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PDCAサイクルでは何故イノベーションが生まれないのか?

最近自動化された空港の出入国ゲートは、顔認証を使っていて手続きがスムーズだ。画期的ではあるが、これはイノベーションでもなんでもない。迅速化という明確な目的に対して、やればできると最初から分かっていたことを形にしただけだ。

イノベーションにはDCAPサイクル

イノベーションには、PDCAサイクルをDから始めるDCAPサイクルが必要だ。「サイクルなんだからどこから初めても同じ」と思うかもしれないが、実は大違いである。

Dから始めるメリットは、先入観を持たない真っ白な心で、問題の観察・観測ができることである。多くの観測から一定のパターンや共通項が見つかり、「一時的仮説」を提唱できる。次にその一時的仮説が正しいか誤っているかを検証する実験をする。実験が予想した「仮説を支持する」にならなかったら(C)、予測と違った部分を詳細に観察や解析(A)することになる。そこで何らかの発見が出てくるはずだ。そして次に何か別のことを観測(D)する必然性がでてくる。ひらめきや思いつきでやってみることも時には必要だ。[1]。

このサイクルは、トライ・アンド・エラーの繰り返しであり、これこそ先日紹介したサイエンスの方法そのものである。

イノベーションと呼べるもの

例を挙げてみよう。NHK朝ドラで皆さんご存知であろう、日清食品のチキンラーメンや、世界最速での定時運行ができる新幹線(車体、地上設備、運行システム全体)、回転寿司のコンベヤシステム(元祖廻る元禄寿司)、音楽を持ち歩くことを可能にしたSONYのWalkMan、生産性を上げつつコストを下げるトヨタ自動車のジャストインタイム生産管理、ブランドを見せないブランド「MUJI」、掃除機とモップの隙間をうまくついた花王のクイックルワイパー、10分で仕上げるQB Houseの散髪などだ。もちろん世界に目を向ければ、紙おむつ(P&Gのパンパースが世界初)、スマートフォン(AppleのiPhoneが世界初)などもある。いずれもそれまで世の中になかった物で、ユーザーに革新的な利便性をもたらした。

PDCAは宗教と同じ

一般に言われるPDCAサイクルはPから始める。つまり紙の上でいろいろと仮説を立てるということだ。これは先入観で自分をがんじがらめにすることに他ならない。自分や組織が持っている知識と経験の範囲内でしか物事を考えられなくなってしまう。まさに「木を見て森を見ず」状態であって、これはイノベーションの目的からすれば致命的である。

また、このやり方だと、一所懸命に考えた自分の仮説と恋に落ちることになる。こうなると、自分の仮説を支持するデータを見つけ、仮説と矛盾するデータを見落とすことになる。しかもこれは無意識に起こる。心理学ではこれをconfirmation biasと呼ぶ[2]。「そんなばかな」と思うなかれ。恋は盲目なのである。ひとたび美しい仮説に魅了されてしまうと、その泥沼から抜け出すのに、膨大な時間を浪費することになる。

ノーベル賞受賞者でさえ、この泥沼にはまることがある。1700年ごろから「光は波動であり、波にはそれを伝える物質が必要だから、宇宙はエーテルという物質で満たされている」という仮説があり、物理学者たちの間で盛んに論争されていた。技術革新により様々な測定が可能となった19世紀後半には、多くの物理学者がエーテル仮説を立証すべく、それぞれが独創的な方法でエーテル検出を目指す。Albert Michelsonもその一人であった。彼は1869年頃から様々な測定のトライ・アンド・エラーを繰り返し、ついに1887年の実験で「エーテルは存在しないとしか説明できない」と発表。18年にもわたる仮説との恋に破れた瞬間であった。Michelsonはその功績によって1907年にノーベル賞を受賞。物理学界全体としては、この仮説は200年にもわたって真剣に考えられていたことになる。

もっと極端な「仮説との恋」は宗教である。「神が最初に世界を作り、動物や人間を地球上に誕生させた。」「地球は宇宙の中心である」などというバイブルの「仮説」からはじまり、それを証明するために教会が様々な活動をする。その結果、これらの仮説が紛れもない真実であるように見えてくる。多くの魔女狩りも行われたし、三十年戦争では八百万もの命が失われたとも言われる。進化論や太陽系の運動などの真実が見えるまでに1700年もかかったのだ。仮説から始める事がいかに危険かが分かるであろう。

土俵に代わるリングを勝手に作れ

日本の高度経済成長時代は「木を見て森を見ず」のPDCAがおそらく最適な方法であった。当時の日本に必要だったのは、すでにアメリカ企業などによって市場での勝ち負けのルールが決められた試合に勝つことだった。自動車ならエンジンの効率を上げ、コストを下げ、故障を減らし、騒音や排ガスを減らすことなどだ。これらはその土俵の上で、PDCAを使っての改善改良のみで可能だった。

しかし21世紀は、土俵に代わる試合のリングと新しいルール自体を一から率先して作り、そこで勝負するイノベーションをしなければ勝てない。

寿司は、寿司屋のカウンターで板前さんと会話しながら食べる高価なものだったが、回転寿司のコンベヤシステムによって、ファーストフード並みの価格での提供が可能となり、今や子ども連れでも気軽に行ける大型店同士の競争の時代になった。

小売業は、生活圏という土俵の中で、立地条件やフロア面積などという武器でもって戦っている。Amazonは、それらファクターが無関係となるオンラインショッピングという新しい競争の場を作った。そこには国境すらも無い。

男性の散髪は、全国理容生活衛星同業組合という価格カルテルに守られた3500円という一律料金で、しかも1時間以上かかるのが普通だった。QB Houseはハードウェアと賃金体系などのイノベーションによって、1000円でしかも10分で仕上げることを可能にし、急速に全国展開した。今では香港やシンガポール、そしてアメリカにまで進出している。

音楽鑑賞はレコードやカセットテープを家で聞くものであった。大型高級オーディオコンポやラジカセが競争の場であったところへ、SONYはWalkManで音楽を持ち歩くことを可能にした。いつでも音楽に接することが可能となった現在の競争の場は、デジテル化に始まり、コンパクト化やヘッドホンの性能やデザイン、さらには音楽の売り方にまでシフトしている。

PDCAでは特許もとれない

私の経験上PDCAでは特許は取れない。いいアイデアを思いついて実験結果が予想通りの場合はやはり嬉しい。しかしこのような場合、先行文献を調べると、同じようなアイデアを世界のどこかで誰かがすでに考え出していることがほとんどである。

一方、トライ・アンド・エラーを何サイクルも経た結果、最初のアイデアとは全く異なる解決策が製品という形になることもある。このようなケースは特許として成立することが多い。その要因は、トライ・アンド・エラーの中で、(1) 誰もが見つけていなかった問題そのものを見つけ、(2) その解決策を見つけたからだ。言い換えると、他社はその問題さえも見つけられていないということだ。

どのような試合のリングをどこに作るべきかは、トライからはじめ、エラーで問題を再定義し、それを解決すべくトライすることの繰り返しからしか見えてこない。イノベーションにはDから始めるDCAPサイクルなのだ。PDCAサイクルからはイノベーションは生まれてこないのである。

Reference
[1] Kahneman, D. (2011). Thinking Fast and Slow. New York: Farrar, Straus and Giroux
[2] Shermer, M., When Science Doesn’t Support Beliefs, Scientific American, 309 (2013) 81

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