仕事柄、三井記念美術館の招待券を頂ける。今の勤務先を退職しようと思っているので、そんな有難い特典もこれが最後。
Ⅰ. 味を想像してみる
銀で作られた伊勢海老を見て味を想像するのは、私には無理だったが( ;∀;)、技巧の素晴らしさは伝わってくる。
伊勢海老では難しかったが、これらには私の幼少期の味覚が蘇った。
私が幼少期の頃から現在に至るまで、実家の庭には果物の木がたくさんある。甘柿、渋柿、無花果、キウイ、ブルーベリー、ザクロ。これらの木が今でもすべてあるわけではなく、今はブルーベリーだけになってしまった。甘柿は、私でもちょっと木に登って取れば、すぐに食べられた優れもの。渋を抜いた渋柿より、実がしまって私は大好きだった。
売り物でもない、家族が食べるだけの果物なんて手入れもさしてせず、毎年実がなるに任せるだけ。その程度だから、毎年ザクザクなったキウィはひたすらすっぱいだけだった。家族に不評だったキウィはその内一掃されてしまった。
しかし、無花果だけは違った。ともかく美味しかった。しかし、木が枯れてしまい、私が上京する前にはもう家の庭からなくなっていた。無花果は今頃からお店に出始めるが、幼少期に大好きだった無花果の味が忘れられず、買って食べた時の驚きと言ったらなかった。
美味しくない、のである。
甘いことは確かに甘い。しかし、私が家の木からもいで、手を白い汁まみれにしながらかぶりついた無花果とは、実のプリプリ感が全く違った。家で適当に生らせた無花果の方が美味しいなんて、衝撃だった。
何度、買っても同じである。買って食べる度に「うちの無花果」の甘味を、食感を、悲しく思い出してしまう。最近は、買わなくなってしまった。
店頭で並んでいたら、間違って買ってしまいそう。
円山応挙に私がなにを言うだが、構図が完璧だと思った。完璧なものはずっと見続けられ、見ていて飽きない。
Ⅱ. 温度を感じてみる
生き物が描かれていると、その表情に目がいくことが多い。この鹿の表情もなんとも愛らしく、そしてこの絵で面白いと思ったのが、口ものと髭や顔の毛並みや耳毛?!。こんな筆使いが、絵に生き生きとした躍動感を与えるんじゃないだろうか。
Ⅲ.香りを嗅いでみる
Ⅳ.触った感触を想像してみる
茶道を嗜まない私は、茶器は「へぇ~、ほぉ~」しかない。
Ⅴ.音を聴いてみる
音を想像してみるコーナーだが、私はその取り合わせと色がよかった。
この展覧会に既に行かれた方がご紹介することが多いのがこれ。見た瞬間、おぉ、これ、これ、だった。
Ⅵ.気持ちを想像してみる
日本画をよく見るようになって、このモチーフに出会うことが増えた。日本人って好きよね、義経。判官贔屓。この言葉もそもそも判官の職にあった源義経にちなんでいる。
笠を被った常盤御前が赤ちゃん(源義経)を抱き、彼女の他の二人の子、今若、乙若と雪道を進んでいる。義経の父・源義朝が平治の乱で敗れ、一家ともども命を狙われたため、奈良へ逃れていく。
常盤御前の雪中の逃避行は、大倉集古館でも見た。
【ランチ】
三井記念美術館は、日本橋室町というキラキラしたところにあるので、ランチも選択肢はたくさんあるのだが、私はいつも「文明堂カフェ」に行ってしまう。奇をてらわない安定した美味しさ。
会期終了間近の土曜日、2024年8月17日(土)。この規模の展覧会は、終了近くの週末でも激混みにならないのがいい。美術館の大きさも見て回るのに、息切れしない程度。大きさも、見学者の静けさも心地いい。