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自分のダメさを知る

色々、日々、過ごす中で

己の無力さとダメさと傲慢さや醜さと向き合わざるを得ず、それにより気づくことがあります。

大体は自分への卑怯な言い訳だったり怠慢が元になっているのですが、また同時にその反対のものも見えてくるのです。

どんな考えが自分を追い詰め病ませバーンアウトさせ、ひいては他者にまで、いや一番は結局のところ自身に悪影響を及ぼすのか。

何を許しがたく何を理想としているのか。
強迫観念なのか潔癖か、いやこれこそ正に心に灰色に痣のように繰り返し浮かび上がる不寛容の烙印ではないか?

嫌われる前に、その恐れから嫌いになってはいないだろうか。
いや、やはりこれだけは引っかかるから看過できなかったのだーという事実の再確認と、重なる自己弁護。


最悪な育ちで何にでも罪悪感を覚えてしまう癖を引きずりながらも、またすこし違ってきた冷静さでもあるのです。

これらは人とフラットに関わった後いくらか時間をおいて、むくむくともたげてくるいくつかの軽い内省から生じます。
心が頑なでないときに、ほどけてきた一人の静かな、素直な時間にやってくるのかもしれません。


素直なことはおそらく私の一番の長所です。
自分に嘘をつかないことは、本当に良いことですよ。

少しなら、小さいことならいいんですけどあまり長期間つきたくもない嘘をやり続けますと、待っているのは病気だけです。


この緩やかながらけっこう追い込みの激しい内省は、メンヘラを極めし時代の

電話し終わった直後に自分の脳内だけでしっちゃかめっちゃかに繰り広げられる

「怒涛の『あれ言わなきゃよかった』反省会」by 元・病み友

後悔やら自罰ばかりしてちっとも先に進めない何も手につかない、大概相手は気にもしていない、という例のアレ、とは少し違うんですね。

どこから「これ」がきて、自分を相手を守ったり癒したりするにはどうしようか、どうやって許していこうか、前に進もうか。

という、後悔でありながら前向きな反省なのです。

ネガティブorポジティブはこの際問題ではありません。

たぶん一応健康なら2週間くらいネガティブでも、寝てお風呂に入っていれば大丈夫です。

結局のところ、誰にもそんなに厳しくせずやれることをやっていくしかない、意外と振り返ると大したことのない選択をし続けるしかない、

どんなに切羽詰まった状況でも、それが当たり前なのですが

時間が解決する時もある、薬やお酒に一時的に頼るのもありだし

何でも学びで成長にできるのが人の素晴らしいところです。

ただ、このようなあんまりな、ど正論や綺麗事は特に辛い時にはよろしくなくて

綺麗なものには癒されたいけれども誰も…

それが真実だとしてもいま、目の前で苦しんでいる人に、

「虐待されたり学校でみんなに虐められたりパートナーに浮気や不倫をされたとしても、大切な人が今重い病気なのもあなたが全部選んできたんですよ。あなたの人生の課題なのですよ。全て因果応報です。」

とか平然と言えるほど、人間味のない人になりたくはありません。

それがほんとうだったとしても。

そんな有難いお言葉を受け入れられるまでの回復や安定(というか悟り?)を成し遂げている偉大なお方ならば、その境地に自然と辿り着くのでしょう。

或いは120歳まで生きれば、誰しも可能かもしれません。

それか何もかもどうでも良くなる違う意味での賢者タイムが、たまに私にも訪れるので、そういう時だけは受け入れたような気になれる、のかも。


人を励ましたり、アドバイスしたり、共感したりするのは好きです。

でもそれより好きなのは目の前にいる人を、少しでも笑顔にすることです。

感動させたい、っていうのは個人的には意図してやるものではないと思うので副次的です。

笑顔や美しい音楽は時折お薬のように心身に効いて、なんの副作用も、痛みもありません。

人を導くとか、助けるとか、人生を変える!とかは私には仕事にするのは無理ではないかと思います。

これももちろん自信のなさで、素直な気持ちであり、また、お金を稼ぐのが苦手なことへの言い訳、なのかもしれません。


おわり。


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