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ZEN 禅的マネジメント 前夜

『ZEN 禅的マネジメント』を上梓した。

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この書籍の立ち位置について思いつくまま書いてみたい。

仏教や禅の優れた著作は数多ある。
今回、直接引用した文献だけで30冊にもなった。
本当に恩恵は計り知れない。ありがたい。

一方で、ビジネス文脈だとどうだろう?
おおよそ、3つに分類できるかなと。

①有名な禅語から学ぶ
例えば、挨拶と初心は、元々仏教用語で・・・

②著名なビジネス・パーソンから学ぶ
例えば、Appleのスティーブ・ジョブスは・・・
例えば、京セラの稲盛和夫は・・・

③超一流企業から学ぶ
例えば、Googleではマインドフルネスを取り入れて・・・

確かに、それぞれに素晴らしいところはある。
しかし、『ZEN 禅的マネジメント』は明らかに立ち位置が違っている。

①有名な禅語の引用だけだと断片的になるかも
ややもすると、いいとこ取りだけになる。
本書では、悟りに至るまでの道筋のプロセスをトータルに捉える、
 悟りの指南書「十牛図」でマネジメントを考えてみた。

②③外側にある、何か素晴らしいものになるのは仏教の姿勢とは異なる
外側に憧れを抱き、自分では無い別物になるために頑張るのは、
明らかに仏教のあり方ではない。
自分が自分であることを明らかにする「己事究明」が仏教の道であるとすると、このギャップアプローチの転換こそが重要となる。
つまり、すべての人の内側に、仏性が、いうなれば固有の光が宿るというのが、仏教の教えの根本。
本書では、日常的な、手触り感のある物語を紡いだ。

特に、今ある経済合理性に傾倒したゲームにおける優秀なプレーヤー、勝ち続けるプレーヤーになるために、もっと早く、もっと上へ、もっと大きく、もっと生産性を上げて、もっとクリエイティブに、もっとレジリエンスを、もっと心理的安全性を、もっとWell-beingを上げて・・・は決してやりたくなかった。

ゲームの勝者になるための道具として、禅を活かすんだ!
はごめんだなと感じている。

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そうではなくて、
そもそも、このゲームって何だったんだっけ?
って問い直したかった。

禅というあり方に、
どっぷり浸かってみたとき、
そこからどんな風景が見えるのか、
生きることの質感がどうなるのか、
探究を進めてみたかった。

いのちの喜びに充溢したあり方ってどんなだろう?

そう、今の時代に、ここに生まれてきた。
だから、今あるゲームに絡め取られることに運命づけられた存在。
だからこそ、ゲームを執拗に批判するのではなくて、
距離をとって隠遁生活をするのでもなくて、
ゲームを俯瞰しつつ、自分であり続けながら、ゲームを楽しむ
そんな道を探究したい。

そう、この本には、
残念ながら、
幸いにも、
手っ取り早いHOWは無いんだよね汗

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