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N子
2022年4月11日 02:11
女の子なのに……「えぬちゃん、弟か妹、欲しい?」と、お母さんに確認されたことがあります。生まれてから10年間、私は一人っ子として両親の期待を一身に担っていました。ピアノを習わせ音大を目指させるなど、お金のない家庭には分不相応な教育を受けていました。両親は私の手に職を付けさせようと必死だったのです。手に職をつける場が音大なのか?というのははなはだ疑問ですが、九州の田舎から出てきた若い夫婦
2022年3月12日 19:30
誰でも子ども時代に一度は、死について考えるものかもしれません。植物状態、って言い方、ご存じでしょうか。事故や病気などで大脳が正常に機能しなくなり、意識が無く寝たきりになっている状態のことです。生きてはいるけれど自発的に動くことがないので、植物になぞらえてそう呼ぶのです。なかなか怖い呼び方ですよね。漫画『みどりの炎』の植物人間少し脱線するのですが、漫画のお話しをさせてください
2022年3月1日 12:25
奇妙な遊び大きくなるにつれ、「うちって変だったのでは?」と思う事って、ありますよね。子どもの頃は自分の家が全てであり常識なので、その奇異さに全く気が付かないのです。うちの場合の変なことは、お母さんの奇妙な遊び。死んだふりごっこ。それは何の予告もなく、気まぐれにはじまります。お母さんと私が家で二人っきりのときに、お母さんが床に横たわり、ピクリとも動かないのです。幼い私は心配し、おかあ
2022年2月6日 20:17
雀のお宿私が10歳になる直前まで、お父さん、お母さん、私、の三人家族は、とある神社の参道沿いの竹やぶに取り囲まれた平屋を借りて住んでいました。神社はなにやら由緒のあるところのようでしたが、七五三や年末年始の二年参りの時以外、しんとした人通りのない参道でした。参道の左側は人の家が立ち並んでいましたが、右側は涼やかな竹藪になっており、その奥まったところを切り開いて何件かの家を建て、借家にしていまし
2022年2月5日 23:42
最初の10年、私はお母さんがとても好きでした。お母さんも私を大切に育ててくれました。私はお母さんが23歳の時の子だったので、物心ついた時まだお母さんは20代の、若い人でした。私は一人っ子で、お母さんは専業主婦。洋服を縫ってくれたり、遊びを工夫してくれたり、かわいいお弁当をつくってくれたり、枕元で絵本を読んでくれたり、とても可愛がってくれました。物心ついたとき、私たち一家は、東
2022年1月23日 21:00
お母さんについて、書くことにしました。私は49歳、女性。今、乳がんを患っています。中学一年生の娘を持つシングルマザーでもあります。こんな時、頼れる母がいたら、どんなに良いでしょう。入院中に娘を預かってもらって、抗がん剤で体調が悪い時には家事を手伝ってもらえたら。でも、私はお母さんに頼っていません。そもそも、私はお母さんに乳がんのことを話していません。それに関してちょっ