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腐れ縁の終わりと、新しい出会い

ステイホームやテレワークやらで誰とも会わず、数ヶ月経過すると、見えないストレスが溜まってしまう。
それが運動不足からなのか、趣味が充実してないのか、はたまた寂しいからなのか。
そんな時に、うっかり腐れ縁の友達に連絡をとってしまうと、さらに疲れてしまう。
「腐れ縁」という表現が出てしまう時点で、その人が今の自分には合わなくなってしまっている、というサインではある。
腐れ縁の友達と会う時は、体調が万全で、自分に余力がある時に限る。
腐れ縁を良く言えば、気心知れててラク。
悪く言えば、暇な時や寂しさを紛らわしたい時に手っ取り早く会えるだけで、惰性で一緒にいても心地よくはない。
生産性のない会話をして、無駄に2時間とかお茶して、逆に疲れてしまいがち。
同じ友達とずっと生涯過ごせるのが美徳と考える風潮はあれど、違和感を感じながら率先して会い続けると、些細なことで険悪になってしまったり、逆に相手から縁を斬られる場合もある。

恋愛だと「破局」という儀式で、関係性を完結できるが、友人関係の場合、終了するタイミングが難しい。
終了させる方法として、自分から連絡を絶対しない、お誘いがあっても断る、ブロックではなくLINEアカウントを作り直す、などなど。
その友人のことすら思い出せないくらいに趣味を充実させ忙しくしてると、会う時間がもったいないとすら感じて、もうどうでもよくなる。私生活が充実してないが故に、よりどころになってしまいがち。逃げ道。

知り合い歴15年ぐらいの女友達がいた。その女友達とは、ちょうど1年前に疎遠になった。
去年の今頃、その女友達はパートナーとの問題で結構ハードな状況。
彼女から頻繁に連絡が来ることもあり、ほぼ毎日LINEでのやりとりをしていた。
今すぐ解決できない問題について、毎回
「進展あった?」とか聞くわけにもいかず。
メッセージのやりとりは楽しいものの、それなりにエネルギーも消耗してしまう。お互いが、お互いの私生活の実況中継の垂れ流し場所みたいになり。
そうなると悪循環。
そのほかの話題はというと、10年以上疎遠になった共通の知り合いの人が必ず出たり、もう思い出しても仕方ない過去の話題に戻ってしまう。
「そういやさ〜、〇〇さん今頃どうしてるかな。まだあそこに住んでるのかね。」
など、10年以上疎遠の共通の知り合いの話題なんて、もういいだろーって思いながら、定期的にそれを話す無限ループ。
年月が経つとそれぞれ価値観も変わり、ふとした時に関係性がしんどくなってくる。
LINEでのやりとりがあまりに頻繁になりすぎると、どちらが多めに連絡をしすぎたとかそういう断定的な原因ではなく「なんとなく」疲れて、距離をおきたいと感じ、そのピークが突然くる。
そして、大きな喧嘩をしたわけでもないけど、ピタッと同じタイミングでお互いに連絡をしなくなった。嫌いになったとかではなく。
決定打はなくとも価値観の相違やいろいろ。密になりすぎたのが大きなの原因。
そんな感じで連絡が途絶え、1年は経過。
このコロナ禍のなか、精神的にも疲弊してたせいか昼間のマクドナルドで、携帯いじってたら、ふとその友達のことを思い出し。友達のSNSをネットで検索したら出てきた。
チェックすると、諸問題が全て解決して新生活を送ってることがわかった。
「解決してよかったね」とか今更連絡してもなぁ。
お互いの存在が、既に「過去の人」になっているのだけは確か。
でもその問題について毎日相談を受けてたから「よかったね」とひとこと言いたい気持ちも少し湧き出る。
ずっとモヤモヤするのも嫌だったので、考えた末、当たり障りのない内容でメールした。返信を促すようなことも書かなかったのもあるのだが、2日経過するももちろん返信はない。返信は期待してない。
これからも来ることはないと思う。それでいい。
自分のなかで、気持ち的に一区切り。

腐れ縁の友達とある時期に急激に密になりすぎる時期があって、結果関係が終了したとして、その濃厚すぎる時期がきっと必要だったのであろう。

古くからの人間関係が終わると、新しい友達が自然なタイミングで現れる。
人間関係が一新すると、昔の自分が無理しててことに気づいたり。
友達に感情移入して同調しすぎず、自分軸で接することの大切さ。
そんな感じですw

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