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こんにちは。ダンスの仕事をしている絵里です。
今日は第一章に続き、私のダンス人生第二章開幕です。
また長編ですが大事な留学編
スターウォーズ式にお送りしていきます。笑
(スターウォーズミュージックがかかってると思って下さい)
今回は留学時代の事を書いていきます。
何か今後目指してる人は役に立つ事あるかもねー🙌

さて、アメリカのWashington ballet schoolというバレエスクールに1年間留学した時期は、佐々木バレエをやめた後、最後の望みをかけ色々頑張り2018〜2019年に
1年間留学しました。
ワシントンはとても治安が良く、物価は高いですが、私が行った時期はそこまで物価高では無かったです。
スタバは日本円で¥150位で、歩けばスタバに当たる!
位メジャーで街にたくさんあり、驚きました👀(日本のドトール?的な)

スタバ☕️
ワシントン近郊の街
NY!!

語学に関しては勉強せずほぼサバイバル英語で単語で勝負、わからなかったら電子辞書を出して「this!」て言って切り抜けてました。笑難しかったのは、オーディションやピラティス等の説明がある時は大変でした。ただ、最早現地で文法を覚えて、そこに当てはめていけば日常はなんとかなるので喋って覚えていくのが良いのかなと私は思います。

・住居は最初は英語の勉強も兼ねて、ホームステイにしました。私がお世話になったお家は子供が2人、ご両親が2人のお家でした。地下の使ってなかったお部屋を使わせてもらったのですが、ワシントンは自然が豊かで
街中にリスが走ってたり、兎が居たりするので私の部屋も、虫だらけ、、、( ;  ; )
しかも苦手なのでかなりキツく、、、^^;
色々あり、気を使い毎日ストレスにもなっていたので、途中からスクールの横の寮に住みました🙌

スクールの前、横に寮併設、1番仲良かったelen❤︎
楽屋
yagpの本番時✨
スタジオ

そんな感じで、1〜2月はカンパニーオーディションのシーズンなのでNYに一人でバスでオーディションに行ったりと、ここで一つ人生観が変わったのは、言葉が通じない土地、見知らぬ場所で1人で頑張った事で、日本に帰ってからもどこに行っても何しても言葉が通じるだけ何も人生怖くないと思えたので、そこから人生何も怖くなくなりました🙂

その他印象的な事は
頭のおかしいホームレスに追いかけられたり、NYの電車は一つの路線からブルー、イエロー、レッド、、の様に様々な場所へ行き先が変わるため間違えたらアウト。わからない時に道を聞いたら
親切に途中まで一緒に乗ってくれる人が居たり、ハーレムにあるカンパニーまで1人で行ったり色々な印象的な事がありました😊笑
今思えば銃をアメリカは持てるので追いかけられたのは九死に一生の一つでもあります💦逃げ切れて良かった、、、
バレエに関しては、NYでアンサンブルでyouth america granprixに出て、予選1位、決戦16位も印象深いです。
NYのステップスと言う有名なオープンスタジオでレッスンも受けました。その時まさかのタイミングで
マラホフ&ヴィシニョーワと同じレッスンを受ける事ができたのです、、、。ビデオでずっと見ていたマラホフが目の前に居たのは嬉しい衝撃でした✨😭
5番が綺麗すぎて、、プロは素晴らしい。本当に良い経験でした。
帰国前の最後のパフォーマンスでは、主役のコッペリアの中のスワニルダとパドドゥに選ばれ、踊らせて頂きました。カンパニーはどこも受からず、帰国。
悔しかったですが、海外での経験は今の視野に役立っており
日本の生き方?のイメージは、人目を気にしたり「世間」と言うものを恐らく優先的に考え自分の意志が二の次な印象ですが
アメリカは皆自由に生きていて、誰も自分の事を見ないし誰も人のことを気にしない。
開放的に生きる事が出来たので、日本で感じてた人と違う事をよく思わない風潮の、息苦しさから広い価値観を見れた事は今の私の半分を作ってくれたかな、と思っています。
元々はっきりしている性格なので、日本だと息苦しさを感じる事が多く、合わせる事が苦手だったので
こんなに自由で良かったんだ!と思える事が出来ました。
また、世界は広い。素晴らしいダンサーはいっぱい居ます。
どういう味を魅せるか、と言う所からダンサーの勝負だと思うので沢山世界の良いものを見て、目をこえさせる事も大事だと思います。
帰国後はバレエの道を諦め、フリーダンサーの道へ。
第一章を参考に今に至ります。

日本だけではとても狭い価値観です。
世界に目を向け、良いダンサー、作品、ものを見て勉強してほしいなと思います。

1番お気に入りの写真
friend!

第三章はダンスの仕事について➡️

絵里


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