相手の目線を「借りる」
大学生になって色々な人と交流し、イベントの運営時にスライド等の作成・ファシリテーション及びチームビルディングに関わることを通じて学んできた中で大切にしていることがある。
相手の目線を「借りる」ことだ。
この言葉に込めた意味としては、簡単に2つある。
相手からFB(フィードバック)をもらい、自分の目線で見えなかったものを認識する。
実際に声を聞くことのできない他者の視点に立ち、その人が辿るであろう足跡を踏んでみたり、その時に感じることについて思いを馳せる。
この2軸を基点に日々意識する・したいこと2つを綴ってみる。自戒も込めて。
自己満足に陥らない
1人で考える方が物事の進みが良い、というのは錯覚なのではないかと思う。進みが良いことが全てではないし、質の追求を忘れてはいけない。特に、比較的大勢の目に触れるものを作っているならばなおさらだ。
1人で作業をしていると、気づかないうちに自分にとって心地良い方向に進んでいく。結果的に他者の存在を前提としたものではなく、独善的なものが出来上がる。果たしてそれは当初の目的に合ったものなのだろうか。
こんな時に一度立ち止まって自分という視点から離れようと試みる。他者にFBを求めてみる。するとその時に考えもしなかったような考えに触れる。いかに自分の思考にバイアスがかかっているか・他者視点が足りないかを知ることができる。
自己満足に陥らない。これがアウトプットの質に直結しうるのだ。
価値観共有の錯覚に気づく
相手の目線を「借りる」思考は、実際の人間関係にも拡大できるのではないかと思う。
人は自分の持つ価値観を他人も同じように持っていると錯覚しがちである。もちろん相手も人間なので、共通する部分は多いのは確かだ。普段はなんともなくても、その人の優しさにかまけて小さな違和感・すれ違いが積み重なり、最悪の場合、関係の破綻を招くことさえある。
昨今の多様性の議論では、社会には多様な価値観を持った人が存在しているため、相手の価値観を受け入れることが美徳と化しているように感じる。しかし、「多様性」という便利な言葉を盾にとって自らの価値観を史上とし、相手にもそれを持つように無理に押し付けることは望ましいことではない。
終わりに
あなたは相手の視線をちゃんと「借りて」日々を生きているだろうか?
何か気づきがあれば筆者としてこれより嬉しいことはない。
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