コミュニケーションをAI翻訳に頼ることの危険性
前回の「正しい文法も一つではない」「ネイティブ発音なんて気にしなくていい」で、少しは視界が晴れたでしょうか?英語でコミュニケーションを取ることは何も特別に難しいことではありません。あなたにも必ずできます。英語が全くダメであった私でもできたているのですから。必要なことは、時間の積み上げと集中力と「英語でコミュニケーションを取りたい」という強い願望を維持すること、そして効果的なトレーニングを積み重ねることです。
「そうは言ってもこれからはAI翻訳の時代。アプリが会話を助けてくれる」と思うかもしれません。そう思いたい気持ちもわからないでもありません。AI翻訳の技術を開発している人の立場からは、「人間が英語を学ぶのに時間を費やすよりも、むしろ機械がきちんと翻訳できるような綺麗な日本語を使うことの方が大切だ」という極端な主張もあります[1]。
コミュニケーションは考えや気持ちを伝え合うこと
はじめに結論を言っておきます。会話をAI翻訳(人によるプロの同時通訳も含む)に頼ることは、はじめからコミュニケーションの最も大切な部分を放棄していることです。コミュニケーションというのは、相手の頭の中、心の内を理解することと、自分の考えや気持ちを伝えることだからです。ビジネスという「ドライな」部分は、AI翻訳や通訳を介しても問題なくできます。しかしそれでは人と人が心で交わるコミュニケーションのピラミッドの土台が築けません。だからブレークスルーにつながるようなビジネスにもなり得ません。
ビジネスの会議の後にディナーでお酒を酌み交わすのは、なんのためでしょうか?人と人として理解し合うためであり、さらに突っ込んでビジネスのアイデアを交換するためですね?大きな会議や討論会のことを英語ではsymposiumと呼びます。元の意味はギリシア語のsymposionで、「一緒に酒を飲む」ことです。つまり昼間の会議の後に一緒に酒を飲んでこそ、本当に意味のある討論ができるからです。これこそがコミュニケーションで、時代が変わっても万国共通の人間社会の真理です。お酒の場所でもAI翻訳に頼るということは、コミュニケーションを放棄することと同じです。
いくつか例をあげるとわかってもらえると思います。まずは極端な例です。
京都文化、わかりますか?
あなたは京都の街中の知人宅を訪問しているとします。あなたは京都人ではありません。お茶菓子をいただきました。だいぶ長いこと話し込んで、そろそろ夕刻です。そこで、「ぶぶ漬け(お茶漬けのこと)いかがどす?」と聞かれたらあなたは、「お腹すいてきただろうから、夕食とまではいかなくても最後にお茶漬けくらいいかがでしょう?、つまりもうちょっとお話ししましょう」と勧められていると思うかもしれません。しかし京都の人のこの言葉は「もうお帰りなはれ」という意味だということです。これをAI翻訳を通して会話することを想定してみましょう。正しい「翻訳」は「そろそろお帰りあそばせ」でしょうか?表面的な意味はそうですが、それでは「言うのは失礼だ」、「言いたくない」、あるいは「言ってしまってはお付き合いにならない」という京の人の気持ちが無視されてしまっています。
2025年を想像してみよう
では二例目。2025年です。あなたが日本語を話すと、メガネのフレームについた極小スピーカーから、一瞬遅れて流暢な英訳が流れます。相手はそれを聞き、英語で会話ができる。あなたはイヤホンから一瞬遅れて(後述)日本語訳を聞く。国連やNHK並みの同時通訳を常に自分専用に身につけている状態です。さて、あなたは英語圏の職場に突然転勤を命じられました。あなたは全く英語に自信がない。でもこのデバイスがあるから大丈夫です。本当にそうでしょうか?
この職場であなたは、「帰宅時間は自由だ。付き合いで残業なんてしなくていい」ということを学びました。先に帰るときは「お先に失礼します」と言って、スピーカーから “See you tomorrow.” と相手に伝わる。同僚の返答は “See you.” であったり “Have a nice day” であったりするでしょう。あなたはには「お疲れ様」という翻訳が聞こえている。金曜日だと相手は “See you next week.” あるいは “Have a good week end.” と言っているでしょうが、あなたには「お疲れ様」と聞こえている。一応会話としては成り立っています。
しかしここには大きな問題があります。言葉の根底にある気持ちの食い違いが横たわっていることにあなたも相手も気づかないままでいるのです。「お先に失礼します」には文字通り「先に帰ることが他の同僚に対して礼を失する」つまり「良くないこと」という意味がその根底にあります。それに対する返答「お疲れ様でした」には、仕事で疲れたであろうことに対する理解と感謝の意味がこもっています。
英語圏での ”See you tomorrow.” は、「明日また会うことを楽しみにしてるよ。」という意味があります。つまり「自分は明日元気にまた出てくる」という意味です。”Have a nice day / good week end.” は、仕事を早く切り上げることのできた人に対して「残りの時間(あるいは週末)を楽しんでね」と言っています。つまり日本の挨拶とはその観点が全く異なるのです。
では、AI翻訳があなたの「お先に失礼します」を、例えば ”Sorry to leave earlier than you.” と訳したらどうなるでしょうか?相手は”No, no. It’s fine. Why are you feeling sorry?”と驚くことになるでしょう。逆はどうでしょうか。同僚が先に帰るときにあなたはAI翻訳の「お先に失礼します」を聞いている。あなたは「お疲れ様でした」と言う。AIはあなたの気持ちをそのまま ”Thanks for your tiredness.” と言ったとしましょう。相手は、”No, I’m not tired. I’m going to play a half round of golf today.” なんて返ってくるかもしれません。
「英語の感覚」を身につけることが肝要
英語という言葉だけでなく「英語の感覚」を身につけることが肝要なのです。しかしAI翻訳に頼っていると永遠に不可能です。
このように挨拶の仕方一つをとってみても、言葉が違えばその根底にある考え方や価値観も異なるのです。言葉と価値観は表裏一体なのです。多くの日本的感覚や価値観を他の言語で説明することは難しいし、その逆もまた真なのです。そしてこのような価値観の違いに気づくには、実際に異なる文化圏の人と、生身の人間同士として付き合い、経験を積むしか方法はありません。そのためにはあなた自身が相手の言語をマスターすることが必要なのです。AI翻訳に頼るということは、このことを全く無視することになるのです。
英語をマスターするということは、異なる価値観や考え方を身につけること。つまり人格が変わることでもあるのです。そしてそれはバイリンガルでは当たり前で、何も悪いことではないのです。バイリンガルやマルチリンガルの人は、使う言葉が変われば価値観が変わるということは実験心理学でいくつも証明されています。
(余談ですが、国連の安全保障理事会でいつも意見が割れるのは、国としての立場が違うというよりは、あの丸テーブルに座っている人たちの間で真のコミュニケーションができていないからではないかと私は思っています。皆、通訳機を使っていますから。)
補足:AI翻訳のタイミングのズレについて
日本語と英語は主語、述語同士、目的語の順番が逆になります。だから日本語の多くのセンテンスは最後まで聞かないと、英語のセンテンスの最初の方が決められないし、その逆もまた真なのです。自分の日本語がリアルタイムに英語になり、相手の英語がリアルタイムに日本語になって、自然な会話が成立することは物理的にあり得ないのです。ちなみに日露戦争の後の日露講和条約の交渉で当時の外務大臣、小村寿太郎はロシア語が堪能なことを隠して通訳に訳させながら、考える時間を稼いでいた[2]という有名な話があります。
[1] 大竹 剛, 翻訳AIの進化でこれ以上の英語学習は不要?専門家NICT隅田氏に聞く、AI時代に必要な英語力, 日経ビジネスオンライン, Dec. 11, 2017
[2] 吉村 昭. (1983). ポーツマスの旗, 新潮文庫
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?