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中国への留学日記【第1章】

はじめに

2016年 大学で中国学科に所属し中国語を勉強開始
一年次は発音、文法からという0からの状態でした。
特に発音が難点で、口を馴らすためにも練習は毎日欠かさずしました。
そして2年次にスピーチ大会で優勝して、
学費免除の留学権を獲得でき3年次に一年休学して留学をしました。

2018年~2019年 天津 南海大学に留学
天津とは中国の4つの直轄市の一つであり、首都北京から高速で30分の距離に位置しており、人口も1000万超えの大都市の一つです。南海大学は周恩来が卒業した有名な私立大学で留学生にも少人数授業のできるとてもいい環境で勉強させてもらいました。
当時弱冠20歳の私はまだ未熟だった分学びは多くできました。
留学について気なっている方に、ニュースで見る中国とは違うローカルな情報を共有させていただければと思います。1年を日記感覚で振り返ろうと思います。
最後までよろしくお願いします。

南海大学 石像は周恩来

中国到着

最初のぶつかった言語の壁

 留学が近づくにつれて、不安と高揚が比例して大きくなる不思議な感覚でようやく日本を出国しました。
その日の夕方北京空港に着くも、天津行き国内線の搭乗口で迷い最終受付時間に合わず、拙い中国語でスタッフに説明すると
「今日はもう天津行きの空きはない。数時間かかるけどバスがあるよ。」と。仕方がないとバスに乗るもなかなか停まらず。中国に着いたばかりでWiFiもなく、そもそも天津行きで合ってるのかと。留学前の右肩上がりの曲線は下方修正し、これから一年間大丈夫かと不安な留学生活が始まりでした。
 深夜一時頃バスが停まり、街灯がポツンとあるような処で降りました。
タクシーのおっちゃんたちが目的地を聞くと50元(900円)でどうだと。
(中国のタクシーは都市にもよりますが、初乗り8元(150円)くらいです)
多少高いですが、目的地には行けるので天津行きは間違ってなかったと安堵の気持ちでタクシーの中でうとうとしていると、数分ほどして遠くに高層ビルが見えてきました。郊外という言葉を忘れ田舎と都会の境目がはっきりとわかるくらいに、タクシーの窓からの景色にこれからの将来と掛けながら眺めていました。深夜3時頃大学の寮の前に到着。当然スタッフはいるはずもなく朝までロビーでそのまま寝ました。午前中に入学手続きを済ませ、ひと段落。寮は2人1部屋の相部屋で同僚は韓国の方でした。そんな感じで留学生活が始まりました。

留学生活の始まり

留学してみてきづいたこと

① 財布を持ち歩かない生活スタイル

 どういうことかというとITの普及により、電子決済が既に主流となっていました。皆さんもご存じかと思いますが、中国には以下の電子決済を主に使用していました。(もちろん他に種類はたくさんあります)
 支付宝(ジーフーバオ)   日本でいうPayPayみたいな電子決済アプリ
 微信支付(ウィーチャットペイ) 日本でいうLine Payみたいな感じ

 また微信の中にお金を入れておけば、チャット画面の中でやり取りができるのです。
 正門を出で徒歩1分ほどで、蘭州拉麺,重慶小麺、水餃子の店など個人経営のローカルな店が立ち並ぶ通りがあったのですが、そこでも支付宝(ジーフーバオ)や微信支付(ウィーチャットペイ)の電子決済ができます。
友達とご飯を食べた時「支払い先にやっとくから後でウィーチャットで100元送って」といったやりとりを当たり前のようにしていました。

机や、壁にQRコーが貼ってあるので読み取って支払います。

さらに言えば、
饿了吗(ウーラマ)美团(メイトォアン)等のフードデリバリー。
「ofo」「mobike」というシェア自転車。
(日本でもLUUP、ドコモバイクシェアが今流行りだしてきましたよね。)
ただ、どこでも乗り捨てができるのでボロボロなものや、捨てられているものをたくさん見かけます。1時間で2元(30円)くらいの安さだった気がします。よく使っていました。

引用元https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-04-04/P6NF6R6KLVR401

 普段の生活の中でも目に見えてわかるITの発達に驚かされました。
 
②大学が一つの街になっている

 南海大学の中にあったもの
 ・幼稚園
 ・カフェ
 ・アパート
  大学の教授たちや、一般の人も住んでました。
 ・スーパー
  よく西南村にいってました。肉まんと担々麵が美味しい店があったのですが、今は潰れてなくなったと聞きました。。
 ・個人の飲食店等。(西南村近くの川菜飯館がめちゃくちゃ美味しいので   
留学する人は是非行ってみて)

大学の外に出なくても衣食住が揃えられるほど門の中にひとつの街が存在していました。

旅行

 国慶節、労働節、清明節夏休み等の時間を使って
広州、北京、重慶、新疆、青島に行きました。
旅行の移動手段ですが、
・高鉄(ガオティエ 新幹線)
・火車(フオチャー 鈍行列車)
それぞれグレードが「硬い椅子」、「柔らかい椅子」とあります。
火車にはさらに「硬いベッド」、「柔らかいベッド」があり値段もかなり違いました。

拾い画ですが、リアルにこんな感じです。
引用元https://kknews.cc/zh-my/travel/gm4r66y.html

 地域によりますがバス、地下鉄の値段は2、3元です。(35円~50円)バスは2元で乗り放題という形です。
私は常に火車を使っていました。理由は安いというのもありますが、一番は4人で囲って座るので会話をする機会を利用するためでした。日本人が乗っているのは珍しく皆さん聞いてくれました。結婚の時お金はどのくらいいるの?とか(中国では「彩礼」という結婚する時に男性から女性にお金を送る文化があるから)友達が日本旅行してたら差別されたり色々聞きました。
正直僕も差別されたり数回はあるだろうなと考えていましたが、幸い1年間差別されたことはなかったです。(気付かなかったのもあるでしょうが)

隣のおばちゃんからいただいた何かの草

新疆、広州、重慶へも天津から火車で行ったのですが、地獄でした。(笑)
50時間、30時間硬い椅子で、耐えました。各駅停車なので、深夜に停車して人の出入りで起こされたり、深夜1時に電話の声で起こされたり普通でした。地図で現在地を確認すると気が遠くなるよう中に国土の広さを体験しました。行きは楽しみな気持ちでまだよかったでしたが帰りが死ぬほど辛かったです。新疆、重慶については長くなるので
別の記事で書いています。良ければそちらからご覧ください。

最後に

以上が第1章です。
第2章では天津という街、留学生の生活についてお話ししていきます。
引き続きよろしくお願いいたします。
最後までありがとうございました!


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