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彼女の視点と僕の視点-『僕の狂ったフェミ彼女』を読んで

今年の初め、ある本がツイッターで話題になっていた。
表紙の上部には『僕の狂ったフェミ彼女』。韓国で大ヒットした本で、映画化とドラマ化が決まった作品らしい。日本では今年3月に初版が発売されたとのことだから、私がツイッターで見つけたときはまだ発売されてすぐのことだったのだろう。タイトルを見た瞬間「私のことじゃん」と直感し、なんとも興味をそそられるネーミングに興奮したのを覚えている。それから半年。ようやく購入し、即読了した。

ずっと忘れられなかった元カノと4年ぶりの再会、その「彼女」が4年前とは打って変わって「フェミニスト(メガル)」に豹変(あえてこの言葉を使おう)していたー。そんな再会と「フェミニスト」に豹変した彼女との交流が、彼氏である「僕」視点で描かれている本作。この視点での物語展開こそが、本作を非常に秀逸な作品へ導いたと言っても過言ではないと思う。
「僕」視点で描くことで「僕」が、いかにハンナム的な思想で認知が歪んでいるか逆説的に表現することを可能としていたからだ。もっと言えば、「僕」と同じような人がこの本を読んだとしたら、「僕」の違和感に全く気がつかないのだろう。ただ「元カノと復縁したけど、元カノがクソフェミで耐えきれず再び別れた話」としか捉えられないのだろう。彼は決して悪いことは何もしていない「善良な男」なのだから。

書いてるだけでゾッとした。

ハンナム的男性ばかりのこの社会で、家父長制が根深く残るこの世間で、私たちは純粋な気持ちで異性と恋愛をし、愛を育むことができるのだろうか。本作で描かれているように、現実でも性差別に関する議論が交わされるたびに「考えすぎだ」という世論が上がるが、フェミニズムに関して「考えが及ばない」世の中は、私たちにとって本当に深刻だ。そしてそれが恋愛に影響してしまう事実と問題を真正面から描き出したのがこの作品だ。「彼女」と「僕」がどう頑張っても交われないことが熱量を上げて明らかになる後半は、その虚しさに図らずも涙が出てしまった。「僕」が彼女に感化されて完全なフェミニストになる結末を、少し期待をしていた自分がいたのかもしれない。しかし、現実と同じようにそんなことは無理だった。

私自身20代前半からフェミニズムに関心を持ち始めて以降、少しでもセクシストの気がある異性には少しも惹かれなくなってしまった。そしてそれは悲しい哉、私が出会った9.5割の男性に当てはまる。

私たちにはライフプランを選択する権利がある。キャリアを選択する権利がある。嫌なことを拒否する権利がある。意志を表示する権利がある。快楽を求める権利がある。

私が私であるために必要なのがフェミニズムだ。あなたがあなたであるために必要なのもフェミニズムだ。女性のためだけのものでもない。フェミニズムは性別に関係なく誰にでも開かれているものだ。

この本は本棚の目立つところに飾ろうと思う。

私自身がよりよく変われるように。そしてこの本を目にした身近な誰かが、ちょっとでも変われるようにと祈って。

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