣るにはならないんだ。

晒し者、という自分の思い込みのレッテルを外すトライは、この研修の後も続くけれど、一歩一歩と思い込みを崩していく感じでした。

友だちに愚痴って終わるような出来事の裏側に、自分の思い込みが隠れてる。
何より、自分の中にどんな思い込みがあるかを知っていると、無意識にとった行動や味わった感情の原因が分かるから、楽になります。

Spiritual Anatomy®のプラクティショナーとして活動中です。東京、神奈川で対面セッションを行っています。セッションのお問い合わせは、下記までお願いいたします。
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