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永遠の門 ゴッホの見た未来(2019) ー迫り来る美の暴力ー

 世界中の多くの人々がそうであるように、私もまたゴッホという人物に強烈に惹かれている一人である。彼の目に映る自然の美しさや耳に入る言葉はいつだってtoo intenseであり、彼にとって「自分らしく生きる」ということは大きな困難を伴っていたのだと思う。

 本作はパリから南仏アルルに移ったゴッホが情熱の赴くままに生きた姿を描いた伝記的作品だ。ゴッホ役を演じたウィレム・デフォーの鬼気迫る演技には目を見張るものがあるし、吹き抜ける風の匂いまでしてきそうな美しい映像の数々は圧巻の一言。ゴッホが感じていた自然への畏怖、逃れられない生の苦しみや芸術への渇望。それら全てを凝縮した本作はまさに、見方によって印象が変わる絵画のような映画に仕上がっている。


〈あらすじ〉

画家としてパリで全く評価されないゴッホは、出会ったばかりの画家ゴーギャンの助言に従い南仏のアルルにやってくるが、地元の人々との間にはトラブルが生じるなど孤独な日々が続く。やがて弟テオの手引きもあり、待ち望んでいたゴーギャンがアルルを訪れ、ゴッホはゴーギャンと共同生活をしながら創作活動にのめりこんでいく。しかし、その日々も長くは続かず……。作品が世に理解されずとも筆を握り続けた不器用な生き方を通して、多くの名画を残した天才画家が人生に何を見つめていたのかを描き出していく。

映画.com

〈感想〉

 本作が描いているのは、以前ご紹介した本に書かれているのとほぼ同じ期間だと思われる。多くの方に記事を読んで頂けたようで嬉しい。


 美しい景色を求め画材を背負って歩き続けるゴッホ。木々の合間から降り注ぐ光、吹き抜ける風。ゴッホが愛してやまなかった剥き出しの自然の美しさが、画面いっぱいに描かれている。弟テオやその妻ヨー、画家仲間ゴーギャンのキャラクターも史実のイメージ通りだ。登場人物たちのセリフの一つ一つが詩の一節のようで美しい。何度も何度も読み返したくなる。

 ゴーギャンから共同生活を終わりにしようと告げられたゴッホは、慟哭とともに建物の外へと走り出す。その後に自らの耳を切り落とし、その理由を医者に聞かれて以下のように答える。

”僕の周りには危険な霊がいる
目には見えない
だけど存在を感じる
霊は僕を脅迫する
僕の心臓を刺したがっている
霊を僕から切り離そうと思った”

 切り落とした耳はお詫びの印としてゴーギャンに渡したかったようだ。

ゴーギャンとゴッホ


 映画後半、療養院の医師役でマッツ・ミケルセンがワンシーンのみ登場する。何とも贅沢な登用だが、さすがは名優。二人の静かなやりとりを通して、ゴッホを理解したいが近寄れない複雑な心情を表情や声色だけで表現している。ゴッホは彼にこう呟く。

” Sometimes I feel so far away from everything."
(ときどき全てから遠く離れていると感じる)

 こんなに分かりやすく正確に「孤独」を表現できるゴッホは、きっと恐ろしいほど長い時間、自らの内なる敵と向き合ってきたに違いない。

 ゴッホの作品が雑誌に取り上げられ、彼を絶賛した批評が掲載される。ゴッホ自身はお気に召さなかったようだが、何とも素晴らしい表現だったので私はすかさずメモに残した。引用する。

”サファイアやトルコ石のように輝く空の下で
あらゆる光の効果の絶え間ない奔流の下で
重い炎の燃える中で
奇妙な自然が不安定に描かれる
それは現実的でありながら超自然的だ
過剰な自然の中で
人と物が、光と影が、形と色が
荒れ狂う意志を持って湧き上がり立ち昇り
自らの本質的な歌を甲高く叫ぶ

自然の全ては歪められる
形は悪夢になり色彩は炎に変わる
光は大火災に、命は激しい熱になる
これが初めてゴッホの作品を見たときに網膜に残った印象である

芸術の偉大な伝統からどれほど遠くへ来たのか
描かれた肉体や物質から放たれる香気
かくも直接的に感覚に訴えてくる画家はいない
真の芸術家ゴッホは誰よりも傑出している”

 ゴッホはやがて銃弾に倒れるが、この作品では自害ではなく少年たちに撃たれたというシナリオになっている。使用した拳銃が見つかっていないことなどから、この説を支持する意見も多い。彼が受傷してから息を引き取るまでには30時間を要した。その間は話ができる容体であったにも関わらず、ゴッホはどういう訳か受傷した経緯について一切語らなかったと言われている。

 最後にあと少しだけ彼の言葉を紹介したい。

”僕は悲しみに喜びを見出す
悲しみは笑いにまさる
知ってるか
天使は悲しむ者の近くにいる”

”人は僕を狂人というが
狂気は最高の芸術だ”


 この映画を観て変わったこと。それは、短いように思える37年というゴッホの生涯は、実は彼にとってちょうど良い長さだったのではないかと感じたことだ。

 ゴッホにとって「生きる」とはすなわち燃えたぎる情熱の中に身を置くことに他ならず、常に衝動的、開放的でありたかったのだと思う。そのあまりの熱量が時に周りの人々に火傷を負わせても、俗世的な生き方はできなかったのだろう。決して消えることのない炎はキャンバスの上で今もなお燃え続け、彼の作品を見つめる私たちの胸を熱くする。

ひまわり(1889年)


 残念なことにアマプラでは今月で配信終了になるようだ。鑑賞するなら今のうちに。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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