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2020を置いていく①

すっかりnoteから遠ざかっていた。
でも、今年のことは今年のうちにまとめておきたかったので、久しぶりにノートパソコンに向かう。

わたしが最後にnoteを更新したのは夏真っ盛りな8月。
あれから4ヶ月くらい経ち、わたしの身の回りのこともたくさん変わった。
本当に本当に変化の多い1年だった。

2020年の1月~3月まではほとんど何も覚えていないんだけれど、その頃のTwitterを見るとずっと「体調わるい」「仕事がつらい」だった。得体の知れない不安はずっとそこにあったんだと思う。
そういえば胃腸炎にもなった。会社にいるときあまりの痛みに耐えられなくなり、早退してそのままタクシーで病院に行ったんだった。

2020/2/4のつぶやき
「苦手なことが少しでもマシになればいいと思って続けてきたけど、苦手なことって、頑張っても頑張っても苦手なんよね。好きなことまでいかなくても、得意なことをもっとやりたいと思うのは、なんか悪いことなんかな。もうわからん」
この頃すでに少し気付いていたんだと思う。

4月になり緊急事態宣言が出て、仕事が完全にリモートワークになった。家で過ごす時間が増えて、生活や心が潤うようになる。在宅勤務っていいことばっかり!と気づいてしまう。
あのウイルスは絶対に憎いけど、在宅勤務になって気付いたこととか、得たものはわたしにとってとても大きくて大切だった。

今年は花見もできなかったから、1人で散歩がてら桜を見に行った。またみんなでレジャーシートを広げて桜の木を見上げられる日が、はやく来ればいいな。

自粛期間中お世話になったウーバーイーツ。配達員の方、お店の方に感謝。
こういうたまのご褒美で自分たちの機嫌をとる。2人で過ごしたおうち時間は不謹慎かもしれないけれど、ずっと楽しかった思い出しかない。

変化の兆しがあった6月

夢のような在宅勤務生活は5月で終わり、6月からは出勤になった。満員電車のストレスと、制限まみれの生活様式。会社にいかなくても仕事ができることが証明されたのに、なんで出社しないといけないの?とずっと思っていた。

未知のウイルスの影響は仕事にもあった。
会社の売上は減り、社長は焦ったらしい。これまでわたしたちの職種にはあまり求められなかった【営業】を強く求められるようになった。正直、売上とか粗利とかそういうことをシビアに求められなさそうな会社だと思っていたから、突然の方針転換についていけない気持ちが大きかった。
会社としては当たり前のことなんだろうけれど。

6月の中頃、わたしが苦手な、新規クライアントへの営業、コンペの参加、訪問、打ち合わせ等のスケジュールが続いた週があった。
それらが全部終わった帰り道、オフィス街の真昼間、たくさんの人とすれ違う中、涙がずっと止まらなかったのを覚えている。プツンと何かが切れたようだった。

そこからは体調が分かりやすく崩れた。不眠、毎日続く頭痛、動悸、刺すような背中の痛み。耐えられず何日か休んでしまうこともあった。

限界だった7月

体調不良はおさまらず、内科を受診するも問題なしと言われる。気持ちの落ち込みも大きくなりだしていたので、人生で初めて心療内科に行き、「うつ」「社会不安障害」の診断を受けた。
7月半ば~末まで休職。結局それでも復職できるほど回復できなかったので8月いっぱいまで休むことになった。このあたりは以前のnoteに詳しく書いた。

限界だったわたしをずっと支えてくれたのは一緒に住んでいる彼だった。床にへたりこんで涙を流すわたしの手をずっと握って話を聞いてくれた夜がいくつかあった。
身体も心もボロボロだったけれど、そんな彼と婚約をしたのも7月。
これからはこの人と人生を歩んでいくのかと思うと、少しだけ未来が明るくなった気がした。

休めば休むほど焦りも大きくなった8月

毎日好きな時間に目覚めて、好きなことしかしなかった。
少しでも心が喜ぶことをしようとした。
心療内科でもらった薬と仕事のストレスから解放されて、よく眠れるようになってからは、体調がよくなっていった。
それでも刻一刻と近づくこの生活の終わりがずっとこわかった。
「また前みたいに戻れるんだろうか」

休み期間中にはよくお菓子をつくった。パウンドケーキは色々なバリエーションを作ってちょっと自信がもてるように。何も考えず没頭できるお菓子作りは心の栄養になった。

空はこんなに青くて、夏は真っ盛りなのに、未知のウイルスがいたるところにいるなんて信じられないな、っていつも思っていた。

少しずつ歩むことを決めた9月

勤めていた会社では正社員ではなく契約社員として復帰することになった。週5日から週4日へ、1日8時間から6時間勤務。通勤から完全在宅勤務。なるべくストレスの少ないところから復帰させてくれたことに関しては感謝している。
復帰後は簡単なことから少しずつ、と聞いていた仕事は、1発目から頭をフル回転させるもので、上司からは一言も体調への気遣いの言葉などはなかった。それでも少しずつ少しずつだ、と言い聞かせていつの間にか1ヶ月が経っていた。

そして初めて薬疹が出て苦しんだ。薬のアレルギー。そのとき服用していた抗うつ剤の一部でアレルギーが起きてしまって、人生で初めて体中にブツブツができてかゆいし気持ち悪いしで本当につらかった。一時的に断薬をして、それから漢方メインの処方に変えてもらう。

結婚指輪を作りにいったときの写真。結婚するなら指輪は絶対に手作りがいいと決めていたわたし。憧れのお店で作ることができてうれしかった。青いのはワックスといわれるロウみたいなもので、これを削って自分で形を整えていく。これが原型となって、型どりをした中に金属を入れて作るというもの。作る過程もとても楽しかったし、本当にここで作ることができてよかった。

意味を考えた10月

わたしが中途半端な雇用形態で復帰したせいで、振れる仕事がないようだった。上司からは、今の業務量がどうかとか、これできそう?とかそういう確認やコミュニケーションは一切なく、たまにスポットでできた仕事をポイっと振られる。復帰後は一応 アシスタント 的なポジションになり自分から仕事を取りにいったりするわけでもないので、基本的に誰かに仕事を振ってもらう。でもあまりにも無い。本当に「自分がここで働く意味」を考え続ける時間が多かった。同じ部署の他のメンバーにも「何か雑務とか手のかかる業務とかあればやらせてもらいます!」って仕事を振ってもらえないかお願いしたり、別の部署の先輩に「何かわたしにできることがあればお手伝いさせてもらいますので!」と連絡したり、あからさまな【お荷物感】に嫌気がさし始めていた。うつからの復帰にはこれくらいのペースがいいのかもしれないのか?とも思ったけど、ペースを調整しているというわけではなく、これはもう単なる放置だった。

なんだか長くなってきたので一旦ここまで。
11月以降といま・これからについては次のnoteで。

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