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リシャール・コラス 波

そろそろいい加減にしなさいと言われそうだが、懲りもせず今日も3.11のことを考えている。こりゃもう書き尽くすまで一生落ち着かない気がしたのでオフラインにて別途書き始めた。書き上がるのかどうか、発表するかどうかは未定。

さて、3.11の晩から読んでいたリシャール・コラス『波』の話をしたい。この本は東日本大震災をふまえて2012年12月に出版された。作者リシャール・コラスは当時シャネル日本法人の社長で(現在は会長。2018年スイスに赴任)、ビジネスパーソンと小説家両方の顔をもつ。わたしは大学卒業直後に師匠から勧められて『旅人は死なない』と『遥なる航跡』を読んだことがあった。



2012年、わたしが入社するのと入れ替わりにグループ会社の役員として赴任するために退社した前部長は宮城・気仙沼の出身で、ご実家が津波に流される被害を受けている。その人と食事に行ったとき、3.11の特に津波のことを描いたリシャール・コラス『波』をおすすめされたのだ。『波』は、東北の複数の被災地に取材している作品だが、舞台は気仙沼だ。

当時その人に送った感想の下書きが出てきたので、初読時の新鮮な感想として記録しておこう。

* * *

先日おすすめいただきました、リシャール・コラス「波」を早速読みました。

3.11当時といえば私は大学3年で、就職活動のまっただ中です。その日も朝から面接を受け、お昼過ぎからは友人3人と勉強しようということで、大学近くのマクドナルドに丁度4人が集まりきったところで大きな揺れに遭いました。
20数年生きてきた中で、屋内にいた人みんなが外へ逃げなければいけないような地震は初めてでしたし、まさか震源が東北地方だとは思いもよらないほどの恐怖を感じたことを今でも鮮明に記憶しています。

深夜になり地下鉄が動き出すまで私は日大にいました。非常食を受け取り開放された教室ではニュースが流れており、東北から関東の沿岸に寄せては引き、引いてはまた押し寄せる津波の映像、その時点では内部で何が起きているか殆どわからない福島原発の様子、おなじ映像が延々繰り返されていました。
「波」を読みすすめるにつれ、そのようなニュース映像の記憶も相まって、
実際に目にしたわけではなくとも、蒼介の眼前で起こるひとつひとつの出来事を自分が見ているかのような錯覚にとらわれました。
昨年8月石巻を訪れた際に、震災の体験をお聞かせ頂いたり、被災した地域を車で回って頂いたこともこの読書体験をより自分に近いところで成せた一因であることは間違いありません。

天災にかかわらず、病気や事故など、つねに「次の瞬間起こってもおかしくない」と思い続けることは困難です。でもそれが起きたときにどのように立ち振る舞えるかは、自分がそういった問題について普段からどこまで突き詰めて考えているかによるのだと思います。
物語の冒頭、蒼介のひいばあちゃんがむかし自らに降りかかった津波について語るのを、家族は自分とは関係のない昔話を聞くように、毎年の恒例行事のようにしか聞いていません。これは3.11以前のほとんどすべての日本人の姿でしょう。
当時、私自身をふくめ、今までにない不安やパニックに陥った人がほとんどで、逆にどっしりと構えることのできた人がどれだけいたでしょうか。3.11を経験ししばらく経った今だから、そんな蒼介一家を危惧するまなざしで見ることができるにすぎないのです。

東北をはじめとする日本全体の問題を考え続けるため、ものすごい数の本や論文が書かれ、写真集、ドキュメンタリーがつくられています。もしもこれらが新たにつくられなくなったとき、または震災体験世代がこの世を去るとき、その時生きているおのおのが一個人として忘れてしまうか引き継いでいけるかどうかは、今のところわかりません。
だからこそ知恵をしぼり将来を見据え、よりよい未来をつくっていくために読まれるべき作品のひとつがこの「波」であると私は感じました。

(2013年2月記)

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