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学校内で「疎外感と孤独感」を生む「ソーシャルディスタンスとマスク」

若様(息子:小学3年)が「みんなと喋れないのが嫌だ」「子ども達同士で喋ってるのを注意しあってるのが嫌だ」という理由で学校に行かなくなって2週間ほど経つ。

今日の放課後の時間、先生から来週の予定を伝えるために電話があった。
んで、やっぱり当然、学校に来れないか、という話になった。先生は変わらずに「マスクが嫌で来たくないのだ」と思っていたらしく(何度か説明したんだけどな)、改めて「友達と喋れないのが嫌なのだ」ということを説明したら、「喋らなくても、同じ空間で同じ情報を共有していることが云々・・・」と同じ空間にいることでの連帯感やら喜び的なことを伝えようとしてきた。

が、しかし。

世の中には「集団にいる時のほうが疎外感・孤独感を感じる」ということがあることをご存知かな??

なので「彼は5歳〜6歳までの約1年間、集団の中でずっと疎外感を感じて生活してきました(注:彼はその一年間、諸事情で児相に保護されていた。近々その辺の事を上げるつもり)。『周りに人はいるけど自分はそこに属していない』という孤独感をずっと抱えて生活してきました。そこで押し殺してきたこともたくさんあると思います。その経験をしてきた彼に、また同じ思いはさせたくありません。前回体育に参加して、まず真っ先話してくれたのがこの喋れない・注意しあう事への不安感でした。口調は軽く、深刻な調子で話したわけではありませんが、真っ先にそれを話してきたということは、彼にとってそれがとても不安で嫌な気持ちを抱えるものだったということだと思います。今この『マスクをしないことが良くない』という空気感の中に彼が行ったら、言い方は悪いですが、村八分のような状態になり余計に疎外感・孤独感を抱えると思います。そのような環境に彼を行かせたくありません。」と答えといた。

コロナを個人的に怖がるのは自由だと思う。
科学的な根拠や人体の神秘をいくら説いても、自分の中の感覚には勝てないと思うから。だからそこを変えようという気はない。

でも、教育現場で、なんら科学的な情報に基づかない、根拠の乏しい情報で子ども達の交流の機会を奪い、同調圧力を良しとするのには悲しさしかない。いつ学校で集団感染が起こった?いつコロナで子どもが亡くなった?インフルエンザだってピークが過ぎるまでの学級閉鎖しかしないのに、なぜコロナだけこんなに過剰に(しかも全く有効とは思えない方法で)感染対策をするのか。それだけ見ても、今コロナを理由に子ども達から交流の機会を奪うことが適当とは思わない。

大人達、ほんとマジで冷静になってくれ。
この子達が大人になった時、どんな社会になるのか、どんな社会にしたいのか、想像力を巡らせてほしい。

リスクのない生はないよ。

ここまでお読み頂きありがとうございます!重度のアトピー(癌だった疑いあり)から医者にかからず回復中の一男二女のお母さんです。日々の出来事から感じたことや考えたことを綴っています。元気になったら表現活動や新月材を使った場所作りなどしたいことが沢山あるので、応援宜しくお願い致します!