見出し画像

孤独から抜け出す方法

学校で救えない子どもたちは、どこに救いを求めればいいのでしょうか。

これは、そんなB君のエピソードです。

***

彼の父親は自営会社の経営悪化で自殺、母親もその三か月後、父親を追って自殺しました。その後、親戚に引き取られた中学生3年だったB君は、学校では暴力事件、喫煙、飲酒など問題行動が絶えず、少年院にも入りました。

親戚からはこれ以上面倒みることができないと言われ、B君を施設に引き渡しました。それからも、彼は中学卒業後、高校には進学せず、警察沙汰も後を絶たない状態でした。

大人になった彼は、当時の自分を振り返ってこう言います。
「自分には頼れる人が誰もいない。孤独感から何とか自分の存在に気付いてほしくて、つい悪いことをしてしまう。自分は変わりたい。でも何からやっていいかもわからない。焦る気持ちから悪い行動をしてしまう。誰でもいいからたすけてほしかった」

そんな彼に伝えた禅語があります。

「関南北東西活路通」
(関、南北東西活路に通ず)

「関」とは入口、「活路」とは解決道のことで、「問題解決の入り口は四方八方どこにでもあるではないか」という意味です。

悪いことばかりして、周りからも全く受け入れられない彼は、どん底状態でした。もはや、どん底で彼がやれることは、今を変える方法を考えることだけです。そこで、彼は「孤独の中に自分を閉じ込めるのではなく、孤独から自らを解き放つためには何をすればよいか」を考えはじめました。

-これから生きるために、今、何をするべきか、何ができるか。
・勉強であれば高校に行けばよい。
・自立したければ働けばいい。

彼はできる限りシンプルに考えました。
「自分のために生きているのではなく、誰かのために生きれば、独りではなく他者と一緒に生きられる。人の為に生きれば、孤独ではなくなるし、自分の存在に気付いてほしいという甘えもなくなる」ことに、彼は気がつきました。

彼が決断したことは、
・まずは自立したい
・勉強は生活が安定してからでも遅くない
・自分にとっての入り口はどこにあるのか。案外、身近なところに入口があるかもしれない

小さいころから左官屋の父を手伝っていたB君、自立のためのバイトに選んだのが左官工でした。経験者で体力もあったB君は、すぐに即戦力として重宝されました。

次に、彼が目指したのは左官工としての独立です。独立を夢見て、黙々と仕事に打ち込んで三年が経ちました。今は立派な左官の親分的存在にまで成長しました。父から学んだスキルが今では生きる糧となっていると言います。自分が左官工事した家を見ると、自分も人のためになっていると実感するそうです。もはや、彼は全く孤独感はなく、多くの仲間といっしょに自分の仕事にも誇りを持って生きています。そして、彼の様な不遇な経験をしてきた若者たちにチャンスを与えるため、左官の仕事の門戸を開いています。

***

学校が無力とは言いませんが、学校で救えない子どもたちは何処に行けばいいのでしょうか。学校を去って行く子どもたちに先生がやってあげられること、それは学校を追い出すことではなく、次につながる選択肢と道筋を示してあげることです。本来、学校とは子どもが救われるような場所であるべきですし、そうあってほしいと願ってやみません。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?