挫折と希望

かつてはブログで小遣い稼ぎを企んでいた著者である。

しかし、やたら記事の内容や文章へのこだわりが強いために全く筆が進まず、ようやく何か書けたかと思いきや、読者にとって全く馴染みのないマイナーなトピックと、私のアクが強すぎる文章によって、友人の間ですら話題にならず見事に頓挫した。

noteに登録して10分も経たずしてこの初回となる記事を書きはじめているが、これはかつての煩悩を捨てたことを意味する。ただ単純に、頭にポッと浮かんだことを、私の趣味を、私の奇妙で希少な経験を書き殴る場所としてnoteを活用するつもりだ。アクの強い書き方も避ける。そして、もしかすれば、私の言葉が誰かの目に留まり心にも留まればよい、それくらいの意気込みである。

勇み足気味だが、私の奇妙で希少な経験とは、日本人がほとんどいない環境で経験した、ほかに例のない物語だ。今やありふれた海外経験談を聞くよりはずっと旨い酒の肴になることは間違いないだろう。...時には著者への皮肉を含めて。随時小出しにするので乞うご期待。

プロローグ

ヨーロッパに移って数年が経過するが、私は生まれも育ちも日本の田舎である。両親も純日本人。双方の家系で、戦争を除いて海外に住んでいた人間は、私以外に一人もいない。一人っ子として、親の愛情を十二分に注がれて育った。

小中学では楽しく順調な毎日を送っていたが、それまで真っ直ぐに紡がれていた糸が縺れ出したのは高校だった。というのも私が、冒頭で述べたように奇妙で希少な経験でしか快楽を得られない人間であるのは、幼少時から変わらない。ところが両親や塾講師の前では徹して真面目に振る舞っていたせいで、お利口さんは進学校へ入れましょうという流れになってしまったのだ。ここまでくるとなんだか変な負い目を感じてしまい、結局進学校への道を選んでしまった。しかし入学直後から目の当たりにした、高校生活を大学受験に全てを捧げるやり方、いわゆる詰め込み教育が奇妙で希少な経験とは掛け離れていることは明らかである。授業中は寝ていたので、高校の記憶といえば部活動の剣道のみである。こうして一流大学進学への道は目にも鮮やかに崩れ去った。

自分が招いた結果ではあるが、高校生の私には”将来”というものが存在しなかった。お先真っ暗というやつである。選択肢は就職か進学、やりたいこともわからなかった私は、時間稼ぎのためだけに、いわゆるFラン大学へ進学した。しかしただ大学へ進学したからといって学業への熱意が生まれるわけではなかろう。私が大学の二年間を寝て過ごしたことは想像に難くない。結局この大学は中退した。

バイトに溺れながら年月が過ぎ、同級生の友人達が大学卒業・進学・就職を果たした瞬間である。私は初めて、これまでの人生で何一つ手にしたものがないということを理解した。ハタチになるまで、こんな単純なことに気がつかなかったのだ。高校時代から見て見ぬふりをしていた劣等感という虫歯はいよいよ神経を蝕み始める、まるでこれまでの怠惰を激痛で思い知らせてくるように。先が暗くて見えない、だから後ろを振り返る。何か落とし物をしてきたかもしれない。一日中探し回って、何も握りしめていない手を見つめて絶望する。そんな毎日が何ヶ月と続いた。そしてこれまでの生き方を反省した。私がいつからか、環境のせいにして学問を侮っていたのは確かである。大学を辞めた=敷かれた人生のレールから脱線したことの代償の大きさに気がついた瞬間、まるで自分だけ自転が止まったかように、周りの全てが容赦なく、凄まじい勢いで歯向かってくるのである。こうして私はついに完全になぎ倒された。私は"自信"というものを完全に失っていた。"自信"がなければ人は寄ってこない。しかし、"自信"をつけるには人から認められなくてはならない...

いや、果たして本当にそうだろうか?そもそも、これまでの人生、何か成し遂げようとしたことはあっただろうか?高校には推薦で入学した為に、受験の合格の喜びや達成感を知らない。大学受験すらなおざりにした。何も成し遂げていないから、達成感を知らないから、こうなったのではないだろうか。逆に、今なにかできることから成し遂げていけば、いつか自信につながるんじゃないだろうか。地道に、些細なことでもいいから、何かを成し遂げる...

思考が切り替わっただけなのだ。しかしこの瞬間、心の奥底で消えかけた火種は再び燃え上がった。もう来るところまで来てしまったじゃないか、レールなんて考える必要はない。自信をつける為なら好きなこと何でもやりゃいい。もうどうにでもなれ!こうしてまず最初に思い描いたことが、英語を身に付け海外で生活している自分の姿だった。

というのも、幼少期から父親に叩き込まれた『洋楽・洋画』という名の英才教育によって、英語だけはずっと成績が良かったのだ。英語は自分のスキルで一番伸び代があるだろうと確信していた。
そして大学時代、初めて訪れた異国での衝撃を身体は常に求めていた。というのも、散々な大学生活を完全に断ち切るきっかけになったのはこのごく短期間の旅行にあった。今日も少しも変わらずに輝き続けているこの記憶は、次回の記事で詳しく述べることにする。

幼少時代から馴染み深かった英語、そして自分の知らない世界への探究心が、私を日本の外へ外へと押し出したのだった。


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