14.夜のピクニック(恩田睦)

あたり前のことなのだが、道はどこまでも続いていて、いつも切れ目なくどこかの場所へ出る。地図には空白も終わりもあるけれど、現実の世界はどれも隙間なく繋がっている。そのあたり前のことを、毎年この歩行祭を経験する度に実感する。

本を読むのが苦手

本を手に取るようになった日から、記事を書いている今に至るまで、本を読むのが苦手だっていう意識から逃れられない。一番最初に読んだ本は何だったろう、読んだ記憶がないという理由で思い出すことが出来ない。

本をほんの少し読み始めたきっかけは、英語の学参を使っているとき辺りからで、『英文解釈教室』あたりからじゃないだろうか。そのあと浪人をしていたあたりで中島義道の『哲学の教科書』を読んで、なんとなく厭世的だったぼくはハッとしてしまったのだった。

しかし、これは評論というか、小説とは違うジャンルの話であって、小説に関して言えばもう本当に手を付けていない。一時期ドストエフスキーやナボコフの『ヨーロッパ文学講義』を読んだりしたくらいで、日本人作家の小説で読んだものは思い出すことさえ難しいくらいだ。小説を読むということが、なぜかずっとハードルが高くて難しい。読みたい気持ちはあるけど、手をつけることができない、本棚にあるのにそこに手を出すのが嫌だ、という食わず嫌いをずっとしてきた。ようやく、ここ数年でようやく読めたのは村田紗耶香の『消滅世界』をはじめとして、幻想文学数冊。本を読むのが苦手で、その中でも特に小説を読むのが苦手だ。

80キロの散歩

『夜のピクニック』という舞台では、80キロを踏破するという行事が中心になっている。その中で様々に人間関係へ思い巡らせているわけだが、読みながらぼく自身という過去への重ね合わせもある。

ずっと京都に住んでいたぼくだが、中学生のころに京都嵐山から42キロを深夜から明け方にかけて踏破するというイベントがあった。歩くのが大の苦手なぼくは、猛烈にそのイベントへの参加を拒否したのだが、歩かされてしまった。覚えているのは、いやだいやだと最初言いながらも、だんだんと時間の流れが早くなり、いつの間にか終わってしまっていたことだった。でも、翌日酷い筋肉痛に襲われ、二日間くらい動くことができなかった。
その二倍歩く行事なのだけど、その40キロ歩いていた自分と重ね合わせていると、途中途中のちょっとした思考や雰囲気というものも、決しておかしなものでないように見えた。それでも、40キロほど歩いた時点の休みで、仮にそれが1時間ほどあったとしても起き上がれるものではないのでは…と変な懸念をしてしまう。

そういえば、嵐山(あらしやま)といえば埼玉には嵐山(らんざん)町という市町村があって、埼玉へ遠征に行ったとき驚いたものだった。「あれっ、京都がある…」というふうに。地理的には東村山よりも更に西の比企郡というところに属しているんだけれど、東武東上線が通っていて「森林公園駅」「つきのわ駅」「武蔵嵐山駅」というふうになっている。武蔵嵐山は比較的家も多いほうだが(これより西に行くと小川町という本当の山中になる)、ご飯を食べられるところが少なく、駅から20分以上歩かないとたどり着けないところにようやくヤオコーやモスバーガーやマツモトキヨシなんかが立ち並ぶショッピングセンターに着く。そういえば、地方に行くとこういうスーパー、ファーストフード店、本屋、靴屋などが並ぶ場所を見かけるんだけど、なんていう名前なんだろう?

海沿いの国道を歩く描写から、思うこと

この舞台では、しばらく海沿いの国道を歩く様子が語られる。水平線があらわれ、日没時に明るさを見せる海。その描写をみながらぼんやりと海の事を考えた。

海沿いにある国道なんてごまんとあるが、海に面しながらそこそこ速度を出して運転するのは気持ちがいいものだ。湘南でいえば国道134号、千葉でいえば房総東部の国道128号なんかがそうだ。134号は平塚~茅ヶ崎、藤沢までは防風林があるため海が望める場所は少なく、茅ヶ崎大橋あたりくらいか。これが藤沢を超えて鎌倉や逗子、横須賀へ差し掛かると海が全面に現れてくる。海を見ると速度を出しすぎたり、よそ見しがちになるようで、残念ながら交通事故は頻発しているようだ。
茅ヶ崎の134号あたりは、サーファーの人気スポットになっていて、横にサーフボードを引っかけた自転車やバイクをよく見かける。半裸でサーフボードを抱えて信号を渡る人も多い。ダメらしいんだけど、茅ヶ崎市ではそれは許容されてるようだ。ランナーにも人気で、海の見える海沿いの道をよく走っている姿を見かける。そういう自然が隣にあるほうが、もしかしたらいいのかもしれない。

夜のピクニック

絶妙な距離感の人がいる。その人に対して、何か引け目を感じていると更に遠くに行ってしまうような気がする。「会わなければ居ないのと一緒でしょう?」という榊の言葉がそれを示しているように、自分の記憶や知覚から遠く追いやってしまいそうになる。会いたくない人、話したくない人、関わりたくない人、それは単に利害の関係だからゆえではなくて、ただ自分の思い込みが自分を守る方向に作用した結果、自分ではなく相手にどうにかなってほしい(あるいはどうもならないでほしい、しないでほしい)と願い始める。強く強く引き離そうとするほど、その相手は自分の意識のど真ん中に居座り、引きはがせなくなる。

じゃあ無事にそういう人とギクシャクしながら話すことが出来たとする。ファンタジーが大好きな人は、もしかするとそれを起承転結の物語に位置付けてしまうかもしれない。

この関係を疎ましく思い、憎く思い、やりきれなく思い、関わりたくないと思う瞬間が来ることを二人は知っていた。それでもなお、互いの存在に傷つき、同時に励まされながらも生きていくのであろうことも。

物語の終わりは、終わりである以上それからを描かない。エピローグが生まれるのは、作者が思う以上にその物語の「それから」を知りたいという読者から生まれるのだろう。この、ピクニックの終わりが、ハッピーエンドで昇華されずになんとなく予感される蜿蜒辛苦を予期させることは、この物語が浮かないように保っている綱なのだろう。

小説を読みながら、小説の外を思い出しながら、気持ちの良い時間を過ごしていた。


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