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【家族】そばで見守れなくても「三つ目の存在」が守ってくれる

おばあちゃん家でのひみつ

娘が、おばあちゃん家に行って帰って来た時のこと。
「今日は何してあそんできたの?」と私は聞く。
「んー、わかんない。」と娘は答える。

「今日は何食べたの?」と聞く。
娘は「ぎゅうにゅう。」とだけ答える。うそだな、と思う。

「おかあさんね、しってるよ。ガムも食べたでしょ。」と言うと
「え?うん…(笑)どうしてしってたの?」と答える。

「だって、あなたのおでこにお目目つけといたから」と私は答える。
「ここにね、ぺち!って、おかあさんのおめめ、ついてるの」と。

娘は、半信半疑の笑みを浮かべつつも、さっと両手でおでこを隠す。

見守る存在

5歳を迎える頃くらいから、この言葉を使い始めました。
あなたのおでこには、お母さんのお目目がついてる。
だから、悪いことをしたら、すぐにばれちゃうよ。というものです。

5歳になると、もう一人前。
自分の欲を満たすのに、悪知恵も働かせるようになります。
自分に言い訳をすることも、得意です。
(もちろん個人差があります)

まだ幼い故、その行動が人を傷つけるのかどうか、わからないこともあるでしょう。
そのなかで、ちょっとでも罪悪感を感じたら。そこにふたをせず、向き合ってほしい。
「おかあさんは、なんていうかな?」と考えながら。

いつだって、見ているのはその場にいる人だけとは限りません。
その場その場で態度を変えることが、必ずしもいいこととは限らない。

どの場所にいても、どうあるべきか。
ひとつの指針があれば、困らないのではないか。「母が見ている」という設定は、幼い彼女にとって、ものごとを判断する時のひとつの指針になるのではないか、と思っています。

見守られているというのは、前向きに生きているときは心強いけれども、うしろめたいことがあると急に煩わしくなる存在です。
でも、その煩わしさこそ人の心にブレーキをかけてくれるのではないでしょうか。

親が煩わしく感じてしまう場合、自身の成長したいと思いと、親の見ている自分像がかけ離れていて、親が子にストップをかけたがるときに見られるようにも思います。
やたらめったら口を出したくはありませんが、やはり、人を貶めるようなことに手を出さないように見守り続けたいなと思います。

親の手をはなれても


この三つ目の存在は、親がいない時に効果を見せるものです。
真実は、家でガムを食べさせていないけど、義母はガムを推奨しているし、娘も好きだから確実に食べているよな、とか
今日の給食のメニュー表をみて海老フライだったんだな、とかそんなところからなのですが

それでも娘に
「あなたのおでこにあるお目目がね、おしえてくれたの」と言うと
信じてくれるお年頃。

そして、一度信じたことは大人になってうそとわかってもどこか「本当かも知れない」と思い続けるものでもある、と思うのです。

今、このときに「おでこにはお母さんのお目目があるよ」と伝えることで
大人になっても見守っているよ、ということを伝えられたら。
ふだんは忘れていていい。落ち込んだ時、ひとりで辛いときに、ふと思い出してくれたら。

言葉のない見守り方は、相手の心により、寄り添える力を発揮していく。

幼いうちはそのまま「母の目」だと思うのですが、成長していくにつれ、やがては「もうひとりの自分」になっていくでしょう。

自分と対話する、その存在として三つ目が活躍してくれるといいな、と思っています。

いつかは消える存在として

すべてのこどもにこのやり方が通るとは思いません。

長女は、おそらく「かまってちゃん」。
自分が注目されないと不安になってしまうのでしょう。
人それぞれ得意不得意はあるのに、すべてが1番で褒められないと気が済まないタイプです。(少なくとも現時点では)

そして、物事をあまり深く考えない(笑)
真面目な子なら、おでこに目がある、というともうガチガチになってしまうかもしれませんが娘の場合は

「ふーん。本当かなぁ。本当なんだろうなぁ。」という程度です。

また、常に認めてくれる人がいないとこじらせてしまうことから
この考えが自然と生まれました。
この三つ目は悪いことをした時ばかりに働くわけではありません。
がんばったとき、悲しかった時も、ちゃんと見えてるよ。ひとりじゃないよ。と伝えるものでもあります。

彼女が私の手を離れて、ひとり立ちしたとき。周囲に支えてくれる人がいたらいいのですが、ひとりで戦わなければいけなくなったら。
おでこにある目を、思い出してほしい。

いつか、おでこの目に頼らなくてもいい存在がそばにいてくれたらいいな、と願いつつ。

母のおでこにもこどもの「三つ目」

と、まあこんなことを言っていたら、私も娘に言われました。
「おかあさんのおでこにも、お目めがあるからね。」って(笑)

どうやら、夜早く帰ってこないことがわかってしまう三つ目が、
ついているようです。

うーん!!やられた!!!
一緒に寝ないと、早く帰ってこなかったことが、ばれてしまうw

親のおでこにも、こどもの三つ目。
これも、意外とおすすめですよ♬


そんなことを書いていたら思い出した、こちらの一冊

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いつもだれかが/ユッタ・バウアー作 上田真而子 訳(徳間書店)
いつもだれかが、そばにいた。あぶないときにはたすけてくれた…。
おじいちゃんと孫がとどける、見守ることのよろこびと、見守られることのうれしさを、ぽつぽつと届けてくれる一冊です。

気になる方は、本屋さんに行ってみてくださいね。

その後のはなし
一年生になったくらいからだんだんと疑いは濃くなってきました笑
見えないことも、増えてくるんだろうな、なんて思いつつ
「お母さんも子供の頃ついてた?」と聞かれたので
「うん、ついてたよ。でも4年生くらいではずれちゃった」
と答えました。
4年生になったころまで、この話を覚えているかわかりませんが、
そっと、外そうと思います。


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