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数学とデザインは共に言語である。

“universal language.”

「univerdsal language = 世界共通の言語」と言うものについて考えてみました。エスペラントはそれを目指として生まれましたが、まだその地位には居りません。そして、この先そうなるようにも思えないのです。英語はビジネスの場面において、多くの国で通じるようになりました。しかし、ビジネスは世界の極々一部であってそれ自体が世界そのものではありません。中国語やヒンディーであれば確かに話者の人数は多いでしょう。それでもその人々が世界の一部に偏って集中している点で、それを世界共通の言語とは呼べないと考えます。言葉によるコミュニケーションと言う語学の面に於いては、世界共通の言語はまだ存在しないようです。

diversity として多様性が重要と考えられるようになった現代、世界の人々が共通した言語を基盤にすることには大きな利点があるように思えます。その一方で語学としての言語が特定の地域ごとに発展した点についても考えなくてはなりません。それぞれの言語にはそれぞれの地域の文化が色濃く反映されているのです。

仮に、世界がある言語で統一されたとしたら何が起きるか。各地域の文化を反映していたそれぞれの言語の重要性が低くなってしまうのではないか、と危惧します。これは統一された言語によって獲得出来る共通の価値観に対して、個々の文化を失うと言うことになり、とても釣り合いが取れるようなものではありません。そもそも diversity の目的は共通化ではなく、多様性からの発展にあるからです。

違いを残したまま一緒になるためには、言語が一つになってしまうことは解決策として好ましくはありません。例え全ての人々が第二言語として世界共通の言語を得たとしても同じです。利便性の高い第二言語は長くない間にそれぞれの第一言語を弱めてしまうでしょう。それは既に世界各国の中でも起きていることです。では、universal language の獲得は実現不能な絵空事なのでしょうか。

「世界は数式によって意思疎通出来る。」

言語と言うものを、語学としてのそれよりも少し拡大して考えてみます。言語の目的は意思疎通にあり、その手法として口述や記述が存在します。この目的と手法は、語学としての言語以外でも実現可能なのではないか、と考えました。

例えば数学。「1 足す 1 は 2。」と言う記述は日本語の話者でなければ理解出来ません。これを “one plus one equals two.” と表記しても理解する人々の地域が変わるだけです。しかし、それらどちらも意味するところは共通しており、「1 + 1 = 2」と表記することによって理解する人々を拡げることが可能です。「1 + 1 = 2」をどう発音するかは語学としてのそれぞれの言語に依存しますが、発音はさておき、言語の目的であった意思疎通としてはこの数式の表記に何ら不足はありません。これは universal language に求められている要素ではないでしょうか。

語学としての言語は文化、それも民族的要素が背景となっていることで他の地域への浸透が困難です。しかし、数学はその理論の発見に至るまでの歴史に文化的な背景はあっても、広く客観的に共有可能な価値である科学的な事実の方を基盤にしていることで、地域を超えて共通の認識を獲得出来たと考えました。

依然、教育の強度による地域格差はあるものの、記述に関してはアラビア文字を用いた数式の記述は universal language に近い存在だと思うのです。

“universal design.”

デザインの世界には “universal design” と言う考え方があります。言葉の響き自体もそうですが、それ以外でも universal language と非常に近いものがあります。それは、その目的がいずれも意思疎通にあると言う点です。universal design は世界の多くの人々が、目的や機能を共有できるデザインを指す概念です。語学としての言語に頼らず、デザインと言う手法で実現しようとしておりますが、目的は同じと言えるのではないでしょうか。

数学は科学的に証明された一つの理論が地域を超えて賛同されて広まりました。一つの正解が世界に浸透したのです。対して、universal design は異なるアプローチを取ります。既に各地域にそれぞれの文化を土台にしたデザインが存在したところから、地域間に多く共通している要素だけを取り出し、どの地域でも違和感が最小になるようなものを着地点として提唱しております。数学の言葉で言うと統計における回帰分析のようなアプローチです。

例を挙げると、街中で見かける各種の標識。これらには universal design が取り入れられているものを多く見つけることが出来ます。例えば飛行機のシルエットの隣に矢印が添えられていたら、人はどのように解釈するでしょうか。恐らく多くの人々が矢印の示す方向に空港があると解釈するでしょう。この解釈には地域や文化の差がほとんど無いように思えます。また、添えられている矢印はそれ自体が単体で既に universal design でもあります。

「数学とデザインは共に言語である。」

数学とデザインは文化や地域を超えて、認識を共有できる分野のようです。そして、それらを視覚的に表現する手法も共有できております。数式や標識をどう発音して表現するのかは言語によって異なりますが、それが意味するところは言語や文化の違いを超えて正しく意思疎通されます。以上のことから、これらはいずれも universal language の実例と言えるのではないでしょうか。

デザインにはある程度アートの要素が含まれますが、ファイン・アートと異なり、デザイナーのエゴイズムが前面に出て来るべきではない分野だと考えます。芸術は見る人それぞれの解釈が異なっても問題ありませんが、デザインに関してはそこに込められた問題解決と言う目的に限っては利用者に等しく与えられなくてはならないと思うのです。そうでなくては標識はその役目を果たしませんから。

デザインの分野の中でも universal design は非常に美しい考え方だと思います。語学が未だ果たせていない universal language に、数学と並んで最も近しい存在になっているのではないでしょうか。

科学的に明らかな唯一の答えだから地域や文化を超えて共有できる数学と、それが唯一の答えではないけど共通する表現であるとことで機能している universal design。アプローチがこれだけ異なるにも関わらず、同じ目的を達しているところが面白いと思っております。

数学、デザインは狭い範囲に於いて誤解なくコミュニケーションが可能あり、既に広義の言語であると思います。ただし、それぞれ専門性が高いことで、まだ高度なコミュニケーションは出来ません。私は、ここに数学やデザインと同様の事例がいくつか加わってくることを期待しております。そして、それは可能だと思います。なぜなら数学とデザインはそれぞれ全く異なるアプローチで実現しているからです。今の時点では思いも依らない分野から、文化を超えて共有可能な表現が見つかる気がします。もしも実現できたなら、我々はもう言葉に依らずに高度なコミュニケーションを取ることができるのではないかと思います。そこが私の universal language に対する期待です。

それぞれの文化を色濃く反映した言葉はそれぞれに維持したまま、言葉に依らない言語 (数学やデザインなどによる universal language) によって不自由なくコミュニケーションが出来る世界。これが実現した時、本来の意味での diversity が機能するのではないかな、と考えるのです。

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