13.悪人正機(吉本隆明・糸井重里)

「本当に困ったんだったら、泥棒して食ってもいいんだぜ」

吉本隆明って人のことよりも、糸井重里を知るほうが早かった。さいきんは、だんだんと妙な雰囲気になってしまったので視界にも入れていないんだけど、『成り上がり』や『海馬』や『お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』からこの本を経て、吉本隆明を知った。

ほとんど同時期に、ぼくはヘーゲルもどうにか読んでいて、といってもコジェーヴの『ヘーゲル読解入門』と金子訳の『精神現象学』と牧野訳の『精神現象学』をどうにか1年かけて読んでいるような感じだった。なんで金子訳なんて持ってたんだという話であるけれど、これはぼくが町田市に住んでいた時に「○原書店」という古書店で働いていたという理由がある。三浦しをんもここで働いていたらしい。町田近辺ではいちばん大きな古書店だったが、去年閉店してしまった。

ぼくの中では大きな体験になっていないのだけど、そこで古本の流通を少し学ぶことができたのはよかったのかもしれない。雑誌や記事では閉店が嘆かれていたけれど、少しだけでも働いていたぼくからしてみれば当然というか、まあそうだよなという感じだった。ぼくがいたときから既に、他のスタッフのひとたちから長く続かないような雰囲気は感じていて、もともと先代の創業者が亡くなってしまい奥さんが社長になっていたのだけど、いかんせん古本やその価値の如何なんてわからない人だったようで、仕入れから値付けまで店長が行っていた。それでも、先代社長の影響力のお陰か、蔵書の幅はかなりのもので1階は絵本や漫画を中心としたフロアで100円カゴ(50円とかもあったけど)に大量の文庫新書が置かれていた。2階は大きく人文系が置かれており、部屋が4つもあり文学・哲学・美術というふうに同フロアの中でも部屋が分かれていた。3階は理工系で、4階が映画や音楽ジャンルであった。今思っても、これほど大きな古書店はBOOK OFFなんかを除けば神保町でも見たことが無く、確かにすごい古書店だったんだなと振り返る。

そういう経験があり金子訳を手に入れていたわけだけど、そのあとすぐくらいに牧野訳が出て、また最近ついにちくま文庫で長谷川訳が出たり(平凡社ライブラリーで樫山訳はあったけど)して、だんだんと手ごろになっていった。金子訳とか牧野訳、1万以上したもんね。

そういうヘーゲルを頑張って読もうとしていた時に、三浦つとむという人を知った。いや、実際はもうちょっと遠回りで『東大教授が教える独学勉強法』が出たときくらい、独学で育ったひとたちを調べているとエリック・ホッファーと三浦つとむが出てきたのだった。そこで三浦つとむが『弁証法はどういう科学か』という新書を出していることがわかり、ヘーゲルに傾倒しつつあったぼくは当然この新書も読むことになったわけだ。三浦つとむという人はヘーゲリアンではなくマルクス主義者であったという当初の誤解はあったが、言葉への興味もあったぼくは『日本語はどういう言語か』を読んだところ、そこの解説が吉本隆明であったのだった。

じっさい、吉本隆明の解説に気付いたのはもっと後だったけれど、その頃には三浦つとむと吉本隆明が雑誌の寄稿からはじまり、仲が良かったらしいということがわかってきた。そこから『言語にとって美とは何か』や『共同幻想論』などの吉本隆明著書に入っていった、という流れになる。

個人的に、吉本隆明は(他の人たちも例外ではないが)対談が輝いている。

**なんで仕事ってするんだろう?
**
ええと、ほら、僕らの世代の人たちで、ちょっと左翼っ気のある人なんかだと、「労働は大切だ」って言うでしょう?そうすると、その極まるところがどうなるかっていうと、清く貧しくっていう思想になっていくわけです。
清貧の思想、遊び心は持たない、ぜいたくもしない―どうしてもそうんるんですよ。
働くのがいいなんて、それはウソだよ

遊んで、二四時間遊んで暮らしてるのが理想なんだけど、そういう原始の環境でやることを、今の都市に置き換えるようなことで、仕事が遊びになってるということはあるかもしれません。
それは、人間に対する考え方っていうものによって違いますから清貧の人は、やっぱり人間、働くからいいんだって言うんでしょうけど、僕は、それはウソだって思ってますね。遊んで暮らして、やりたいことができてっていうのが、いちばんいいんですから。

素質が問題になるのは、一丁前になってから

いつも言うことなんですが、結局、靴屋さんでも作家でも同じで、一〇年やれば一丁前になるんです。だから一〇年やればいいんですよ。それだけでいい。
他に特別やらなきゃならないことなんか、何もないからね。一〇年間やれば、とにかく一丁前だって、もうこれは保証してもいい。一〇〇%モノになるって、言い切ります。
ただし、一〇年やらなかったら、まあ、どんな天才的な人でもダメだって思ったほうがいいってふうにも言えるわけです。九年八カ月じゃダメだって(笑)。
それから毎日やるのが大事なんですね。要するに、この場合は掛け算になるんです。例えば、昨日より今日は二倍巧くなったとしましょうか。で、明日もやると。そうすると二×二の四倍で、その次の日もやったら、また×二で八倍になる。だけど毎日やらずに間を空けると、足し算になっちゃうんです(笑)。

自然体で続けるということ

いいときも悪いときも、波の高いときも低いときも、動揺なく、自然体で続けていくことって、すげえもんだなぁと感じています

読めば読むほど、今スグ効いてくるわけじゃないけど、だんだんと効いてくる。



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