山口絵理子 Eriko Yamaguchi
山口絵理子の米国を舞台とする新たな挑戦を綴ったストーリー。 日本から世界へと一歩を踏み出して体験したリアルをお伝えします。
ファッションやデザインについて、山口絵理子が日々想うことを綴るショートエッセイ。 ファッションアイテムを通じて年齢・性別・国籍などの差異を越えた世界観を表現する「ERIKO YAMAGUCHI」(2022年9月リリース)にまつわるストーリーもお届けします。
夜19時からのパーティが終わったのは22時だった。 その間、たくさんの個性的なお客様が来てくれて、終わった時には150人くらいが来てくれた会になった。 当初は30人くらいかなって思っていたのに・・・・。 お客様は、私がデザイナーだというと、強くハグしてくれる人たちだった。 そして、お洋服を見て、鏡の前で合わせてみて、みんな表情豊かに唸るような顔で 「Fantastic!」とか「Super!」とか感嘆の言葉をくれた。 とある有名なフォトグラファーのお客様は、私のミニ
9月18日。NYへ出発した。 13時間のフライトを経て、ついたジョンFケネディ空港の匂いを嗅ぐと、アドレナリンが湧いてくるような感覚があった。 ゲートに待ってくれていたのは、LAのチームの一人で本当に今回お世話になっているYさん。ずっとオンラインで話し合っていたから、リアルに会えたらすごく嬉しくなって緊張感が少し解けた気がした。 依頼していたウーバーがきて、ホテルに荷物を預け、早速昼間から物件前で不動産屋さんと待ち合わせをし、そこからは十四件の物件を視察した。 東京、
ついに米国出張が決まり、最近、L.A.(ロサンゼルス)のチームと会議が複数回行われている。 ある会議の時にチームからこんな提案があった。 「今日はちょっとある企画を持ってきました。L.A.で一気に認知してもらうために、プライベートエキシビジョンのようなものを、会場を借りて主催したらどうかと思うんです。デザイナーが来て、直接話を聞ける機会なんて、絶対認知を広げられるチャンスなので」と。 「ん・・・?プライベートエキシビジョン・・・?それは展示会のようなものですか?」 「
ファッションショーに参加してくれたスタイリストさん、名前はブルックリンさんという。 彼女は「ロサンゼルスに来たら紹介したい人がいる。」と言ってくれた。 そしてその方は、正直言って超ド級の音楽業界の方だった。 そのため、私は、ショーのテンションの高さなどから半分以上は社交辞令だと、最初は受け止めていた。 だが、彼女はお洋服をとっても気に入ったと言って、12着もトランクに入れて米国に帰ったのだ。 そして、名前が上がった方は、彼女のクライアントであるのも事実なので、内心(本
だいぶ間が空いてしまいましたが、米国進出の話が少しずつ進んでいて、色々書けるようになってきたので、再びnoteを投稿します。 前回はNEWSWEEKの記事が出て、米国の不動産の方とオンライン会議をして、出店候補地があるのかどうか、卸からなのか直営店なのか、直営店なら家賃はいくらなのかとか、そんな調査を続けていたところだった。 (ああ、ニューヨークの路面店、SOHOなんて10坪で250万かあ。やっぱり東京の1.5~2倍だなあ。。。でも10坪だったらカバンがちょっとしか置けな
今日は42歳最後の日。 (これくらいの年になると、公言しないものなのか私にはよくわかりません笑) 今日は、日本のマネージャーのみんなとデザイナーズルーム(本社から歩いて2分の場所にある私のアトリエ)の大きなテーブルを囲んで会議をした。 それは日常風景なんだけど、0から1を作ってきたものたちを初めて共有する会議だったからちょっと緊張していた。 実は2年近くかけて作ってきたものだった。 途上国の可能性を届けたいって気持ちで初めての資材、初めての工場、初めてのデザイン、初
NEWSWEEKが米国で出版されて数日後、私のインスタグラムに複数のDMが届いた。 本当に色々な種類のメッセージがあったので、ここでは全部は紹介できないけれど、一つ、「え?」と驚いたメッセージがアメリカから届いた。 米国不動産最大手のSIMON PROPERTY GROUPの代表の方からだった。 そこには「NEESWEEK読みました。ウェブサイトで商品を見ました。ミニマム且つ機能的な日本の美を持つプロダクトに、まず惹かれました。私たちは米国で最も多いショッピングモールを
ラオスに来ている。 一週間の出張で、首都ビエンチャンから始まり、鉄道で3時間かけたウドムサイ県を経由して、さらに車で山道を5時間かけてルアンバパーンに今着いた。 仕事柄、アジア各国の手織り布を見てきた私だが、ラオスの手織り布の丁寧さや柄の精密度は圧倒的だ。 もちろんここにある手仕事は手織り布だけじゃない。今日で、10社以上の工房にお邪魔した。竹や葛の素材を使った雑貨や、紙を作る工房もまた素敵だった。 しかし、手織の布には強さがあル。ラオスには、少数民族がいて、それぞれ
本のことが、一旦トーンダウンした今週、なんとBIGなニュースが飛び込んできた。 「ついに、印刷が上がりました!!」 そう言って、広報のスタッフが持ってきたのが、NEWSWEEK国際版だ。 昨年末、私たちの会社に先方からこんなメールが届いていた。 「日本を代表するファッションブランドの一つとして、是非紹介したい。途上国の素材と職人の技術を、日本のデザインエッセンスに掛け合わせた唯一無二の存在であるマザーハウスを、掲載したいと考えています。購読者数は世界で4600万人です
NEILさんがブックフェアを訪れ、企画書を持って回り始めてくれたらしい。 「代理人」といっても、スムーズに連絡が取れるわけではないので、期間中はなかなか反応をすぐにもらうことはできなかった。 数日経った後に、「複数の国が興味を示してくれた」ということをYさん経由で知ることとなった。 しかし、それから1ヶ月、具体的な話が進展せずに、今に至る。 定期で行っているミーティングも、一度動きが出るまでやめましょうという話も持ち込まれた。 何となく、トーンダウンしてしまった状況
前回のミーティング時に代理人のN氏(以後Nさん)は、3月に行われるロンドンのブックフェアに行くと、Yさんから聞いていた。 それにあたり、A4一枚のサマリーをNさんが作ることになった。 私からも経歴や日本での出版状況や、今の事業をどうみているか、また複数の写真などの提供をした。 どんなサマリーができるのか、ちょっと緊張しながら待っていたら、ある会議の中で、Yさん経由でNさんからの指摘をもらった。 「結局、起業の物語は米国でも山ほどある。特に黒人女性のテック系の起業物語は
野球界と同じで、本の産業にも、有名な代理人が何人かいるらしい。 当然Yさん自身は、代理人ではなく、過去の本のプロジェクトにおいては代理人と一緒にチームを組んで、協働してきた経験があると教えてくれた。 私は過去に、講談社さんで4冊と、他の出版社から1冊出版をしているが、日本での出版実績が非常に大きな説得材料になるようだ。 「でも、印象として日本の人が読む本とアメリカで読まれる本って相当違うと思うんですが、それでも日本の部数が何より大事ということになるんですか?」 「そうで
ついに会社が18周年になりました。 最近、業務の中でお客様のリストを見返していた時に、起業した2006年からずっと変わらず応援してくださっているみなさんの名前がたくさんあって、お一人お一人とお店で最初に出会ったときの思い出や、ある時は会社に対するご指摘を頂いた思い出、本当にたくさんの歴史を一緒に歩いたことが頭をめぐり、「18年も一緒に歩いてくれているお客様がいること」に幸せと感動を改めて抱きました。 あと2年で20周年です。 様々なことを整えながらも、挑戦も同時にやって
第3回目の記事を覚えているでしょうか? そこに登場したロサンゼルスで会社を経営している関くんと、ある時ZOOM会議をしていた。 関くんとは、短期間なんだけれどなんだかとても気があって、前回の記事にも書いたけれど、彼はマザーハウスにいそうな(失礼ですみません!)雰囲気で、最初から親近感が湧いた。 関くんと、彼の会社のスタッフの皆さんと、米国出張から帰国後も、隔週小売の状況だったり、展示会の機会の話をしていた。 ある時、関くんに「キャシーさんという素敵な方に英語の翻訳作業
最近は海外のお客様が多く、店頭では英語での接客をしてくれていて、シンガポールや台湾の店舗では、欧米のお客様にたくさんの商品を届けてくれている。 その場合、私たちの哲学を伝えるときに、「Creating world-wide brand from developing countries」という言葉を使っていた。 これもプロの方に依頼して起業当初から使用しているのだが、この言葉だけでは伝わりきれないものを肉付けしていきたいとキャシーさんが提案してくれたのだ。 「裸でも生きる」
キャシーさんが約1年がかりで翻訳を始めて、中盤に差し掛かってきた頃、予想外の壁にぶち当たった。 ある日、キャシーさんからメールが来たのだ。 「えりこさん、こんにちは。元気ですか?今翻訳を進めています。そこで、いくつか質問があるので答えていただけますか?」 「ああ、事実確認か」と思ったので、1時間以内に返事をした。 「早速ありがとう!」とキャシーさんから返事がきた。 しかし、2日後、再びメールがきた。 今度は、ワードファイルが添付されている。 「少し追加で質問がある