エッセイ『サッポロビール』

先日父の誕生日だった。
ささやかなプレゼントを贈り、息子と一緒にLINEのテレビ電話でおめでとうを伝えた。なかなか会いに行けずに歯がゆい毎日だけど、こうやって顔を見れることに感謝するべきなのだろう。

父とのことでよく思い出す幼い日のいくつかの風景がある。
新聞記者だった父は、特に若い頃は生活が不規則であまり家におらず、泊り明けの日や休みの日は昼近くまで寝ていることがほとんどだった。
まだ幼稚園に入る前のことだったように思うが、「寝かしてあげてね」と母に言われても、勝手に2階の寝室に行って、「起きて〜」と上に乗っかりながらしつこく揺さぶり、布団の中に入り込み、目を覚ました父にあれやこれやと一方的に話したりした。
さっきまで寝ていた父にお構いなしに「これはなんでしょう?」とまだ着替えていない自分のパジャマを指差してクイズを持ち掛ける。
父が「キティーちゃん」と答えると、「もう〜違う〜!!だからキキとララって言ってるでしょ〜〜!!」と、どちらがキキでララかと、サンリオのキャラクターの説明をする。
この繰り返しをしてケタケタ笑う。それがとても、とても楽しかった。
時には畳の部屋まで連れて行って「お父さん、プロレスしよう」と誘う。私がやっつけるとすぐに「イテテテ〜!降参!降参!」と肩を痛そうにさする弱小レスラーにもなってくれた。
自転車の後ろに乗って一緒に出かけるときは声を合わせて「レッツゴー!」と言って出発する。
もっともっといろんなことがあったはずなのに、こんなことがループして頭を巡る。

ところで父は幼い私を「ブサやん」と私を呼んでいた。
すごく愛情を持って呼ばれていたはずなので当時は全く嫌じゃなかったし、むしろ気に入っていたが、ブサイクなパーマンの友達ということだろうか。どういう意味やねん!笑

夕食の席にいたという記憶はあまりないけど、それでもいくつか父と幼い私との食の思い出もある。
遅くに帰ってきて一人で古伊万里風の青い絵のお皿に盛り付けたハンバーグをゆっくりとお箸で食べる姿。姿と言っても、多分私は父の横に張り付いていて顔は見えない。お皿に並んだハンバーグとインゲンかなにかの付け合わせの野菜ばかりが目に浮かぶ。
横に置かれたサッポロビール。昔はどこの家庭もそうだっただろうが、うちも近所の酒屋さんに瓶ビールをケースで持って来てもらっていた。
そのサッポロの瓶ビールを手酌でグラスに注ぐ父の横からすかさず私は手を出して泡をすくって舐めていた。3歳ぐらいだと思う。昔って怖い。今なら考えられないし、行儀も悪い(笑)。
大人になった私が一番好きなビールは同じサッポロ黒ラベルだ。食べ物は初めに何を口にするかで好みが決まるというが、ビールについても当てはまるようだ。

ほかには小学生くらいの頃に何度か餃子を家族4人で包んだこと。テーブルが買い換える前の白いものだったから、もしかしたら低学年かもしれない。父の包む餃子は几帳面な性格の具現のように、ギザギザとひだの数が多くてちょっと異様な感じで気持ち悪くて笑った。

どれもなんてことない、切り取られた記憶だけど、父との遠い日の思い出だ。
6つ上の姉が幼い頃は父はもっと若くて忙しかったから、姉は父との思い出はもっと少ないかもしれない。時々それを私は申し訳なく感じる。でもきっと姉には姉の、父との出来事があるだろう。

最近息子の塾の先生のところにお子さんが生まれた。お風呂に入れたという先生の話を聞いて、息子が「おばあちゃんに黄色い小さいお風呂に入れてもらったのを憶えている」と言って驚かれたらしい。ベビーバスに入っているのだから生後1ヶ月くらいのことだ。
左側にキッチンのようなものが見えて、キラキラ光っていたというから、生まれた時に住んでいたマンションのことだと思う。同じようなシチュエーションの写真もあったように思うから、もしかしたら後から憶え直した記憶かもしれない。

私の記憶ももしかしたら写真か、家族で後から話した会話か、そういったものから勝手に憶え直しているのかもしれない。
でも、もうそれはどうだっていい。

父は憶えているだろうか。
私の思い出とは一致しなくても、きっと別の出来事でも、父も大切にしてくれているだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?