教員

イジメのメドレーリレー〜お前はこれからも違う人と出会って同じように嫌われるんや!


#1. 2. 教員

ちょっと本編に入る前に…。


この作文のタイトルである


イジメのメドレーリレー〜お前はこれからも違う人と出会って同じように嫌われるんや!


って、ずいぶんケッタイなタイトルやなァ、と我ながら思います。といいつつ、あながちハズレじゃないのも事実なんですよね。


で、本タイトルの「メドレーリレー」は、自身が水泳部に所属してたところに由来しています。といいつつ、自分はメドレーリレーに出場したことはないんですけどね…w。ちなみに自分の種目は400m 及び1500m 自由形で、中長距離がメインでした。したがって瞬発力が求められるメドレーリレーにはお呼びではない、と。


サブタイトルの「お前はこれからも違う人と出会って同じように嫌われるんや!」は、この後に出てくる水泳部顧問であり、さつき寮部長を兼任した教員の発言から名付けました。背景に「お前には適応能力がない」というのがあるのでしょう。


このサブタイトルを、自分は地でいくことになります。それをいうなら、令和になった現在も継続中ですし、これからも続くでしょう。ただし「違う人に出会って同じように嫌われる」ことに対する解釈は、高校卒業から大学入学までの浪人生の時に起きた事件により大きく変わります。この件については、第三章で詳しく書きます。


高校生の時は嫌われる度に落ち込み、あの教員の発言は偉大だなァ、なんて思っていたものです。しかし浪人生の時に起きた事件以来、その解釈は手のひらを返したようにびっくり返ります。ふざけるんじゃねぇ、と。そして令和になった現在に至っては、哀れやね、って思うようになったのです。それだけ自分も丸くなったんやね…。しみじみ。


この歳になれば、このような事案も冷静にみれるようになれますし、統計学的なみかたをすれば、自分との相性の悪い人いわゆる生理的に受け付けない人は、一定数いることがわかります。当時はそれがわからなかったし、判断材料もなかった、と。それが若さたる所以なんでしょうね。


まァ、この作文をひとことでいえば、


  • 犬猿の仲

  • スイカと天ぷら

  • ウナギと梅干し


の関係を、グダグダ展開した、というおはなしなんですよ。まァなんて不毛で生産性のない青春時代を過ごしていたんだろう、と我ながらアホらしいなァ、と思う訳ですが、当時は真剣だったんですよ。


違う人と出会って同じように嫌われる。


なかなか言い得て妙ですね。ただ歳を追う毎にその解釈が変わってゆく。そんなプロセスを描いたのが、この作文のメインテーマとなります。


それでは、本編へどうぞ。


・・・


自分が柳学園に入学した際、ひとりの教員(故人)と出会います。彼は柳学園で過ごした中でのキーパーソンで、水泳部の顧問であり、さつき寮の寮部長を兼ねていました。


この教員がいかなる人物で、自分とどんな関係かを、みていきます。


  1. 寮部長としての技量

  2. 水泳部顧問としての技量

  3. 元々無理があった寮部長と水泳部顧問との両立

  4. 相容れない水泳部とさつき寮


体育教員でありながら、水泳部の顧問と寮部長を務めていたとは、令和の時代なら間違いなくブラック企業ですね。昭和の時代だからこそ許されたのでしょう。要は彼は真面目だったのです。体育の教員だけあって多少やんちゃな一面はありましたが、そのやんちゃな行為は許容範囲内でしょう。




  1. 寮部長としての技量。


結論からいえば最悪でした。寮部長の器じゃない、と。さつき寮に入寮した時、この教員は寮部長として紹介され、あらたに新入生への挨拶で


「さつき寮を巣立ったOBたちは、みんなさつき寮に来て良かった、といってるぞ。辛い時があっても、それは良かったんだ」。


と仰ってました。寮生活には通学では得られない付加価値がある、と。


当然ながらこの美談が欺瞞であることは、自分はこの時点ではわかりませんでした。後で詳しく書きますが、さつき寮を良かったと思う寮生は皆無です。卒業しようが、退学しようが、寮生の結末がバラ色になった試しがありません。


仮に本当にさつき寮が良かったのなら、さつき寮OB会のような組織があるはずですし、現在もさつき寮に寮生がいなければなりません。これは一次情報ではないのですが、さつき寮で警察沙汰になった事件があったことは、何度も聞いています。事実確認できませんが、まさかと疑うことはないでしょう。


問題解決能力のなかった寮部長。

次々と寮生が寮出していく中、この環境を改善しようとはしませんでした。というより、できなかった、というのが適切です。具体的な解決策なんて見出せるはずがない、と。


寮部長の役割は、さつき寮の寮生を全員卒業するまで在寮させることです。ひとりでも退寮者を出すと、責任が問われなければなりません。しかしお咎めなしでした。


寮出した寮生は、決してさつき寮に戻ることはありませんでした。にもかかわらず、それを有耶無耶にしてやり過ごしたのです。親御さんのところにいって謝罪するパフォーマンスをみせましたが、本質的な問題解決にはなりませんでした。


自浄能力がない上に、事態を更に悪化させた。


この寮部長は、加害者に褒められる失態までやっています。本来加害者は謹慎処分されるのですが、お咎めなしでした。処分されるどころか、謝罪のパフォーマンスした帰りに、その加害者にご飯を奢ったのです。挙げ句の果てにその加害者から


「人間ができてる」。


といわれる始末。これでは、加害者にもっと危害を加えろ、といってるようなものです。自分はこのさつき寮には自浄能力がないことを悟り、絶望的になりました。


そして2年2学期の部屋替えで、ついに絶望的な事態に陥ったのです。この部屋替えを決めたのは、もちろん寮部長。上級生の意見を取り入れてのことだとは思います。部屋替えが決まった後、寮部長は自宅に電話をかけ、部屋のメンバーを告げました。この後、最悪の事態に陥り、自身の人生そのものが変わるのです。


この昭和のど真ん中の時代において、体育教員が寮部長を務めるのは、ある意味当然なのでしょうか。この時代は、体罰が人を育てると信じていたのです。したがって寮をやめることは、淘汰されたと解釈されました。根性がない、と。中退に終わるのは、自己責任である、と。


寮部長のしかるべき姿。


寮部長というポジションは、本来、親身になって相談にのってくれる人材が適任です。それこそ、子育ての経験のある人ならなお良いですね。親元を離れて生活する訳ですから、その不安を取り除いてくれる人が適任な訳です。


寮生にとって寮は生活拠点の場。寮生活には人材育成も大事ですが、最優先すべきは安心して暮らしていける場にすべきでした。それを当時の教員に求めるのは酷です。ここまでくると、寮部長だけであるなく、学校側も責任が問われなければなりません。



2. 水泳部顧問としての技量。


結論からいうと、可もなく不可もなくであり、指導方法は許容範囲内です。昭和という時代背景からすれば、多少のやんちゃは致し方ない、と。


この教員は柳学園のOBでもありました。当時の彼の担任によると


「かなり練習熱心で、数々の記録を残した」


そうです。この後日本体育大学に進学したので、体育会系のエリートといえます。


この当時の彼の担任は、あくまで憶測だがと前置きした上で、


「水泳部の顧問に就任するにあたっては、母校に恩返ししたかったのではないか」


と仰っていました。これは確かによくある話です。もちろんそういう方々は至るところにいますし、それが決して間違っている訳ではないのです。




3. 元々無理があった寮部長と水泳部顧問との両立。


この教員は、水泳部の顧問として自身をはじめとする部員を指導する立場であり、一方でさつき寮の寮部長として自身をはじめとする寮生を指導する立場でもありました。この教員が寮に泊まるのは週1回でしたが、それでも自分とは十分すぎる程共にしてきた間柄です。部員として、寮生として、彼は自分をどう見ていたのでしょうか。


水泳部顧問と寮部長の兼任は、水泳部の指導に悪い影響も与えました。指導方法を巡っては、部員の間にも不満がありました。通常の指導には問題なかったのですが、明らかに寮部長やっていた影響を受けた立ち居振舞いも見受けられました。この教員は自分がいなくなってから寮部長を降りた(厳密にいうと降ろされた)そうです。おそらく肩の荷が降りて、本人には良かったのかもしれません。




4. 相容れない水泳部とさつき寮。


これから詳しく書きますが、水泳部とさつき寮はそれぞれ対極のポジションになります。片や主体性のある組織で機能し、片や上意下達の組織で破綻します。そしてこの対極のポジションに教員と自分が共に立ち会うことになるのです。前者は水泳部顧問として又寮部長として。後者は水泳部員として又寮生として。


両者がそれぞれの立場で、両方のしかも対極のポジションを、同時のタイミングに立ち会うのは、いったい何を意味するのでしょうか。振り返ると、自分はこの教員と一緒にいる時間が長過ぎました。その結果両者との関係は拗れに拗れ、修復不可能になったのです。


拗れた理由は他にもあります。


さつき寮でのトラブルで、彼はパパから責任を問われたのです。当然といえば当然ですが、おそらくこの事案が彼にとってはじめての挫折であり、屈辱的な出来事だったのでしょう。エリート街道を駆け抜けた人は、失敗の経験が乏しいので、それに対する対処法を身に付けていない場合が多く、ダメージをモロに受けたのでしょう。


更に水泳部の合宿中にも、いいがかりを付けられました。おそらく彼は自分との相性が悪く、元々受け入れられなかったのでしょう。


  • 自分と一緒にいる時間が長過ぎた

  • 人生ではじめて挫折を味わった

  • 元々自分との相性が悪かった


これだけ条件が揃えば、関係を修復させろという方が無理なのかもしれません。そして和解することなく、この教員はこの世を去ったのです。




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