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病気にも生死にも主体的に選択して生きる人生は、幸せなものになる

15歳で心臓の不整脈が見つかり、病院でペースメーカーを今すぐ挿入という一択を突き付けられた私は、機械を身体に入れたくないという恐怖から拒否した。それは私が自分で下した決断だった。今でもその病院の帰りの駐車場を呆然としながらとぼとぼ歩いている自分の姿を覚えている。

両親は病院を周りに聞いたり調べ、人からの紹介で大学病院に私を連れて行った。そこで出会ったのが、病気発覚から16年目の今も主治医である、高木先生。不整脈が3種類合併していたため、「見たことがない事例で頭を抱えました。移植まで必要になるかもしれない、今出来ることをしましょう」と両親に伝えたと、母から後々聞いた。頻脈に対して心筋を焼く手術をする、徐脈に対してペースメーカーを入れるという、ふたつの提案が出された。
授業でバスケをするだけで動悸で心臓が張り裂けそうな思いをしていた私は、手術をすることは合意した。でも、ペースメーカーを入れることは頑固拒否した。夜間12秒程度心臓が止まる私には、絶対的に脈を保ってくれるペースメーカーは必要で、昼間にも停止することがあれば、倒れて、死に至る可能性もある、と何度も医師から説明されていた。それでも、倒れるまではいれないと、私は頑なに4年間拒否し続けた。それは、私の生死をかけた選択だった。私の意思だった。

19歳、昼間に倒れた私は、絶望の大号泣しながら、自分の意思でペースメーカーを入れることを決断した。倒れたときに頭を強打し、激痛が数日続いた。倒れたことが怖かった、死ぬのが怖かった、頭の痛さが怖かった、もうこんな思いしたくない、私は安心して生きたい、と感じた。倒れてからペースメーカーを入れるまで、私は再び倒れるのではないかという恐怖と、機械を身体に入れる恐怖、入院・手術する恐怖にまみれていた。それでも、ペースメーカーを入れるという私の意思は変わらなかった。

高木先生は、わがままで自分の意思を絶対に曲げない私をいつも尊重してくれる。「そうか、わかった」と返事するのが口癖なほど。10代の私がリスクを冒してまで入れない選択をする。それを医療者として、私の主治医として尊重する。この先生とだから、病気と共に歩んだ人生、すべてに後悔はなく、自分の意思で、自分の決断で生きてこれた。どの医師と歩んでいくかも重要だ。医療者としての意見を述べつつ、私の意見も聞き入れようとしてくれる主治医に出会えたことは、私にとって宝だと思う。

20歳ごろから、病院にひとりで通うようになり、病状説明もひとりで聞くようになった。21歳、看護師になってからは、病気のことの理解が深まると同時に、先を知り、恐怖や不安に包まれるときもあった。25歳、心房心筋症という新たに発見された病名、治療法は未知、と伝えられた私は、先が暗闇しか見えないときもあった。

今でも、すべて自分の意思で生き方を決めている。
手術をするかどうか、ペースメーカーの電池交換はどの機種にするか、時期はいつにするか、薬はどうするか、入院期間はどれくらいにするか、どの検査をするか、いつ退院するか、、、主治医と話し合い、自分で考え決断している。医師と意見が異なるときは私が納得するまで話し合う。嫌なことは拒否することだって出来る。どれにも正解はない。医師からの提案に、自分の意思で選んでいく。どの選択肢にもリスクや不安・恐怖が伴う。治療法も、病気との歩み方も、手探りの中、自分をただ信じるだけ。

もしかしたら、手術後合併症が起こるかもしれない。それでも手術すると決めたのは私。全て私の意思で、私の責任。
看護師時代、医療者や家族のせいにする患者さんをたくさん見てきたけど、病気との付き合い方も、病気との人生の生き方も、全部自分で決められる。「医師が言ったから、、、」と言いつつ、同意したのはあなただろうし、誰かのせいだと責任を押し付けると自分の苦しみや憎しみからはいつまでも抜け出せない。

病気になったからといって、これからの人生が絶望するものになるわけではない。病気に支配される人生か、病気と共に歩む希望ある人生か、自分で選ぶことが出来る。

自分の人生を主体的に生きること、それが自分の人生を生きて幸せになる第一歩だと思う。
15歳から病気に対して、生死に対して主体的に生きてきた人生は、後悔なく、充実したものであると胸を張れる。
子どもも大人も病気がある人も、主体的に生きれば、どんな境遇であっても幸せに生きられる。誰だって幸せに生きたいのが願い。自分の人生、主体的な人生選択をしていこう。

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