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#13 蘭の君

 台湾戻ってDAY 3。やっと晴れた。窓からのぞく青空がうれしい。私の部屋の机は窓のすぐ前、ベランダ向きに置かれていて、風水とかインテリアの本では「気が散るのでこの位置に机を置くのはNG!」とされている配置そのもので、たしかにものすごく気が散る。母は植物好きで、ベランダは大小様々な鉢植えで埋め尽くされている。パソコンの画面から目線を少しずらせば、月桃、シダ、ブーゲンビリア、木立性ベゴニア、ハイビスカス。あとは名前がわからない。鳥の鳴き声がして、工事の音がして、水をやる音がして、マンションの1階のおばさんの声がする。通りを通っていく誰かに「都是你害的!」、全部お前のせいだ!、とおばさんは腹から声をあげて、言われた方の人は歩きながらおばさんに言い返しているのか、言い返す声だけがだんだん遠くなっていく。

 タイピングしていると目線の端の方がチラチラする。シダの向こう側に白いちょうちょが来ている。窓のすぐそこに、ハチが来ている。月曜、日本から帰ってきてまず部屋の窓を開けると、少しバニラみたいな甘くて濃厚な匂いがした。誰かの洗濯物の柔軟剤か何かの匂いかと思って、ちょっと鼻につくな、と思っていたけど、どうやらこの目の前で咲いているたくさんの小さな白い花だ。そうわかればもう鼻につくこともない。ハチは全長2cmくらいのと、1cm弱の小さいのと、よく見ると全部で5、6匹、忙しそうにしている。
 「こんなの植えた覚えないのにね。何かわからない。鳥のうんこが運んできた。」
 と母が言っていた花、というか、前に来た時は赤い実で、鳥たちがよく食べに来て(うんこするくらいだから)その鳥を捕まえてみたい愛之助が窓のすみっこでじっと構えていた。

 この間台湾で買った新しいiPhoneに、植物の写真を撮ると名前を教えてくれる機能があるというのを思い出し、ベランダに出た。SiriはAI界の「老前輩」だというWeb記事を見かけたとこだけど、Siriもまだまだよく働いてくれている。どう撮ったら老前輩にもわかりやすいか、いいアングルを探していると、
 「阿姨妳種這個好厲害喔、ってこの間、蘭君に言われちゃって」
 と、水やり中の母がうれしそうに私の方へ来る。


 はとこの蘭君は、お父さんが外省人で、お父さんの影響もあるのか、蘭君は漢方とか中医学とかそういうものに興味を持っていてとても詳しい。私と同世代か上の世代の周りのタイヤルで、漢方とか仏教みたいな、難しくてよくわからない漢字がいっぱい出てくるようなやつに興味を持つ人はほとんどいない。いるとしたら、父親か母親かおじいちゃんおばあちゃんが外省人、もしくは本省人、あとは私みたいな日本人MIXのパターンか。外省人である蘭君のお父さんは、私たちとは顔つきも体つきも全然違って、色が白くて姿勢が良くて、声も周波数から違うような感じで、中国から来た中国人なんだからある程度当たり前なんだろうけど、中国語の発音がいちいち全て正しく美しい人だった。彼にも出身地方の訛りみたいなのがあったのかもしれないけど、訛ってたって中国で中国語で子々孫々生きてきた中国人の中国語の訛りなのだから、タイヤルの中国語が原住民訛りだというのとは訳がちがう。子どもだった私の目にも、彼一人、家族の中で違う空気をまとっているように見えて、口から出てくる言葉は全て故事成語みたいに聞こえて、私の知る中で一番字が綺麗だった。私の知る中というのは、幼稚園の先生とか、レストランのメニュー、母が買い物に行くお店の値札なんかと比べているわけで、自分の家族については、大人にしても子どもにしても、家の中で誰かが字を書いてるところなんてまず見たことがないのだから比べるも何もなかった。それでも、蘭君のお父さんの書く字はこの世で抜群に綺麗な字だというのは一目瞭然でわかった。

 国民党政府と一緒に台湾へ渡ってきた蘭君のお父さんは公務員で、どれだけ長く台湾の山奥で仕事をし、タイヤルたちに囲まれて住んでいても、中国語をはじめとした彼の「中国」が崩れるなんてことは、彼に限ってありえないようだった。タイヤル語を話したり、覚えようとしたりなどはほとんどなかったと思う。蘭君のお父さんが私のことを「エリチャン」と呼んで手招きするたび、私は、自分の名前は彼の中国語の美の中には存在しない音の羅列なんだというのをひしひし感じた。一生懸命呼んでくれて、呼ぶだけで苦労させてしまって、そんな名前を呼ばせてしまってなんだか申し訳ないというような気持ちがいつもうっすらあった。他のいとこたちのことはみんな中国語の名前で呼んでいて、私のことも「惠理」と中国語で呼べばいいのに、家族みんなが私をエリチャンと呼ぶからか、みんなと全く同じではない発音だけども、それでも私をエリチャンと呼んで、それは彼なりに、海を渡り台湾でできた家族のみんなと親しくありたかったり、その家族に生まれた小さな私へあたたかい愛情を注ぎたかったり、そういうジェスチャーのひとつだったのだろう。でもその中には常に、彼の中から離れることのない中国という故郷が、彼の苦労と幸せの両方があって、私は私を呼ぶ声の中にその両方をしっかりと感じていた。私は蘭君のお父さんを大切にしなくてはいけない大人だと認識していて、子どもとしてできる全てで丁寧に大切に接していた。
 と同時に、蘭君のお父さんに、あの声で、あの美しい中国語の発声で「エリチャン」と呼ばれると、まるで自分が時々テレビのCMで見るようなスラリとして清潔そうな色白の、ポニーテールの先が揺れる素敵な女の子になった見たいで、ちょっと気分がよかった。この「エリチャン」は、ぬちゃっとして巻き舌で、語尾にどすんとアクセントがくるタイヤルの「エリチャン」とは全然違う女の子で、たぶん私はそこに、私よりずっとお姉さんの蘭君のイメージを自分に重ねていた。

私の窓と小さい白い花。この写真でSiriはしっかり正解を見つけてきてくれた。


 蘭君という名前からして、なんて素敵なんだろうと思っていた。蘭の君。「蘭」が素敵なのは言わずもがな、「君」という字の中国語の発音の響きは、日本語にもタイヤル語にもない、中国語の響きの中で一番素敵な音のひとつだ。中国語で「君」と発音する時の、あの微妙な形に唇や舌をまるめて息を震わせる、あの時だけあの音が出せるという、その繊細さは、中国的な美の持っている細やかさのようなものと私の中で通じていた。
 蘭君なんていう名前の人は私の周りには蘭君ひとりしかいない。あの音を子どもの名前に取り入れようとは、当時のタイヤルの親には思い付かなかっただろう。そもそも中国語を話さないのだから、いきなり子どもに中国語の名前をつけろというのも無理な話で、じゃあみんなどうしていたかというと、小学校の校長先生とか中国語を話せる親戚誰かに中国語名をつけてもらったり、子どもが生まれて役場の戸籍課の窓口に行くと、名前によく使う漢字一覧表(女の子だったら「美」「花」「秀」「玉」「芳」とか)を出されて、「この中から2つ」と言われ、「じゃあ、これ、これ」と、ほぼ当てずっぽうで選んだという。あの一覧表の中に「蘭」とか「君」もあったのだろうか。あったとして、その二つを組み合わせた人は誰かいただろうか。

 蘭君はその名の通り、気品があって、表情がやさしく、とても素敵なお姉さんだった。蘭君は私の周りで唯一大学に通っている女性で、一時期母のところ、つまり今私がいるこの家に住んでいた。ちょうど私が幼稚園に通っていた頃だった。幼稚園の教室で、
 「おねえちゃんがいるひとー」
と先生がクラスのみんなに聞いて、お姉さんのいる何人かが手をあげた。私はちょっとためらった後、思い切って自分も手をあげた。友達は私が一人っ子だと知っているし、嘘をついて先生に怒られるかなと思ったけど、私は手をあげたかった。何か聞かれたら、
 「おねえちゃんは蘭君っていう名前で、大学に通ってるんだよ」
と答えようと心の中で何度もくり返して準備した。
 
 蘭君は母の妹と同じ年で、一緒なのは年だけであとは全然違った。蘭君が大学生している頃、おばはすでに2回結婚していて、3人目の子どもが生まれたところで、カラオケスナックで働いたりしていた。蘭君はスナック勤務どころか山で畑仕事を手伝ったことさえないはずだった。タイプが違うとはいえどちらも美しいのはそうなんだけど、蘭君には、美人かどうかとか、俗な物差しで彼女の特性を測ることをこちらに思いつかせない格みたいなものがあって、そういうところが蘭君のお父さんによく似ている。蘭君の大学の卒業式には母と一緒に行った。たくさんいる蘭君ぐらいの女の人たちの中から、私は必死で蘭君を探して、やっと見つけた時、こんなに素敵なお姉さんが向こうから私に手を振ってくれているなんて、と、天に舞い上がるような気持ちだった。蘭君とおばと、どちらも大好きだけど、二人が同じ年の女の人という意味で同じだなんて考えたこともなかった。今思えばあの女子大生達はみんなおばと同じ年だった。


 もう20年近く蘭君に会っていない。母のところには時々来ているみたいで、ベランダの、私の窓のすぐ前に咲いているこの白い花を見て、
 「これを家で栽培してるなんて、アイーすごい!」
と大興奮して母に言ったらしい。蘭君は一時期尼として何年間か出家していて、もう普通に俗世間に戻って暮らしているが、今も素食とか漢方とか中医学とかに凝っている。
 「なんて名前だって言ってたっけな、これ漢方なんだって。実の方じゃなくて、芋みたいになってる根っこを薬にして飲むみたいだけど、名前なんだっけ。冬門茶、だっけな」
と母は言う。ママが2つ以上の漢字を重ねて、人名とか地名とか商品の名前とか、何かの固有名詞を私に伝えるとき、大体間違っている。漢字というのはママにはずっと馴染みがないままなんだろう。まあママが言うことはあんまり当てにしないでおいて、と iPhone で写真を撮って調べてみると、アスパラガスなんちゃらという検索結果が出てきて、
 「我的手機說アスパラ」
と私もママに適当なことを言うと、
 「そうそう、アスパラっぽいよ」
と母が言い、似てもつかないけど、と思いながら、表示されたリンクを押すと、確かに学名アスパラガスことクサスギカズラ属 Asparagus、その植物こそが、私の窓辺の鳥のうんこのもたらした花だった。そして蘭君が言うとおり、生薬として根っこの部分が使われているそうで、日本語で天門冬という名前の漢方薬だというから、
 「是不是天門冬?」
と言うと、それだよ、それ、と母が頷いている。そしてまた、
 「妳再講一次,冬門茶?」
と間違った順番で漢字を並べて、全然違う名称を言っている。 

これも鳥のうんこのもたらした花。
Trimezia steyermarkii こと Yellow Walking Iris という名前らしい。

 
 こうして今日もさんざん気が散って、途中で母が作ってくれるあれこれを食べたり、お茶をいれにキッチンに行ったついでに愛之助のかくれんぼの相手をしたり、そして昨日ネットで注文したモニタースピーカーがさっき届いたのでこれから組み立てようとしたりしている。台湾には amazon がなく、amazon のない世界なんてどうしたらいいのでしょうと最初は戸惑ったけど、いとこ達がよく使っている PChome というサイトを私も使って、注文した当日か翌日に品物が届く世界に生きている。PChome の配達の人たちがみんな日本よりずっとラフな感じで接してくれてホッとする。amazon があってもなくても、今のところの世界はこうやって回っているのか。
 昨日、無印のスーツケースの持ち手が壊れて、遠企のモールの地下の無印に修理に出したついでに、母と敦化から和平東路をずっと歩いて、通り道にある電気屋さんでデスクライトを買った。少しずつここの家でも仕事ができるように準備していかなくては、という気持ちになっているところに、去年録音したCD作品のマスタリングがついに完成した、と日本からメールでファイルが送られてくる。よく気が散る配置の私の机の上で、モニターを左右に置いて、あとはこれからケーブルをつないで聴けばいい。あとはピアノの調律。家族と暮らす生活の中で、私も私にできる仕事をしていかないとね。


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