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ニュートラルな状態で、口ずさむ唄


料理の下処理は、なんだってこんなに楽しいんだろう。

相手へのプレゼントや、おもてなしもそうだ。


どうしてこんな感情になるのかなあ

なんてどこかで思いながら

ただただ作業をこなしていく。


もちろん、思いは込めるけど、

その途中にはニュートラルな時間がたくさんある。


幼かった私は、確かにピアノの時間を表現の時間にあてることもできた。

でも、あの作業の時間は、私がただ私である時間だったのかもしれない。


それはとても豊かな時間であって、何も考えないで静かに、

ピアノの音色と膝の上の猫と、私だけがいる世界だった。


人は余裕がなければ、表現するところに行けないのかもしれない。

アウトプットとスループットの別は、そういうところにある気もしてくる。


私は中一でそのエネルギーを手に入れることができた。

母と向き合うエネルギーができたのも、

あの経験があってのことな気がしてきた。


中学の3年間、音楽に向き合い、自己を受容し、

それを表現に変える力を手に入れた。


だから、高校で、新しく骨と出会って、

私たちだけの世界に入り込むことができた。


そうして、親の過去、先祖代々、進化の、すべてを知る勇気を得た。


今、私が、それぞれのトラウマやあらゆる関連する事象に向き合い、

調べ、知り、考えることができるように、

なんらかの新しい活動は、そんなエネルギーを作り出せるのではないか。


インプットとアウトプット、スループットの循環のうち、

スループットはもしかしたら自己受容の話なのかもしれない。


そこからアウトプットするエネルギーが出てきて

インプットをやっと受け入れられるようになり、

他者と共同体になっていく。


このサロンで、その仕組みの一端がわかってきたり、

そんな人が一人でも多く出てきたりしたら、

それはなんと喜ばしいことか。


私たちは、希望の地平線をたどっている。

きっとこの先に、大きな大陸があるんじゃないかと、

そんな高揚感と共に立っている。

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