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【Digression】対応、体系、翻訳

※ここで書くことは、例のごとく、専門的な話でも、アカデミックで精緻な議論の上での話でもない、「個人的な、あまりに個人的な」見解あるいは妄言です。

ダウナー中なので、そもそも書くか迷ったけど、、、

個人的に、わかりやすく、記事を読んで良いなって思ったから感想?がてら手短に

感想的な何か・・・

どっかの記事でも書いたけど、「表現であり、把捉である」、ということを上手く’表現’されていらっしゃるなと感じた、何様の何目線でしょうか・・・

私もこんなふうに文も書けたら良いのに、、、

まあ、それはさておき、なんらかのモデル、モデリングもそうだし、なんというか現れ一般が、本当に、そうだなって思う。

我々の認知現象や様々な形式化(リレーションから圏論まで)、それらは、まさに広くあるいは広義の「対応」づけのバリエーションである。

「翻訳」はまさに或る体系から他の体系への対応づけであり、それは、対応づけられる対応元からしたら表現、対応先からしたら把捉、って言えるように思う、そしてそれを表現し把捉しているものを差し詰め「世界」と呼べそうだ。

これは、世界の「拡張」性と「複製」(反映)性と深く絡みがあるように思う。

このあたりのことはまたどっかでかけたらな、と思いました。

とりあえず、今日も少し気持ちが落ちてて支離滅裂な文章なので、この辺で
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こんな本を思い出した

あんまり適当なことを書いたら、ボーッと書いてんじゃねえよと、怒られるかな・・・

まあ、どこまでが健全な乱用かは難しいですね。


気が向いたら・・・

こちらの記事も読んでいただけたら嬉しいですェ・・・


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