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じぃじの日記の書き方

寝る前にもう1本書いておきたいとちょっと焦ってるじぃじです。
実はおとつい150日間連続投稿を達成したのですが、連続投稿を始める前に考えていたことを書きます。


スキをもらうために必要なことは?

昨年の秋頃、マガジンの『先生、ChatGPTは人間の仕事を奪うのですか?』を書き上げたのですが、「スキ」を全くもらえない状態が続きまして…遅ればせながら「まずは自分が書いたいものではなくて、皆さんに読んでもらえるものを書かなければ」と悟りました。で、マガジン『クロードのいる生活』などジタバタを始めたのですが…その時に気づいたことの1つが「写真を多用した記事は読んでもらえる」でした。まずはビュジュアルで訴えかけて、全部をサクッと読み終えることができるショートな記事を増やして、ライターとしてのじぃじ自身をアピールできないと(じぃじが書きたい)長文の記事には触れてもらえない…と考えた訳です。

でも…

写真付きの記事ってどうやって書けば良いんだっけ?

苦し紛れに思い出したのは『栄光なき天才たち」

思い出したのがヤングジャンプに掲載されていた『栄光なき天才たち』で、単行本16巻「名取洋之助」のエピソードです。彼は1930年代にドイツからフォトジャーナリズム(フォトルポルタージュ)を持ち帰った日本の報道写真家の草分けです。

東京市に実業家名取和作の三男として生まれる。母方の祖父は三井財閥の大番頭朝吹英二。慶應義塾普通部で学んだ。だが、花街の女将に見送られて登校するといった早熟ぶりもあり、成績不良で予科に進めず、父のはからいで18歳でワイマール期のドイツに渡った。ベルリン遊学中、国立美術工芸学校のウェイヒ教授を通じてバウハウスのデザイン思想を知る。教授の地元ミュンヘンの美術工芸学校に入り、やがて教授が経営する手織物工場のデザイナーとして働くうちに9歳上のドイツ人女性エルナ・メクレンブルク(のち妻となる)と同棲。エルナが撮った火災現場写真を洋之助が組写真にして写真週刊誌に持ち込んだところ高値で採用された。それが契機となって、ベルリンの総合出版社ウルシュタイン社に認められ、ヨーロッパ最大の週刊グラフ誌の契約写真家となり、帰国した。

名取洋之助 ー Wikipedia

要は戦前の財閥の御曹司なんですが、あまりの放蕩ぶりに業を煮やした親にドイツ送りにされた遊び人だった訳です。前述の『栄光なき天才たち』では太字で記した1文が彼が写真家として開眼したエピソードとして紹介されてました。駆けつけた火事の現場でエルナは大量の写真を撮影しました。現像した写真の中から「壊れてしまった陶器を抱えてポロポロ泣いている大男」の写真を見つけて閃いた洋之助は、その写真を軸に組写真を仕立てて、当時のドイツの大手出版社であったウルシュタイン社に持ち込んだそうです。

確か「泣いているのが少女ならよくある出来事だが、大男ならニュースだ」ということだったはず。写真を見たものは(普通なら有り得ない)「大の大男がポロポロ涙をこぼして大泣きしているのは何故か?」という疑問を抱くだろうと。そこで大男の物語を知りたくなる…つまりお笑いの「つかみはOK」と同じ効果が写真には期待できるということなんだそうです。

このエピソードのじぃじ流の解釈

そこでじぃじはこの故事に従って、川縁を歩くときはスマホを持ち歩き、何かピンと来たら(あまり考えないで)とにかく写真を何枚も撮りまくる。その後、家に帰ったら撮った写真を全部チェックして、そこから何らかの物語(ナラティブ)を引き出せないか考えるようになりました。

結果が鴨川べりの雀の鳥籠ですとか、賀茂川のならず者たちだったという訳です。それにマガジン『光る君へ感想文』もこの方法を応用してます。何度も繰り返しているうちに、写真を撮っている前段階でボヤッと物語が描けるようになって来た感が今はあります。

やはり(素人のじぃじには)写真一枚だけで読者に与えられるインパクトは限られているように思うのですが、何枚かの写真を串刺しするような物語を語るようにすれば、読者の皆さんに最後まで読んでもらえるのでは?と考えてます。正しく組写真の効果ってことなんでしょうねぇ。

この手法にはまだまだ奥行があるみたい…

ちなみに『栄光なき天才たち』16巻は次の書籍をベースに書かれてます。

さらに名取洋之助も自らの写真術を次の書籍に書き残しているみたいです。

さらに彼のドイツ留学時代はフォトジャーナリズムが大ブレークしていたそうですが、それもライカという携帯できるカメラが開発されたから。

そして、ワイマール時代に誕生したフォトジャーナリストの多くはユダヤ系であったことから、ナチスの台頭とともにイギリスやアメリカへ逃げることになりました。その結果、誕生したのが…

ちなみにこの雑誌の創刊から1972年までは Google Books の次のページで無料で閲覧できます。

日本で写真週刊誌といえば、かつては FRIDAY講談社FLASH光文社FOCUS新潮社)、今なら週刊文春とお騒がせのゴシップ的なイメージが強いですが、1930年代〜1940年代のグラフ誌は各国のプロパガンダを広報する役割も担っていた(名取洋之助もそれに関わっていたので栄光なき天才になった)最先端のメディアでした。
媒体としてはインターネットに取って代わられた感がありますが、ウクライナとロシアがメディア合戦を繰り広げている現在、再評価すべき歴史があります。また NOTE を最先端メディアだと考えることができれば、新しい技術を背景にした新しいメディアの展開の可能性や落とし穴を示唆する教訓もたくさんありそうです。

なので、このメディアの歴史ももう少し掘り下げてみたいなぁ…とじぃじは考えてます。

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