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付箋は惜しむと有効に使えない。

「情報同士に関係性を見出す。」

私にとって付箋は人に渡すメモと言うよりはノートの類として、特に KJ 法と言う古典的な思考法で頼りにしています。同様に情報を二次元的に展開していく手法として過去にマインドマップなどにも手を出したことはあるのですが、余白を計画的に使えない私にはなかなか活かせない手法でした。その点、付箋は自在に余白を作り替えられる点が心地よく思います。これらは IT 機器でも出来る事なのですが、一覧性の欠点が無視できないので私は紙の上で行います。実は、かつては付箋ではなく RHODIA #11 で行っていましたが、一度で結論を見出せないときに状態を保存できるので付箋に乗り換えました。

事前に分類してしまうことのデメリットがあるので書き込む付箋の色には意味を持たせないことが多いです。なので、買うときも特定の色のみを大量に買うことになります。それら付箋に KJ 法のルールに基づいて 1 枚に一つの情報を記入していき、関連する事象を組み替えてみます。その試行錯誤によって最も MECE を満たす分類を見出すのがこの作業の目的となります。一度は似ているとして書き出した情報群の中に、明確に二分する (あるいはそれ以上の) なんらかのルールを発見できたは何かの本質に触れた瞬間としてとても気持ちが良い体験となります。ほとんどこの瞬間のためにひとり会議をしております。

「付箋のキャンバスは無限大。」

IT 機器を使うとモニターの広さが使えますので私の MacBook Pro でも 15 インチの広さがあります。マインドマップを紙に書こうとすれば大きめな A4 ノートを見開きで使って A3 の紙面を使えたりしますし、それに近いスケッチブックを使うことも出来ます。対して私が頼っている付箋は 75 x 75 mm の一般的なものです。一見、情報を取り扱える範囲、いわゆるキャンバスが最も小さそうに思えますが。しかし、付箋 1 枚で完結させるわけではなく、大量の付箋を使って思考します。つまり、付箋のキャンバスは 75 mm 四方では無いのです。

MacBook Pro の 15 インチモニターは IT 機器としては決して狭いものではありません。そしてデジタルならではの利点としてスクロールや縮小拡大させることで実質的に無限の広さを持っていると考えることもできます。人によっては同じ用途であっても十分に頼れる道具になるでしょう。しかし、IT 業界で働いている私ではあるのですが、IT 機器では克服し得ない部分が気になって頼りきれないのです。IT 機器は能動的に探しに行った時にはかなりの速度と精度でその情報に到達することが出来ます。逆に、IT 機器は受動的に何か発見を得る機会が乏しいと言うのが私の印象です。スクロールや縮小拡大させることで広い情報を見ることができますが、裏を返せばそれをしなければ見ることが出来ないと言うことでもあります。情報を散らしておいて、それを俯瞰すると言う動作が必要になる KJ 法では大きな欠点となるのです。付箋であれば文字通り見渡すだけで済みます。

A3 などの大きな紙面でマインドマップなど思考を水平展開することも人によっては心地良い作業になるでしょう。ある程度の絵心がある人にとっては紙面 (=構図) に於ける余白を意識して組み立てができるのだと思います。しかし、それが無い私には中央から始めた思考の枝がある一方だけに偏って伸びたりします。結果、ある方向は空白だらけなのに、他の方向では紙面からはみ出してしまうのです。キャンバスが紙面の大きさで制限されていることがストレスになるのです。

付箋は単体では最も小さい道具ではありますが、この用途に於いては付箋同士が展開される空間の大きさが実質的なキャンバスの広さになります。ノートの上で行っても良いですし、それをより広いデスクの上で行っても良いです。さらに場所が必要であれば壁面や床でも構わないのです。この要素は IT 機器の情報の扱い方に非常に近いものがありますが、一覧性については付箋の方に利点があります。俯瞰した際に遠く離れたもの同士の関係の発見、そういう受動的な発見を得るには現時点で最適な手法であると考えております。

「付箋は惜しむと有効に使えない。」

時代に反している発想ではありますが、私にとって付箋は大量消費を前提にした道具です。高価な道具は所有欲や顕示欲の役には立つかもしれませんが、ひとり会議のような自身以外の誰の目にも触れない用途では高価であることは消費を躊躇させるので逆効果になります。そして、用途の面で考えても強粘着タイプやフィルムタイプのような高機能である必要もありません。結果、質より量で仕入れます。その代わり、遠慮なく、躊躇なく使います。

毎回その消費に見合う発見があると良いのですが、残念ながらそうでないこともあります。しかし、数回の内に幾つかの発見があればそれで十分です。付箋を使わずに済ませてもそれらの発見にはなかなか至らないので、その消費には代え難い価値があると考えております。

正直言うと、慣れるまではその消費に後ろめたさがありました。それを乗り越えるためにある程度の思い切りが必要だったのですが、それ以降は得られた効果の気持ち良さ、つまり成功体験によって消費するだけの価値があると思えるようになりました。

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