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最近の記事

17.知的トレーニングの技術〔完全独習版〕(花村太郎・長沼行太郎)

この探求の過程で、ぼくらが意外な驚きをもって再発見したこと―それは、偉大な知、知的巨匠たちの方法の真髄はみなハンド・クラフトであり、からだをつかう肉体作業である、ということだった。考えることにおける「手」の役割というものに、あらためて気づかされたのだ。つまり、知的方法の本質は、まさしく「手法」と呼ぶにふさわしいものだった。 一週間ぶりの更新になってしまった。 前職の半分くらいの勤務時間になってしまっている。生活時間が増えて、学ぶ時間も増えた。 さて、ぼく自身が影響を受け

    • 16.アイデア大全・問題解決大全・独学大全(読書猿)

      自分を叱咤激励するよりも、そしてやらなかったことを悔やみ自責の念にかられるよりも、行ったことをただ淡々と記録すること。 「勉強法」の最善策を知るためにインターネットの海を漂うと、いずれかのタイミングで「読書猿」に出会うと言われている。 ぼくがこのブログに出会ったのは10年くらい前、ちょうど頭が悪くて困っていた時にふと目にした。出会った当時は、あまりにも長い記事でそっ閉じしてしまっていたのだが、勉強はしなければならなかったのでぽつぽつと記事を眺めたり遠ざかったりを繰り返して

      • 15.上達論―基本を基本から検討する(甲野善紀・方条遼雨)

        世の哲学、思索の多くは「身体」が伴いません。しかし「身体感」なき哲学は、脳の表面を上滑りします。ただの「思考ゲーム」になってしまうのです。 「まず基本を身につけよう」この言葉に呪縛されて、どれだけの才能が芽を吹かずに枯れていったか。 2020年9月26日、今日、なんだか退屈になりそうだったので久しぶりに六本木の文喫へ行った。職場で本を読みそうな人を適当に誘い向かったが、天気予報なんて見ずに出た。地下鉄メトロ六本木を出たら雨がざあざあと降っており、タイミング悪いなあと感じて

        • 14.夜のピクニック(恩田睦)

          あたり前のことなのだが、道はどこまでも続いていて、いつも切れ目なくどこかの場所へ出る。地図には空白も終わりもあるけれど、現実の世界はどれも隙間なく繋がっている。そのあたり前のことを、毎年この歩行祭を経験する度に実感する。 本を読むのが苦手本を手に取るようになった日から、記事を書いている今に至るまで、本を読むのが苦手だっていう意識から逃れられない。一番最初に読んだ本は何だったろう、読んだ記憶がないという理由で思い出すことが出来ない。 本をほんの少し読み始めたきっかけは、英語

        17.知的トレーニングの技術〔完全独習版〕(花村太郎・長沼行太郎)

        • 16.アイデア大全・問題解決大全・独学大全(読書猿)

        • 15.上達論―基本を基本から検討する(甲野善紀・方条遼雨)

        • 14.夜のピクニック(恩田睦)

          13.悪人正機(吉本隆明・糸井重里)

          「本当に困ったんだったら、泥棒して食ってもいいんだぜ」 吉本隆明って人のことよりも、糸井重里を知るほうが早かった。さいきんは、だんだんと妙な雰囲気になってしまったので視界にも入れていないんだけど、『成り上がり』や『海馬』や『お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』からこの本を経て、吉本隆明を知った。 ほとんど同時期に、ぼくはヘーゲルもどうにか読んでいて、といってもコジェーヴの『ヘーゲル読解入門』と金子訳の『精神現象学』と牧野訳の『精神現象学』をどうにか1年か

          13.悪人正機(吉本隆明・糸井重里)

          12.マネジメント―基本と原則(P・F・ドラッカー)

          仕事は均一に設計しなければならないが、労働には多様性を持たせなければならない まず断っておきたいけれど、ドラッカーの著作の隣にカーネギーの『人を動かす』やコリンズの『ビジョナリーカンパニー』やジェニーンの『プロフェッショナルマネージャー』を置くような人間になりたくないと思ってきた、現に置いてはいないが。 今、ドラッカーの著作の隣には『風姿花伝』と『まなざしのデザイン』が置いてある。念のため、念のための断りである。 ドラッカーの定義するマネジメントは以下である ①自らの

          12.マネジメント―基本と原則(P・F・ドラッカー)

          11.人はみな妄想する―ジャック・ラカンと鑑別診断の思想(松本卓也)2/2

          前回までの議論振り返り前回までの議論を簡単に振り返る。 ラカンが行おうとしたのは構造主義のスタティックなフィールドに、実存主義のダイナミズムを導入することであった。また、神経症と精神病を鑑別しすることが―そして神経症と精神病の諸症状を鑑別するためにソシュールやヤコブソンやレヴィストロースらの概念を精神分析の場に導入することでフロイトの鑑別を再構築することによって―正しい治療に繋がると考えていた。しかしラカン自体が難解だと言われるように、ラカン自身の関心や鑑別手法が年代の中でさ

          11.人はみな妄想する―ジャック・ラカンと鑑別診断の思想(松本卓也)2/2

          人はみな妄想する―ジャック・ラカンと鑑別診断の思想(松本卓也)1/2

          読書ノートフロイトはこう考えた。すべては夢であると。そして人はみな狂人であると。言い換えれば、人はみな妄想的なのである。 問題設定なぜいまさらラカンかと問われれば、それはドゥルーズ=ガタリやデリダによる批判は、ラカン自身の理論と実践の核心点を無視されてきたと考えるからである。その核心点とは「神経症と精神病の鑑別診断」である。 まず神経症とは18世紀半ばにウィリアム・カレンによって導入された用語であり、生理学的に説明することのできない神経系の疾患を幅広く指すものであった。18

          人はみな妄想する―ジャック・ラカンと鑑別診断の思想(松本卓也)1/2

          10.意識の形而上学 『大乗起信論』の哲学(井筒俊彦)

          貴重な文化的遺産として我々に伝えられてきた伝統的思想テクストを、いたずらに過去のものとして神棚の上にかざったままにしておかないで、積極的にそれらを現代的視座から、まったく新しく読みなおすこと。切実な現代思想の要請に応じつつ、古典的テクストの示唆する哲学的思惟の可能性を、創造的、かつ未来志向的、に読み解き展開させていくこと。 言い訳タイム(2500字くらい)ほんとうなら、この人の本を記事にして投稿なんてのはしたくない。 長いものに巻かれて無事にやっていけたであろうぼくが、大

          10.意識の形而上学 『大乗起信論』の哲学(井筒俊彦)

          09.いつまでも考える、ひたすら考える(保坂和志)

          何よりもまず読むこと、そして次に簡単に答えを出そうとしないでそれをプールしておくこと。 身を守る考え方・身を滅ぼす考え方世では「答え」を持つ人たちが比較的求められているらしい。逆にいえば、自分の立場や意見をしっかり持っていない人は忌避されている印象を受けるわけだが、社会に身を浸していると突然、当事者的にそれが突撃してきたりする。自分のメンタリティとビジネスを同じ軸で持っていると、一定層はその襲来に摩耗してしまっている印象がある。まあ、過激になっている資本主義のステージで

          09.いつまでも考える、ひたすら考える(保坂和志)

          2020/08/24 朝

          IFTTT天気予報によれば今日は曇り。 最低気温は24℃で最高気温は31℃ 今の会社に勤めてから電車通勤がふつうになった。今までずっと車通勤だったから勝手がちがう。車通勤には渋滞がつきものだけれど、電車通勤には満員がつきものだ。10代のとき京都にいたが、果たしてこのくらいの時間帯で阪急は満員だったろうか?と記憶を探る。京都と東京の人口比が、この差を生み出しているのだろう。 二週間くらいはずっと始発に近い電車で東京まで行っていた、もちろん混雑を避けるためにだ。コロナを危

          2020/08/24 朝

          08.言葉の外へ(保坂和志)

          結末からの逆算でなく、「書ききらないかもしれない」という不確かさとともに、ひたすら前へ前へと書いていくことは、小説を書くという行為において逆算とはまったく次元の違う出来事であり、それはいずれ完成形というものを問題にしなくなり、小説を「書く」という行為に還元するというか、「書く」という行為の中に拡散させる、というか、「書く」行為そのものにさせる。 前口上本を読む人と積読は切っても切り離すことができない。本を買うことと読むことは決してセットにならない、と自分に言い聞かせてい

          08.言葉の外へ(保坂和志)

          07.「こつ」と「スランプ」の研究―身体知の認知科学(諏訪正樹)

          身体知を本気に問うと、生活を問うことになります。 喫茶店どこ座る問題外に出るとき、よく喫茶店に行く。今年の8月になってから、なんとブラックコーヒーを飲めるようになったので、今まで飲めなかったコーヒーが飲めるようになった。京都にいたときは、三条にある「喫茶葦島」へ何度か足を運んでいて、そこでモカG1(もちろんミルク入り)を飲むことが多かった(もう6年も前のことだけれど)。 ※5年前の訪問時の写真 上京してからはいろんな喫茶店に行ったが、そこでの感想は「京都の喫茶店めっちゃ

          07.「こつ」と「スランプ」の研究―身体知の認知科学(諏訪正樹)

          06.アメリカ哲学(鶴見俊輔)

          できることなら失敗なんてしたくない何度唱えたかわからない。失敗はノーコストなんて言うけれど、嘘だろう。失敗することで無惨な姿を晒す精神、これを見てノーコストだなんて思ったことはない。だから、あまり挑戦しなくなったのかもしれない。 「過つは人間の性」こそ、われわれがもっとも熟知している真理である。 プラグマティズムといえばジェイムズじゃなくてパースだろ、というパース復権主義的な考えがすこし昔にあったらしい。内容は兎も角、このパースという人の講演内容を見ると、失敗すること

          06.アメリカ哲学(鶴見俊輔)

          05.いやな気分よ、さようなら

          人生という運ゲーから自分を取り戻したい人生はゲームに例えられることが多い。 ネット上で国内、世界の人と気軽にコミュニケーションを取れるようになってから「あれ、おれの人生ハード過ぎない?」と気付くことが増えたのかもしれない。ぼくは大学に行っていないのでわからないが、地方公立高校から首都圏大学に進学した人はスタート地点が違いすぎるとそこで気付くケースもあるみたいだ。 これはまた最近バズっていた記事。生まれた世界から違いそうだから、特に言及する立場ではない。 いろんな情報

          05.いやな気分よ、さようなら

          04.それでもやはり、桜は綺麗である

          小林秀雄は随分と桜が好きだったようである。晩年の春は毎日のように桜を愛で、講演のなかでも桜を題材としているものもある。この講演では染井吉野を桜の中で最も低級なものと言っているが、一方エッセイでは同じような話をしつつ、それでも桜はやはり綺麗であると謳っている。 日本で花と言えば桜であり、小林秀雄であれそれは同様であるようだ。 美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。 本居宣長も大変な桜好きであったようだし、井筒俊彦は上の引用部を主著の本質論にて解釈して

          04.それでもやはり、桜は綺麗である