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なにもなかった僕が見つけた「やりたいこと」

はじめに

この記事を開いていただきありがとうございます。

note初投稿です。

Twitterで「Ryo」という名前でやってるのでnoteも同じでいきます。

なぜこの記事を書こうと思ったかというと、僕が将来やりたいことを実現するためには自分一人では能力的にも時間的にも不可能で実現のためには同じ価値観・考え方を持つ仲間が必要だと思ったからです。そこで誰でもいつでも読めるような形にして発信したいと思いnoteを選びました。

この記事を読んで少しでも「共感する!」とか「俺・私もそれやりたい!」とか「めっちゃええやん!」と思ったらぜひDMで連絡ください。 とても喜びます。

言語化する能力が低いので拙い文章ではありますが最後まで読んでいただけると嬉しいです<m(__)m>

自己紹介​

改めてRyo(りょう)といいます。(英語でも日本語でもどちらでも)

現在東京都内にあるゲーム系の専門学校に通っている22歳学生です。   神奈川の南国気分を味わえるアパートで一人暮らしをしてます。(前に住んでたマンションの環境がひどかったので今は楽園 マジ引っ越してよかった(≧▽≦))

2021年3月に卒業予定で4月からVR事業をやっているゲーム会社に就職する予定です。今はその会社で業務委託という形で仕事してます。

やりたいこと

本題に入りますが自分のやりたいことをどう表現するか考えた結果、「理念」と「ビジョン」という形で書きます。

理念

自分らしくいられる居場所を提供する


ビジョン

自分がやりたいと思ったことがすぐやれて

没頭できる環境を作る


今一番しっくりきている言葉で書きました。今までころころ変えてきたので時間が経つと言葉尻や文章はまた変わると思います。でも軸は変わらないのでニュアンスをくみ取っていただければと思います。そもそも理念とビジョンという言葉をあまり聞きなれてない人もいると思うので僕なりの解釈を書いておきます。

理念:企業のサイトを見ると「企業理念」ってよく書いてありますよね。僕の解釈では「存在意義」だと思ってます。これを実現するために俺は生きてるんだ!みたいな根本的な価値観です。

ビジョン:「自分がなりたい理想の状態」 現実的なことは一切考えず100%理想で妥協なしの「こうなれたら最高、これ以上のものはない」という感じに捉えてます。

じゃあ具体的にどういうジャンル・分野でやっていきたいかというと「エンタメ・クリエイティブ業界」です。みなさんもこれまでなんらかの商品やサービスで必ず体験したことがあると思います。エンタメやクリエイティブは農業や工業のように生きてく上で必要不可欠なものではないし、人々の生活をより便利にするものでもありません。ゆえに「自分のやりたいことでお金を稼いで生活できてる人」はごく一部で「やりたいことができず窮屈な生活をしている・夢をあきらめざるを得ない人」が多くいる厳しい業界です。(個人の見解) それでも僕がこの業界でやっていきたいと思った経緯をこれから説明します。

今までのストーリー

なぜ上に書いたような理念・ビジョンそして「エンタメ・クリエイティブ業界」という分野を選んだのかを説明するために僕が今まで育ってきた環境、どういう人間性なのかを知ってもらいたいので書いていきます。

地元は東北の宮城県(太平洋側にある人の顔が右向いてる形の県)。仙台市などの都会ではなく家の周りが田んぼだらけの登米市という田舎で育ちました。

家族構成は曾祖母、祖父母、父、叔母、僕、2歳下の弟、ほぼ毎日遊びに来るいとこの親子。 母は僕が小さい頃に父と離婚したのでいませんでした。

祖父・叔母・父は自営業をやっていて家の敷地内にある工場で金属を溶接したり加工する仕事をしてました。家にいると機械の音がめっちゃうるさかった。

貧しい家庭で近くに遊ぶ場所もないので休日は家で弟やいとこと遊ぶかゲームをしていることが多かったです。習い事もしてませんでした。さらに家族も内向的な人たちだったのでみんなで楽しくおしゃべりしたり、みんなでゲラゲラ笑い合うことは本当に少なかったです。

通っていた小学校は全校生徒70人くらいでクラスは10人弱の小さな学校でした。僕は人と話すことが苦手で仲良い友達は一人もおらず、クラスにいじめっこがいてほぼ毎日いじめられて泣いてました。今思うとめっちゃ泣き虫で言いたいことをうまく言えないから泣いてごまかしていたんだと思います。

座学の授業も全然楽しくなくて授業中関係ないことばかり妄想していることが多かったです。(想像力・妄想力はこのときに付いたと思います) 楽しみだったのは体育と図工と給食くらい…

当時の自分に心の内を明かせるような相手は一人もいなかったし、世間を全く知らない自分にとってやりたいことや将来のことを考える思考なんてありませんでした。人生なんとなく生きてました。あの頃には二度と戻りたくないです笑

こんな退屈過ぎる日常の中で僕にとって幸せな時間だったのが「ゲームをする」ことと「ものづくり」をしているときでした。


ゲームに救われた過去

当時はPS2・PSP・DSのゲームソフトを遊んでいて、ナルティメットヒーロー2やゴッドイーター、キングダムハーツなどのアクションゲーム、ポケモンダイヤモンド、プラチナなどのRPGをやっていました。

特殊な力を持ったキャラクターを自分の意のままに操作して、敵をボコボコにできる。まるで自分がその世界の主人公になったような気がして、どこに行こうが何をしようがプレーヤーの自由で現実では不可能なことがゲームなら可能になることにめちゃくちゃ感動しました。

楽しすぎてプレイしている間は夢中になって気づいたら数時間経過することもありました。平日は早くやりたかったので学校から帰って宿題が終わったら寝るまでずっとやってました(先生に怒られたくなかったから宿題はちゃんとやってました笑) もちろん休日も家にいるときはずっとやってました。

いつしか現実で溜まったストレスをゲームをプレイすることで発散していて、あまり大きな声で言えませんがゲームに出てくる敵をいじめっこや嫌いなやつだと思ってボコボコにすることが爽快でした笑

当時の僕を支えていたのは間違いなくゲームというエンタメでそのエンタメに救われたといっても過言ではありません。

自分で0→1を作り出す楽しさ

言葉で感情を言い表すことが苦手でしたが自分の頭の中にあるイメージを形にすることが好きだったのでよく家にある段ボールやチラシを使って武器とか秘密基地を作ってました。

作った剣で弟と戦ったり、段ボールの秘密基地で一日中過ごしたこともありました。

ロボットも好きでよく工作キットを買ってもらい、はんだ付けやねじ締めをして少しずつ完成に近づいていく過程が楽しかったです。完成したロボットが動いたときの達成感は半端なかったです。

小学校の退屈な授業の中でも図工は好きで、自分で作った磁石の反発で動く車を先生に褒められたときのことは今でも鮮明に覚えています。

今はゲーム制作をしていますが作ったゲームを誰かにプレイしてもらって「面白い!」とか「楽しい!」って言ってもらえると本当にうれしくなります。

「ものづくり」の素晴らしいところは自分の考えてることを自由に形にすることができて、形にするうえでどうすれば想像通りになるか試行錯誤することだと思います。ものづくりは僕にとって自己表現するための一番の手段です。

まとめ

エンタメに救われた過去があるから今の僕があるし、今度は僕が過去の自分と同じような人たちを救いたい・きっかけを与えたいと思っています。救うというと傲慢な気がするので「自分らしくいられる居場所を提供する」という理念にしました。

自分は昔からやりたいと思ったことは考えるより先に行動するタイプです。それで失敗経験や続かなかったことが多々あります。自分にはまだまだ知らないことがたくさんあってその分やりたいこともたくさん出てくると思います。

そして人生の時間は有限だからこそ時間やお金を気にせず「自分がやりたいと思ったことがすぐやれて没頭できる環境を作る」ことが必要になってきます。

長くなりましたがこれが理念とビジョンの基になった経緯です。

僕は将来エンタメ・クリエイティブ業界で仲間と面白いことをしたいです。

ソードアートオンラインのようなゲームも作りたいです。

一時的な関係ではなく苦楽を共にして一生付き合っていけるような仲間がほしいと本気で思っています。

いろんな人としゃべって価値観・考え方を広げていきたいのでこの記事を読んで少しでも話してみたいと思ったらTwitterでDMしてほしいです!

発作的に書いた記事をここまで読んでいただきありがとうございました<m(__)m>

最後に

ゲームって一部の人にはあまり推奨されてないものかもしれませんが体験している本人が楽しければそれでいいと思うんです

現実でイキれないならゲーム世界でイキってもいいと思うんです

日々の生活の中に一つでも生きるための糧になってるものがあれば素晴らしいことだと思います

生きる気力がなくなって死にたいと思うより断然マシです

生きてるだけですごいことです

もしこの記事を読んでる人の中に過去の自分と同じような人がいたら届いてほしい





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