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「海外行った程度で人生観なんか変わらない」という深刻なインポテンツ

題名の通り、「海外へ行った程度で変わるほど浅い人生」と他人の感性を揶揄する人を時々お目にかかる。これは「こんな動画じゃ勃たねぇよ」となぜかポルノ耐性を自慢したがる中高生を彷彿させる。いざ画面越しに覗いていた世界が目の前に広がって、パンツをずり下ろすその瞬間まで事の深刻さに気がつかないように、変化のない人生の中ですっかり萎みきって人の言うことを聞かなくなってしまわないだろうかと心配になってしまう。

「人生観」や「世界観」という言葉を他言語に翻訳するのは非常に難しい。翻訳しようとすればするほど、極めて主観的な表現であることに気づかされる。それでも日本人はこれらの言葉を頻繁に使うということは、我々は無意識にも相手の心理状態を読んだり察することによって意思疎通ができているということになる。この読む・察するコミュニケーション方法は、西洋ではほとんど通用しないので、これらの言葉の翻訳が困難であることも容易に理解できる。話は少し逸れたが、ここでは、何かしらの刺激によって既存の価値観に変化が起こる状態のこととして話を進めようと思う。

何もわざわざ海外まで行かなくても、たまたまバスで隣に座った老人の何気ない一言が胸に刺さるかもしれない。ただ、同じ言葉でも刺さらない人には決して刺さらないのだ。この違いは、感性以外にないのではないだろうか。私の場合は以前の記事に書き上げたように、初の海外旅行先のカンボジアで、たった一人の孤児の生き様に心を打たれた。これは特大のバイアグラを喰らわされた感があるが、正直それまでの私の心は脈も打たずにすっかり萎んでいるという様子だった。この一撃を喰らった後は、すっかり血行が良くなってみなぎってきたという感覚である。ただ、この一撃を逃していたら私は確実に人生不感症に悩まされていただろう。

海外を訪れるということは、一番手軽なショック療法でもあると考える。日本で何をやっても萎えてつまらないと感じているなら、文化の全く異なる世界へ自分を放り込んでやるという荒治療が効くかもしれない。人を傷つけたり自分を傷つけるまえに、少し時間を割いて実験のつもりで飛び込んでみれば良い。私の場合、あのカンボジアでのバイアグラショットから早十年ほど経つことになるが、興奮状態はほぼ冷めていない。たちんぼうである。それは現在に至るまで海外に身を置いていることから察していただけると思う。ただバイアグラとの大きな違いは、世界観や人生観が変わるというのは一時的なものではなく、その後の人生全てに影響を及ぼす力があるということだ。いや、それまでの人生を全く異なる視点で見直すことも可能になる。

日常に飽きてきたり、どうも愚痴が溢れてくるようになってきたら、性感マッサージならぬ"感性マッサージ"が必要な時期かもしれない。こうして書き綴っていると、私はある意味まだ治療中なのかもしれないと思えてきたが、治療を断ち切るくらいなら人に馬鹿にされながらでもお盛んな人生を歩み続けたいものだ。

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