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【Digression】『精神(の) 何某』𝙃𝙤𝙜𝙚𝙝𝙤𝙜𝙚 𝙙𝙚𝙨 𝙂𝙚𝙞𝙨𝙩𝙚𝙨

ここで書くことは、例のごとく、専門的な話でも、アカデミックで精緻な議論の上での話でもない、「個人的な、あまりに個人的な」見解あるいは妄言です。

どう訳される(どのような言葉をあてられる)か?

とある文脈で古く「精神の」と訳される'der Geistes'だが、これはDeutschの男性名詞のder Geistの単数第二格(英語でいう所有格みたいなもの)の形である。

「精神」とか「生命」、「精」とか「魂」とかがあてられることが多いように思う。英語でいうspiritに近いニュアンスと言えるだろう。

実際、上記のとある文脈に関わるところでは 𝙝𝙤𝙜𝙚𝙝𝙤𝙜𝙚 𝙤𝙛 𝙎𝙥𝙞𝙧𝙞𝙩 と英訳されたものが著名であろう。

しかしながら、当該の'des Geistes'、以下「精神(の)」とあてたこの言葉は、ここでは、心理的なもの、mentalityにおけるものとは異なる(というか、そのニュアンスだと意図や話がわかりにくい、汲み取りにくい)。ましてやspiritと言っても、いわゆる「〇〇高い系」とか色々手垢に塗れた意味での「自己啓発」的な意味での「スピリチュアル」なものではもちろんない(批判的な意図、誹謗中傷的な意図、その他一切の悪意はありません)。

どのように扱われるか?

ここでいう「精神」は、百歩譲って、あるいは多めに見て、心理的なもの、「心性」に関わるニュアンスに寄せて考えてみたとしても、「意識」というあたりだが、これもまた、情緒やある一時の表象そのものというより(もちろん容易に切り離せないものではあるが、)認知機構、意識構造としてのそれである。

そして、これは、「個(人)」のレベルにおけるそれ、あるいは、高レイヤに留まらず、それらの基盤となる文化的、慣習的、社会的文脈、あるいは社会的意識(利己、利他の話ではなくて、社会構造、あるいは社会構造の思想的反映)と言われるような低レイヤまでも含む包括的、多義的なものとして捉えられ、表現されるものである。

結局のところ・・・

当時の社会的文脈、社会的要請、時代背景に即して(と言っても少しやりすぎだと思うが)、「精神〔Geist〕」なる言葉(概念)を据えてしまったことによって、現代的には、一見するととっつきにくいものに見えてしまう。

しかしながら、それでも、体系(性)とその体系を構成する各ノードのどちらにも対応しうる言葉(概念)として練り出されたものなのだと思うと、少し感慨深い。







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