見出し画像

夢が与える新感覚

雨音が響く夜明けの家、その布団の上ではっとして目が冷めた。
そしてこのことはnoteに記さなければならないような気持ちになり、急いで筆を執っている。たとえ伝わらなかったとしても、伝えようと思ったこの気持ちは何だろう?
その話は、今朝見た夢の話。非常にリアリティを感じた内容でした。


夢の中の話

小さな部屋の中。
僕は近くの人の耳に入るかどうかギリギリの音量で、かすれるような力ない声でまたも同じことを呟いた。
もう何度目だろうか?

おかしいよ・・・

いったい皆どうしちゃったの?おかしいよ。

小さな部屋のイメージ画像

そのつぶやきは人に思いを伝えるためではなかった。自分のためだ。自分が自分であることを信じられなくならないように、この世界をおかしいと思うことを「間違っていないよ」と確認するように呟くのだ。
だってその呟きが誰かの耳に入ると「またおかしなことを言っている」と言われるから。

突然の別世界

都会の町並み

普段の光景と全く同じ世界。人々の姿も行動も、そこには知っている人がいないだけで、それ以外はごくごく普通の世界に自分はいた。光のトンネルを抜けたわけでも、事故死しちゃったわけでもないのに、どうして突然こうなったのだろうか?
それはもうアニメにある異世界召喚者のような立場だ。

しばらくは呆然でしたが、普通に考えて言葉が通じる異世界ならなんとかなるだろうと思った。しかし世界は甘くはなかったのです。
知らない世界を知るために、その住人のやり取りや言動から「この世界のルール」を把握してみようという努力が始まります。なるべく違和感がないように、その世界のルールに従った上で行動するのが得策だと思うから。

思考は災いの元

内緒話のポーズ

様子をうかがった結果、特に今までいた世界と変わったことはないと思った。それは同じように振る舞えば問題なさそうという、極めて安心感を覚えるものだった。

しかし実際は、自分の今の状況を伝えようとして経緯などを話すと、怪訝な顔をされて避けられてしまう。
あっでもそんな突然「異世界から来た」ような発言をされれば、そりゃ警戒されちゃうかと納得。しかし原因はそこではないようなのだ。お天気の話、季節の話などを試みても、ことごとく「何いってんのこいつ」といった反応が帰ってきて、その末避けられるということが続いたのだ。

囚われの身

そして気がついたら「意味不明な言動をする危険なやつ」として、最低限の生活設備だけある一室に囚われていた。世界と隔離されたというのか?人々との思考の交流を遮断されたというのか?どちらかといえば後者が目的のように感じた。

何度か面会というか面談みたいなことが行われる日々。

このときに相手が納得するような答えを出せるならば、ここから開放されるのだろうし、この世界の住人と「会話できた」という言い方が成立するのだろう。そんな面倒くさい言い回しがしたくなるほど、僕の思考は通じないのだった。
だって何かを伝えようとがんばって思考を口にすると、すぐさま滑稽な物言いを目の当たりにしたときの、ちょっと憐れみすら含んだ反応が返ってくるのだから。

おかしいのはどっち?

大きな病院の建物

ただ黙って生きているだけならば、単に「何考えてんだかわからんやつだ」程度の反応で済むのだが、いざ自分が普通と思っている言い回しや表現で、何かを伝えようとすると、たちまち「それはおかしいだろ?」となって話にならない。

思考を伝えようとすればするほど、僕が「おかしい発言」をしているような反応が返ってくる。この世界において僕の考えも感覚も意思も伝えようとすることもすべてが否定なのだ。いやその中でどの部分が否定されているのかすら、僕には未だにわからないままなのだ。
ある時相手の言う話に自分の思考を挟むことを一切やめ、ただただ「はい」とだけ応えてみたりもした。これならば相手もこちらが「おかしい」とは言わないのではないかと思ったから。しかし結果は、まるで「思考を停止させれば良いのでは?」と言う僕の思考を否定されるかのように、やっぱり「こいつまたおかしい反応してる」というような相手のがっかりするような反応だった。

このままでは話は一向に進まないような気がする。実はまだ、相手が話でなんとかしようとしてくれているだけでもありがたいのかも知れない、という気持ちにすらなる。
対話でなんとかしようというよりも、なん得なる可能性があると思ってもらえていることがありがたいとさえ思えたのだ。そう感じるというのは、たとえ元いた世界であったとしても自分の精神状態としてはきっとかなりの異常事態なのではないだろうか?

何だかもう、これは前の世界ならば精神病院に閉じ込められているような扱い・・・ん?、あっ、あれ?
小さな一室で時々発言のチェックをされ、これってまさに今の自分の状況?

目覚めと衝動

不思議な街のイラスト

路頭に迷いながら、相手の様子をうかがっていたかと思うと、ようやく目が覚めました。そこは雨音響く朝4時半の実家の布団の上。
本当にホッとしました。トイレに行き手を洗っている間も、あの何も解決できそうもない虚無感と絶望感の実感が残っていました。思い出しても怖くなる感覚。世界がおかしいと思っているのに、その感覚も含めて世界にとっておかしいのが自分だという事実。いや事実って向こうの世界の住人たちが勝手に定義している計測結果なだけで、あれ?事実ってなんだろう?

自分がわからない

自分というものがひとつひとつ説明できると思っていたのに、それが意外とそんなにはっきりしたものではないと思えてくる怖さ。
今感じている世界の全ては自分の考えに基づいてなどいない。周りの世界の考え方や感覚があって、自分もそれらに基づいているのだと感じる不安。そこで育った人にとっては当たり前という形で自分の中に基づいている思考は、自分の思考と言えるものなのだろうか?

発狂しそうになるのと同時に、この感覚をnoteに記そう。感覚がなんとなく伝えられるうちに、分かりにくくてもいいからそういう感覚になったこの体験を伝えなければいけないという気持ちになりました。
何なのでしょうね。

当たり前の思考の自由

そしてこの夢で1番感じたことは、今いるこの世界では「自分の思考」を伝えても別にそれがいきなり罪になったり殺されたりしないという日本の当たり前の状況。
例えSNSやブログなどで国や他人の悪口を言ったりバカにするような発信をしたとしても、世界のすべてが間違っていると言ったとしても、自分の気持ちを伝えるだけでいきなり「罪人」にされるようなケースはまずないですよね。
そんな当たり前の「思考の自由」という存在があることに気付かされたわけです。

夢の世界でもすぐに「罪人」にされたわけじゃないですが、世界の人々が「対話」という手段を諦めてしまった途端、その様相は一変してしまうような、とても危険な崖っぷちの状況だったのです。僕がもう口を開くことを諦めてしまっても、その結末に向かったことでしょう。
その先って、一生そのまま小さな部屋で過ごすか、あるいは薬などで思考の表現を強制停止されてしまうか。

うー、考えていくだけでますます怖くなってきた。こんなことアップして、もしもここが夢の世界の続きなら本当に最悪の結果につながるのでは?
案外この思考が「まとも」と捉えられて釈放されたりして(希望的思考)というわけで、むりやり明るく切り替えて大晦日の話題とさせていただきます。

日本の国旗

今ある状況が「まし」と感じられている事自体、幸せなことなのだと思います。みなさまにとって2024年が気持ちよく迎えられますように。

良いお年を・・・。それから他人に軽々しく「おかしいよ」と言わないようにしたいですね。



#enjiro #えんじろう
#夢 #思考 #異常 #世界 #精神

この記事が参加している募集

熟成下書き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?