見出し画像

「お取り寄せ」下関ふぐ。伊藤博文の好物は河豚!?体験記vol.7(厳選お取り寄せTOP100)

新しい生活様式が提唱され、三密を避けた新生活がスタートしています。そんな新生活の中で、今まで携わらなかった家事に携わる経験を積み日々の大変さを実感しました。そんな経験から週に一度は、私自身がおもてなしをすることで、家族や友人・愛する人を楽しませたいと考えるようになりました。
男(45歳)のプライドと品格を維持しながら家族や友人・愛する人が楽しく、喜んでもらえるおもてなしを実現するために、一流のプロが持つ技・味・盛り付け(名店レストランのお取り寄せ)の力を借りながら、学び、修業を積み、私自身の男力を磨き、最高のおもてなしを実現させたいと思います。
こちらの「お取り寄せ」体験記では、スマートに「おいしい!食」でおもてなしができる・「驚いてもらえる大人の贈り物」が贈れる、大人の男力向上を目指す事で、すべての愛する人々を笑顔と喜びであふれさせる事ができる男を目指すと共に、20年に渡り携わった食業界での知見と私が見聞き学んだすべての情報をフルに生かし、徹底的に厳選したお取り寄せ品をご紹介させていただきます。

     「外食産業応援!」 一助となれれば幸いです。

男のたしなみV0 (本日のおもてなし料理 「ふぐ」ざんまい) 

画像1


(商品概要)

商品名  : 最高級のふぐ料理をご自宅で
        ・とらふぐから揚げ  2人前
        ・ふぐたたきセット  3人前
        ・ふぐちり鍋セット  4人前

価格   : ¥16,200円

販売期間 : 通年

【下関春帆楼 とらちりセット】
(商品購入はこちら) 
   ⇩ ⇩ ⇩

男のたしなみV1(ふぐのルーツ)

日本のふぐの漁獲量は4,420t(平成29年)で、都道府県別でみると石川県656tで全体の14.8%次いで北海道478t全体の10.8%三番目に富山県242tで全体の5.5%である。ふぐのイメージでは山口県や大阪府のイメージが強いが山口県の漁獲量は214tで全体の4.8%、大阪府でいうと18tで全体の0.4%である。
最古の歴史資料によると、旧石器時代の貝塚からふぐ化の魚類の骨が出土されており、2万年前の旧石器時代から我々の先祖はふぐを食していたことになる。6000年前の縄文時代には各地の遺跡からふぐの骨が出土されておりこの時代には確実にふぐの食文化が根付いていたことがわかる。
「河豚(ふぐ)」この変わった名前は、中国の表記がもとになっており、中国のふぐは、河川で捕獲され美味しい・丸々として美味「豚」から使用されています。
日本人とふぐの関係は切っても切り離せないように感じますが、朝鮮出兵の際に、ふぐを食べて食中毒で死亡する武士が続出したことから、豊臣秀吉がふぐ食用禁止令を発布。その後ふぐを食べることが許されなかった。明治に入り初代総理大臣、伊藤博文が山口県下関でふぐを食べその味に感動し、山口県限定でふぐを許可し全国にひろがった。
食べるなと言われると、食べたくなるのが性。庶民の間でふぐは「鉄砲」という隠語で呼ばれ、食べ続けられていました。めったにあたることはないが、当たれば命を落とす、「てっさ(鉄砲のさしみ)」「てっちり(鉄砲のちり鍋)」今でも関西を中心にこの名で呼ばれています。

画像2

男のたしなみV2(ふぐのルーツⅡ)

ふぐ食は明治時代まで禁止されていましたが、初代内閣総理大臣伊藤博文によって解かれることとなります。下関の料亭「(春帆楼)伊藤博文が名付親」に宿泊中、一番おいしい魚をオーダーするが当日は大しけで魚が全く取れず、女将は悩んだ挙句ふぐ料理を提供すると、ふぐ料理の美味しいさに感動し当時の山口県知事に対して山口限定でふぐ食の禁止を解くよう命じた。
その後全国で禁止令が解かれ、「春帆楼」はふぐ料理公許第一号店として認められ、日清講和条約の締結会場となったり、昭和天皇も訪れるふぐ料理を楽しめる料亭として定着。
美味しいふぐですが、刺身が薄い事にも意味があります。お皿の模様が透けるくらい薄くカットされるのは見た目の美しさと共に、食べやすさを追求した料理技術でもあります。ふぐの身は、筋肉質で脂肪がなく、厚く切ると弾力があり噛み切るのも大変なことから、美しさと食べやすさの両方を追求した料理技術が現在の食べ方として定着した。

画像3

≪下関 春帆楼 とらふぐ刺しセット4人前≫

男のたしなみV3(ふぐの毒の特徴)

ふぐはとても美味な反面、2mgで人命を奪えるほどの「テトロドトキシン」という猛毒を持っています。。テトロドトキシンは神経毒の一種で、海洋最近ビブリオなどによって生成され、ヒトデや貝殻などを介してふぐの体内で蓄積・増殖される。現在でも特効薬や解毒剤もなく、人体に入ると神経伝達を阻害し、あらゆる部分に麻痺を起こし、最終的に呼吸困難を引き起こし死亡事故につながる。
ふぐの毒は、ヒトデや貝殻などの餌を介して体内で蓄積されることから、孵化したての赤ちゃんふぐは、体内に毒をもちません。ふぐの毒は生まれつきではなく後天的なものだと考えられている。
理論上養殖のふぐに海洋最近が含まれない餌だけを与えると毒をもたないふぐが育つ。しかしこの養殖方法は完全に無毒化できると確立されておらず実用に至っていない。今でも年間30~50名ほどのふぐ中毒患者が出ている。

男のたしなみV4(春帆楼の歴史)

江戸より眼科医として成業し明治10年、廃寺を買い取り伊藤博文の勧めにより医院を改装して割烹旅館を開く。下関は討幕を目指す長州藩の拠点でもあり伊藤博文、高杉晋作、山形有朋などの維新の志士たちも頻繁に出入りした。
春帆楼という屋号は、春うららかな眼下の海にたくさんの帆船が浮かんでいる様から、伊藤博文が名づけの親である。
豊臣秀吉の河豚食禁止令を、明治20年初代内閣総理大臣として、春帆楼でふぐを食し、こんなおいしいものを禁止するのはもったいないと考え、当時の山口県知事に命じて禁を解かせ、春帆楼はふぐ料理公許第一号として広く知られるようになった。
明治維新後日本は朝鮮半島の権益を巡って清国と対立を深めたが、清国は講和を打診。当時の春帆楼の2階大広間で両国代表十一名が鑑み、明治28年4月17日・日清講和条約が春帆楼にて締結される。

男のたしなみV5(春帆楼の特徴)

130年の老舗料亭。最高級のふぐ料理を提供する春帆楼の特徴。
①「今も息づくおもてなしの心」
 ・社是
  変えてはいけないもの 変えなければいけないもの
 ・表なし
  おもてなしとは「表なし」。すなわち裏のない自然とした振る舞い。
②「受け継がれる3つの技」
 ・さばきの技
  ふぐ刺しの身上は皿の絵柄が透けて見えるほど薄く引く包丁さばきが
  醍醐味。それは「ふぐ料理公許第一号」の伝統のなせる技
 ・盛りの技
  薄造りしたふぐの身の先端を立たせる華麗な盛り付けは、目でも味わう
  ふぐ料理の醍醐味。
 ・食の技
   ふぐ専用に開発されたシャキシャキとした極細の葱をふぐの身で巻いて
  食べる下関発祥のスタイル。
③「春帆楼のトレサビリティー」
 自社での養殖ふぐの生産をスタートし、安全で安定的なふぐの養殖を行
  うため、20項目の基準を設定。(一部紹介)
 ・養殖地域を紹介
   養殖ふぐの漁獲量1位の長崎で、良いふぐを選りすぐるため、長崎県を
     選定。
 ・投薬不使用
   春帆楼の養殖は投薬不使用
 ・生産者が見える
  熟練した生産者を厳選
 ・生育過程管理
  ふぐの生育過程を履歴管理
 ・厳しく選別
   体色・傷・身の弾力を厳しく選別
 ・真空処理
   三次加工では部位別に真空処理
 ・金属探知機で検査
   遺物購入を防ぐため金属探知機を使用

下関 春帆楼 とらふぐ料理セット4人前 古伊万里

まとめ

日本では古くから、ふぐを美味しく食べるための薄造りの技術や、安定供給するための養殖技術を進化させてきた。
春帆楼では、「ふぐ料理公許第一号」の伝統と格式を守ると共に育てていきながら、変えてはいけないもの、変えなければいけないものを見極め美味しく食べてもらいたいとの強い想いからすべての仕組みを進化させている。

今回は、お取り寄せでの体験でしたがとてもおいしくふぐをいただきました。ふぐは、知れば知るほど多くの驚きに満ち溢れる生物。
明治二十年、「魚を食したい」という初代内閣総理大臣伊藤博文公に、お手打ち覚悟でご禁制のふぐを出した女将に、ふぐ大好きな私としては、足を向けて寝れない。今も春帆楼の息づく、お客様を思う心、おもてなしする心、こだわりの技すべてに、美味しく食べてもらいたい思いが伝わってくる。
私のふぐの教養も披露させていただき、皆様に大変喜んでいただきました。男(45歳)のブランドを損ねることなくさらに磨きをかけることができました。V5達成です。

※次回の続、男のおもてなしも楽しみにしててください。

お取り寄せ動画

【下関春帆楼 とらちりセット】
(商品購入はこちら) 
   ⇩ ⇩ ⇩

-------------------------------------
≪instagram / twitter / yutube≫ 
⇩  ⇩ ⇩


よろしければサポートお願い致します。いただいたサポートは皆様のお役に立てるよう今後の活動費に当てさせていただきます。