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「さて、料理教室でもやるか。」


「料理教室をやろう」
そう思った経緯は、全く説明がつかない。

ほとんど突き動かされるままに
動いているときは、

何か新しいことを始めるときも、セラピストになったときも
もちろんそうだったけど

自分の意思とはあまり関係ないところで
物事が動いている気がする。


「本当にやりたいこと、
魂が望んでいることほど抵抗が強く出る」

というのは、セラピストの仕事をしていて
「自己開花」とか「夢を叶える」とか「やりたいことをやる」
みたいなキーワードと共に
ひとびとを見ていると、「ああ、抵抗している抵抗している」

あからさまなのだが、

自分のときに限っては、それが明らかだとわかっていても
うんざりするほど無駄骨の抵抗は続く。



その後

2017年春、

思い立つがままに

「あ、料理教室やろう」
とアクセルを踏んだ時点で

ついにそれまで抵抗し続けてきた部分に
降伏し、
腹がくくれたのだと思っていた。



抵抗をやめると、自然の摂理どおり、通常ものごとは突然流れ出す。
のかと思いきや
とんでもなかった。


そのときの場合、

まず先に動いてしまったあとで
決めてしまった後で、

ここまで激しい抵抗に苛まれることになろうとは
当時、想像だにしていなかったのである。



なんとなく一応最初から、

「おれは料理教室なんて
ほんとはやりたくないんだぜ」的な空気を
醸し出してはいたが

ある料理教室イベントの直後、

完全に全ての化けの皮剥がされて
カッコつけた不良は
田舎のダサい粋がった坊であることを
突きつけられたのである。



わたしは料理なんてしたくない。
料理なんて死んでもごめんだし、

食に関してとことん追求しすぎて
ほとんどノイローゼになった過去を忘れたのか。


イベント後、宿泊先に移動する車の中で

モヤモヤがついに爆発して
あふれんばかりの感情がほとばしったとき、

次々にあぶり出されたのは
幾重にも重なった、
醜い自分の姿の数々であった。


「わたしは料理なんぞ
死んでもやりたくないのだ。
やりたくない。」



最初からそう言って、そう書いて、自分で立ち上げた
女神の台所を運営することから

逃げて逃げて逃げ続け、
ついに

完全降伏への道以外が封鎖された、
途方に暮れた瞬間だった。




セラピストとして生きることも
女神として生きることも
書くことも
声を使う仕事も

長らくの抵抗ののちに
幾分か諦めて現在に至る。




セラピストとして生きることを決めたときは潔かった。
潔かったというか、すでに十分10年以上にわたり抵抗を続けてきたので、
諦めたその日から、

わたしはセラピストになったのだ。




「食」



これが最後であってください。
もう無駄骨はごめんです。



と泣きながら車の中で懇願し、




「さて、料理教室でもやるか。」

というフレーズが、頭をよぎった。









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