見出し画像

【ピアニストエリコの日常 ② 祟られた椅子(複数形)】


2014年より旅の間に間に書き連ねていた気儘な徒然記が、気づけば100に迫る数となりましたので、note にてアップしていきたいと思います。


【エリコの日常 ②】

2014年6月14日の記 「祟られた椅子(複数形)」

ベルリンからマドリッド経由でポルトガルの首都リスボンへと演奏旅行に出た時のこと。今はなきベルリン・テーゲル空港のカウンターで同僚のチェリストとともにチェックインした。


チェリストとの旅、特に飛行機での移動はなかなか大変である。チェロのために航空券を一席分購入して機内持ち込みにするケースが多いのだが、搭乗者名の欄にチェロの正式名称であるVioloncello を解体して「姓: Violon 名: Cello」と書くと必ず尋問されるし、半分ヤケクソ気味に「姓: Cello 名: Cello」と記載した際には空港スタッフと議論になる。


同僚くんは熟慮の末、意を決してチェロをチェックイン荷物として預けることにした。高価で繊細な弦楽器だけに、ヒヤリとする決断である。ケースには無表情な係員によって「コワレモノ注意」のスタンプが貼られた。


実は同僚くんのガールフレンドも一緒に行くはずだったが、我々の便は満席の上、航空会社のミスで不幸にも彼女の席がダブルブッキングされていた。チェリストの彼が「それはないだろうっ」と粘りに粘ったが「満席だもの、仕方ないでしょう」とスタッフからの詫びは一切ナシ。ガールフレンドは翌日の飛行機で飛べと強気である。「嫌な予感」という、不確かそうでいながら高確率で確かな第六感が、私の心の扉を叩く音を聞いた。ノック、ノック。


散々揉みあった甲斐もなく、同僚くんのガールフレンドは翌日の便で飛ぶ以外に術はなく、チェリストと私だけが搭乗した。シートベルト着用サイン後、飛行機は離陸体制に入った。


と、機体が地を離れたその時、あり得ないことが起こった。直角を保っていた私の座席がゆらりと後方へ倒れ始めたのである!


私は大層驚いたが、振り向くと真後ろに座っていた男性の乗客も私以上に驚愕しており、倒れ来る私の座席を両腕で必死に支えていた。横に座っていたチェリストが大声でCAを呼ぶ。彼らはやって来たが、素早く状況を見て取ると厳かにこう告げた。

「ノー・プロブレーモ」

画像1


息を詰めて場を見守っていた機内の乗客全員が「えっ、ノー・プロブレーモなの!?」とざわついている。私の座席は後ろの乗客の努力によって辛うじて約120度の角度を保っていたが、私+座席の重みで、彼の両腕は震えていた。リクライニング機能が完全に壊れた座席が、フルフラットのベッド状態になるのは時間の問題のように思われた。

「何がノー・プロブレーモだっ。ビジネスクラスのように座席が180度に倒れる寸前じゃないかっ」とチェリストが今日何度目かの怒りを爆発させた。男性のCAは後ろの乗客を手伝って椅子を支えながら、あくまでノー・プロブレーモを繰り返している。非を認めたら完全にアウトなケースなのだろう。


やがてシートベルト着用サインが消え、飛行機は平行飛行にシフトし、有難いことに後ろの乗客の腕にかかる重圧は減ったようだ。しかし、私のシートは120度の角度を保ったままである。チェリストとCAはまだ闘争を続けている。よりによってどうしていつも私だけこんな訳の分からない状況に置き去りにされるのだろう、と笑いたいような泣きたいような気分である。いや、ただ泣きたい。いや、正確には少し泣いた。


不穏な空気が機内を覆う中、飲み物とスナックが配られた。後ろの哀れな乗客は、120度のリクライニングに遮られてテーブルが使用出来ず、悲しそうな表情を浮かべていた。飲み物は右手に、スナックは左手に。この状態でスナックの袋をどう開けろというのか。私はせめてものお詫びに、開封した自分のスナックとおじさまの未開封のそれとを交換した。


着陸体制に入った時もチェリストとCAの間で一悶着があったが、私はもう争いに巻き込まれたくないので、死んだふりをしていた。離陸時とは逆に、着陸時の座席は不自然に前傾。死んだふりをしつつも私は恐怖した。


なんとか無事に経由地マドリッドへ到着、あらかじめ指定されたチェロの受け取り場所へ向かう。係員が直接手渡しに来る手筈になっており、そこで待った。10分。20分。30分。


... 40分。彼の顔にマイ・チェロはどうなっているのかとの焦燥がありありと浮かび、私は私で最終目的地であるリスボン行きの便に乗り遅れはしまいかとのストレスが、苛立ちに取って代わりつつあった。状況を諦念で受け止める人物像のように書いてしまったかもしれないが、私は生来まあまあの武闘派である。


ちょうど係員の男性が通りかかったので呼び止めて聞いたが、チェロなんて知らないとすげない答えが返ってきた瞬間、チェリストではなく今度は私が吠えた。チェロはどこよっ。チェロッ。係員も巻き込んで、私たちは空港中を走り回った。ああ、次にチェリストと旅に出るときは、どんなことがあってもチェロ用座席の航空券を買ってもらおう。「姓: Cello 名: Cello」 と書いてカウンターで揉めても、この狂乱の事態より100倍マシではなかろうか。


どれほどのときが経っただろうか、人も滅多と通らぬ空港の外れも外れに、ポツンと何かが横たえられているのを発見した。走り寄ってみると、果たしてそれは我々が血眼になって探したチェロケースであった。


... その先も多くのハプニングに見舞われたが、一番はやはり、ポルトガル国営放送の一発収録だろう。演奏中に突如としてグランドピアノが前進し始めたせいで私はピアノ椅子に座って居られなくなり、最後は所定の位置より2メートルほど先で空気椅子状態のフィニッシュを遂げたのだった。


何やら「椅子」に祟られた旅ではあったが、今となっては全てがいい思い出である。リスボン、よい街だった。必ず再訪したい。

画像2

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?