04.それでもやはり、桜は綺麗である

小林秀雄は随分と桜が好きだったようである。晩年の春は毎日のように桜を愛で、講演のなかでも桜を題材としているものもある。この講演では染井吉野を桜の中で最も低級なものと言っているが、一方エッセイでは同じような話をしつつ、それでも桜はやはり綺麗であると謳っている。

日本で花と言えば桜であり、小林秀雄であれそれは同様であるようだ。

美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。

本居宣長も大変な桜好きであったようだし、井筒俊彦は上の引用部を主著の本質論にて解釈している。もしかすると、彼もまた桜に魅惑されたのかもしれない。

情緒を愛でる感性が欠けていると自分では思っているが、昔から桜は好きである。理由はハッキリとしていて、単純に桜というものに関わりがあったのだ。染井吉野がクローンだから云々とか、おれは山桜しか認めてないとか、可愛らしいから冬桜が好きだとか、そういうのは全くない。日本人と桜の関りは上古の時代から現代に至るまで続いている。今はすっかり夏だが、なにかと桜の季節には目を通している本があって、それは途轍もない日本人と桜の精神史である。昭和十六年発行ということもあり、気合の必要な本であるが索引は充実していて、桜名、和歌、人物名から引くことができる。本居宣長や兼好法師、後醍醐天皇から引いてもよいし、糸桜(枝垂桜)、千本桜という花から引いてよい、ともかくずっと持っていて良い一冊である。

この時に栽ゑし樹は凡て染井吉野なりしかば、墨田川堤の櫻花は景観は往時と面目を異にするに至りぬ。かくてこの櫻の全盛期は明治三十七八年の頃なりき。然るに明治四十年洪水に遭いて甚しく衰へたりしかど、なほこれを補ひ植うる篤志家もありしが、明治四十三年にふたたび水災に遭ひて、殆ど全滅に等しき害をうけ今なおこれを恢復するを得ざるは惜みても余りありといふべきなり。

染井吉野という種は昔からずいぶん大変な思いをしたようである。今でこそ開花時期の面から桜といえば染井吉野と定着しているが、明治の洪水に呑まれ二度窮地に瀕していたようだ。

大竹多気という工学博士が明治十八年から三十八年ごろにかけ、オーストラリアで里芋を見、イギリスにてあけびを見、菊花は上流階級にて稀に見たようであるが、どうやら桜についてはイギリスのリチャード・レイノルヅの庭園にて花開くもの以外は目にしておらず、そしてこの種は日本から得たものであるゆえ桜というのは日本の国花であると述べる。こうして、桜を日本の国花として示し、政治的な印象を与えるために桜を対外的に寄贈するということになった。
※大竹多気も大正六年の米沢大火で焼失した桜についての歌を残している
「散りしとて なに嘆くべき 春くれば 花の都と 又なるものを」

桜という花が外国においても著しく発展を遂げたケースにアメリカの件がある。明治四十二年ワシントン市で、日本に好意を有する人々が醵金して日本の櫻をポトマック河畔の新設講演に植え、両国の精神を紹介することで交情をより厚くするよう企てた。それを耳にした水野総領事が、醵金でなく寄贈とすれば一層国交を深められると企て、それを東京市に伝えたところ市長の尾崎行雄も賛同し、東京市の名をもって苗木十種二千株をアメリカに寄贈した。だがその頃の日本では苗木の病虫害について研究が不足しており、アメリカの農務省昆虫局の検査を受けた結果病気又は寄生等の結果の事があったため、法規によりすべて焼き払われてしまった。
東京市はこれを遺憾とし直ちに農務省農事試験場に依託することで、桜の苗を周到な注意のもと育てあげた。その種としては、まず染井吉野の苗を一千株、そして白雪、有明、御車返、福禄寿、一葉、関山、普賢象の八重桜、香桜として上香、瀧香、御衣黄の十種二千株、総計三千株を翌年二月にアメリカへ送った。

随分と素早い対応であったにも関わらずアメリカの検査を今回はパスし、めでたくポトマック公園に植えられたとのこと。

ポトマック公園の様子
写真は(https://www.travelwith.jp/roadtraveler/post-8512/)

そしてアメリカからは、大正四年に東京市へアメリカ特有の花木である「ハナミヅキ」の白花、翌年に紅花ハナミヅキ、大正七年にカルミヤが寄贈された。これは日米両国の国花の交換と呼べるものである。
植えられた桜はワシントンの人々に大いに喜ばれたらしく、市内電車では「日本櫻満開ポトマック行」と書かれていたり「ワシントンに来るなら櫻の時に」とも言われていたようである。

櫻花はわが国民の性惰の権化なり。わが櫻と同じき樹は外国になきにあらずといへどもわが国の花より麗はしく咲けるはなしとぞいふ。思へばコクミンの性惰のこの花によりて薫化養生せられたること幾何なるべきか、蓋し測り知るべからざるなり。若しわが国に古より櫻という花なかりしものとせば、わが国史の成迹は果して今日の如くにてあるべきか。敷島の大和心を朝日に匂ふ山櫻にたとふるを国民がげにもとうなづくは何によりて然るか。花は櫻木人は武士といふ諺また何のゆえに永く生命を有しこれるか。ああ櫻は大日本国と離るべからざる花なり。苟くもわが国民の性惰を知らむと欲せば勃窣の理を討尋せむよりも朝日のたださす向つ尾に咲き満てる山櫻花をあかず詠めて端的に真相を領会するに及かざるなり。近時国花というふ語行はれ櫻又わが国花なりと称へらる。されど、その国花といふ語の意義は外国にていへるものよりは遥かに緊密なる意義あるべきを忘れべからず。


次の春は、桜を見に行きたい。





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