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【映画】かがみの孤城 感想と解説?考察? ネタバレあり

今回はアニメ映画「かがみの孤城」について書きたいと思います。
ちょっとまとめて映画をレンタルしてしまったので返却期限がヤバーい!!!!と、久しぶりにあれやこれやと忙しなく映画を見ているのですが、その中の一本がこの「かがみの孤城」です。

劇場版クレヨンしんちゃんの「オトナ帝国」や「戦国大合戦」なんかで有名な原恵一監督の最新作ということで気になっていたこの映画、個人的に原恵一監督作品はクレしん映画の他にも「河童のクゥと夏休み」や「バースデーワンダーランド」などを見た時にも非常によくできていると感じ、全部好き、ファンですというのとはちょっとだけ違う気もしているのだけど、とりあえず、この人の作る映画は信頼できると言えばいいのか、とにかくハズレ無し感が凄い監督だという印象があります。

そんなわけで今回、原恵一監督の最新作である「かがみの孤城」がレンタル開始されていたのでCM見た程度の前知識でとにもかくにも原恵一作品だしというだけ見ることにしました。

今回は最初から完全にネタバレで書きます。
記事のタイトルに解説と入れたのは、劇中の謎は劇中でほぼ語られるので謎を紐解いて真相はこうなんじゃないかと考察するというよりも、あくまで私はこう解釈しましたという説明をした方がいい気がしたからです。
なので、解説とは書きましたが私の勝手な解釈の話です。

というわけで、以後ネタバレです。


映画全体を通しての質の話

具体的な内容の前に、とにかくこの映画全体的に質が高いなーと感じました。

原作小説があるというのを知って、自分は原作は未読なのですが、じゃあ原作ファンの方からするとちょっと駆け足な部分もたぶんあったんじゃないかな?と映画を見ていて思いはしたのですが、たぶん映画的にはこれで正解、例えば各子どもたちの現実社会での辛いエピソードがダイジェストっぽく流れますが、小説の文章として読むともっと長く語ってるように感じるんじゃないかな?

でも、そこを映画で長く見せられると辛すぎて重くなっちゃうし、こんな可哀想な子どもが現実にもいるんだー!ってメッセージというかお説教感が強くなりすぎてしまう気がします。

この映画はドキュメンタリー作品のような現実の辛い現状を伝えるための映画ではないと思うので、そういう意味でいいバランスで作られていると思いました。

バランスの話で言えばもう一つ、孤城の謎、鍵のありかですが、それもやはり謎解きミステリーのように色んなヒントを集めて絶対に鍵を見つける、視聴者も一緒になって謎の解明に頭を悩ませるというのが目的の映画でもないので、劇中の子どもたちも鍵を探してはいるものの一向に進展なし、あくまで子どもたちの関わり合いのためきっかけとしての鍵探しになっていて、明らかに鍵探しという謎はあるのに見ながら謎の解明に頭がいかない面白いバランスだったと思いました。
自分は、後から考えてみれば普通に、むしろ分かりやすいくらいヒント出まくりでリオンに至っては「赤ずきんはフェイクだと思う」とまで言っているのにオオカミと7匹の子ヤギに全然辿り着くことなく、絵のヒントというか答えが出てきて初めて「あー、そういやそんな話あったじゃん」と(笑)

そこから一気に鍵をゲットするまで進むのも、本題は謎を解明し、鍵をゲットすることじゃないからだと思う(もしこれがミステリーなら主人公のこころもオオカミとかくれんぼで鍵までの試練を突破するなどもうひと山あっていい)し、いままで謎解きにフォーカスしてなかったことでなんかあっさり謎が分かって肩透かしみたいなことになりにくいように作られている気がする。

また、登場人物のしぐさや言動など、細かい部分もちゃんと作られていて、例えば孤城での自己紹介のシーンでも、現実の学校での自己紹介のように最初の人がよろしくと言ったら皆前に倣ったように同じ自己紹介をしてアニメキャラとして特徴を出させるようなことはしないし、嬉野が怪我をして帰って来たり、アキが襲われそうになり明らかに普段と違う様子でやってきても深くは追及しない。
保健室の先生の態度もアキの時代とこころの時代じゃ違うなどホントにリアル。

そういうリアリティは大人目線で見てもちゃんとしているのに、ラストの伏線回収、実は時代が違ってましたや、アキは先生になって~という真相はむしろここまで言わなくても分かるじゃんというレベルでしっかり見せていて、ここは視聴する子どもへの配慮なのかなと本当に細かい部分にまで気を配って作っている気がしました。


パラレルワールドじゃなく時代のずれの話

個人的にストーリーとして一番凄いなと思ったのがこの部分。
この物語は色んな理由をかかえて学校に行けなくなった子供たちの話。
イジメや人との距離感が上手く取れない、家庭内の事情など色んな理由だけど誰しもが社会問題として知っていたり、あぁ~こういう奴いたなと思い返せる現実社会に通じる話。

それがパラレルワールドじゃなく一つの世界の違う時代ということに価値があると思う。

もし仮に、劇中でマサムネが推理したようにそれぞれが別の世界から孤城にやってきているパラレルワールドの住人同士というストーリーだったとしたら、つまるところ「自分と同じ世界には同じ境遇の理解者はいない」ということになってしまう。
そうではなく、この映画ではそれぞれ今は一人かもしれないが、同じ世界で時代が違えば、言い換えるといつの時代にも自分と同じ境遇の仲間はいる、だから今辛くても過去の仲間が助けてくれるし、自分は未来の仲間を助けるために大人になるという長い時間の中でのつながりの話になっている。

これは劇中にとどまらず、この映画を見ている私達にも言えることで、この映画を見た今子どもの人にとって、周囲の大人の中にアキ先生のような子ども時代には同じ境遇だった信用できる仲間がいるというメッセージになるし、今はもう大人な人にとっても自分が子どもの頃に辛い経験があった人にはもしかしたら自分も記憶が消えているだけで孤城に行ったことがあるかもしれない、自分よりも年配な人の中にも、また自分が大人になった今の子どもにも同様に仲間がいるという繋がりの話になって、世代関係なく映画を見た人全員が孤城に集まった登場人物と同じ関係性になれる本当に上手く老若男女全員を当事者にしたと思った。

まとめると、この映画は同世代には友達がいなかったとしても、自分と似た性質を持つ仲間は世代を超えて存在する、パラレルワールドじゃない、自分の世界に仲間はちゃんといるというなんとも前向きになれるメッセージが込められている気がした。


オオカミが暗喩するもの

孤城の中で起きる物語は「オオカミと7匹の子ヤギ」。

私はこのオオカミは主に二つのことを暗喩していると思う。
一つはオオカミ=死の暗喩。
もう一つはオオカミ=(悪い)大人

一番分かりやすいのは病気で亡くなってしまったリオンの姉ミオがオオカミ様だったこと。
別にあの孤城はオオカミ城じゃないんだから案内役までもがオオカミの仮面をつける必要はない。
リオンに気づかれない様に仮面をかぶるにしてもオオカミの面の必要はなく、例えばヒントを出すならヒツジの面、ミスリードを誘うなら赤い頭巾で顔を隠しても良い。

でも、そうならずにオオカミの仮面をかぶりオオカミ様となったのは、ミオは既に死が確定してしまっているから。

また、元ネタの「オオカミと7匹の子ヤギ」でも最後、オオカミは池に落ちて死ぬことになる。

現実世界でどこにも居場所がないと追い詰められたアキが17時を過ぎるとオオカミが来て食べられてしまうと分かっていながらそれでも孤城を出ようとしなかったのは、つまるところ自殺の暗示。

孤城のルールが連帯責任というのも、そんな追い詰められている一人を置いてけぼりにしてはいけないということとも受け取れるし、自殺は自分だけじゃなく自分を思ってくれている周囲の人をも不幸にするということとも受け取れる。

鍵を使ってアキを助ける、ルール破りを無かったことにするという願いがかなえられる形が、鍵のミラクルパワーというよりも仲間皆でアキをこっちの世界に引っ張り上げるという描写なのも自殺を思いとどまらせるということに見える。


それともう一つ、オオカミ=(悪い?)大人という見方をすると、

孤城が日本時間で9時~17時なのは日本人なら全員知っているであろうあの5時のチャイム。
日本では子どもがお家に帰る、自由に外で遊んでいいのが17時までだから。
それを守らずに夜になってもお外にいるのは危険。
悪い大人が近づいてきて食い物にされてしまう。

という見方もできるし、リオンの姉ミオの願いが叶ってこの孤城が出来たと考えると、願いをかなえたミオがオオカミの面を付けているというのは、ミオが死を受け入れるという代償を払ったとも、ミオが願いを叶えてもらった相手こそがオオカミ(大人のような子どもにはできないことが可能な力)とも見える。

ただ、ここで願いの話をすると

全員が願いの叶う鍵を掴めない、この中の一人だけと最初から決められていて、願いを叶えると孤城での仲間の記憶は消えるというのは、例えば芸能界のオーディションのようにも見え、一歩間違えると子どもを食い物にする悪い大人にやられてしまう。ミオは願い(孤城を作ること)の代償にオオカミ(大人)サイドにまわった、こころのように鍵を掴んで自由に願いを叶えるには他の人が脱落した意味でのバツ印を集め、悪い大人も届かない場所まで登ることが必要というとてもシビアな話をしているようにも見える。


このオオカミ=死、オオカミ=大人というのはどちらかが正解ということではなく、どっちも含むのがオオカミで、大人は子どもに比べて単純に寿命的にも死に近い。
上手く説明できないのだけど、孤城でもルールを守りさえすればオオカミは牙をむかない、そういう子どもが近づくには危険だけど極端に悪い悪意だけの塊みたいなものでもない微妙なニュアンスのものだと思う。


孤城とオオカミ様の願い

孤城はオオカミ様だったリオンの姉ミオが願い作り出した世界。
では、そんな孤城に何故雪科第五中のメンバーが集められたのか。
そしてリオンは何故一人ハワイにいて別の学校なのに孤城に来れたのか。

そりゃ姉のミオが呼んだんだろと言ってしまうとそれまでなのだけど、これ、病室のミオとリオンとの会話にあった一緒に学校に通いたいという夢を叶えるため、というか一緒に雪科第五中に行きたいということがミオの願いだったのではないかと思う。

つまり孤城が雪科第五中の代用であり、そこに通う生徒として6人+リオン。

なのでミオが憧れていた雪科第五中の生徒が選ばれる必然性があった。
そしてその中でも悩みを抱えており、オオカミ(死、自殺)と関わる可能性がある生徒が時代を超えて選ばれた。
孤城が9時~17時なのも1限目の授業から部活含めた放課後までの時間とも考えられる。

ただ、実際はリオンが中学入学の時、年齢差的にミオは既に卒業しているはずなので、だからミオは生徒役ではなくOB的な立ち位置としてのオオカミ様。あくまでまだお面のオオカミ、オオカミ(大人)になる前の高校生~大学生くらいな立ち位置ということではないか?


最後に、記憶は残ったのかの話

長くなってきたので最後に、劇中では明言されていない残された謎として孤城での記憶は残ったのかどうかということがある。

原作を読んでいないので、原作ではどう書かれているのか分からないが鍵の力を使ったので孤城での記憶はなくなるはず。
しかし、リオンだけはオオカミ様の言う「善処する」によっておそらく記憶が残ったのではないか、だからこそラスト、こころを見つけ声をかけ一緒に学校へとなる。

それはいいのだけど、ただもう一人、重要なキーマンになるアキについて。

アキは大人になり他の仲間の現実で寄り添うフリースクールの先生になるわけだけど、アキの記憶はどうだったのか、最後に孤城から出た後の結婚しキタジマアキ先生目線で見るフリースクールへ初登校してきたこころに「大丈夫だから大人になってこころ」という思いと、手を握る仕草からすると、アキも記憶が残っているようにも見える。

ただ、この「大人になって」が孤城でのクライマックス、アキがオオカミに食べられる部分を自殺の暗喩と考えると大人になる=大丈夫だよ生きてというアキがこころに助けられた時と同じになるので、記憶自体は消えていても自身の経験から無意識に心の中でフリースクールの子ども達にこういう接し方をしていてもおかしくはない。


正直、自分もアキの記憶は残っているのかどうかに決定的な答えは見つからなかった。

ただ、一つだけ言えるのは鍵の力でこころが願ったのは「アキを助けて、ルール違反を無かったことにして」
このセリフ、実は願いが「アキを助けて」と「ルール違反を無かったことに」の二つになっていると考えると、叶う願いとして優先されるのは最初の「アキを助けて」になる。

とすれば、そのための道は開かれたが、実際にルール違反を無効に、正確にはルール違反適用から復帰させたのはこころと仲間がアキの手を取って連れ戻した自力になっているとも考えられる。
もうちょっと書けばルール違反が無かったことになっていたらそもそもオオカミに食べられたところからみんなで生還しその記憶自体が残っているのも変になる。

と、するとだ、こころの願いである「アキを助けて」が叶うためにはこころ始め仲間の存在が必須になるので、大人になったアキ先生が各時代で仲間に寄り添い助けているのは回りまわって自身を救うことになり、こころの「アキを助けて」を叶えていることになる。

なので、この鍵の力によって「アキを助ける」ためは各時代で仲間に寄り添うアキ先生が必要なのでアキだけは特別に記憶が残ったとも考えられるし、逆に記憶は残らなかったが鍵の力によってアキ先生になる運命が決まったとも考えられるので、どっちに転んでもアキはこの鍵の力によって大人になって仲間を助けることになるんだと思うのと同時に、これを現実の私達へのメッセージとしてみれば、誰かに優しく寄り添ったり、助けることは回りまわって自分を助けることにもなるということにも見える。


それと本当にこれで最後、「アキを助けて」と「ルール違反を無かったことに」が別の願いとするならば、アキを助けるとは現実の問題からも救う必要があるというか救われるように願いが叶うはずなので、あの現実の義理の父?の問題なんかも解決…と一言で言えるかは分からないが良い方向に向かったんじゃないかと思う。

そして、このこころが願うことで助けられたアキによって、今度はこころがアキ先生によって自身が救われるというやっぱり誰かを思うことで自身も救われるという円環構造でできているんだと感じた。


長々と書いてしまったけど以上です。
個人的に気になったところだけ羅列してグダグダ書いてしまった形なのでなんとも読みにくい文章でごめんなさい。
伏線や語りたくなる謎があるわけじゃないのに、思えば思うほど深く丁寧に作られている本当に質の高い映画だったと思います。

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