11.人はみな妄想する―ジャック・ラカンと鑑別診断の思想(松本卓也)2/2


前回までの議論振り返り

前回までの議論を簡単に振り返る。
ラカンが行おうとしたのは構造主義のスタティックなフィールドに、実存主義のダイナミズムを導入することであった。また、神経症と精神病を鑑別しすることが―そして神経症と精神病の諸症状を鑑別するためにソシュールやヤコブソンやレヴィストロースらの概念を精神分析の場に導入することでフロイトの鑑別を再構築することによって―正しい治療に繋がると考えていた。しかしラカン自体が難解だと言われるように、ラカン自身の関心や鑑別手法が年代の中でさえ異なっているため通貫的に理解することが困難である(そして通貫的に理解させてくれるような本は「わかった気」にさせることが得意でもある)。そのため、ミレールが行ったラカン思想の解剖手法は、ラカン自身の思想を別年代のラカン自身の思想とぶつけ合うことで問題点や議論点を浮き彫りにするというものであった。三〇年代は妄想の無媒介性、五〇年代は要素現象と意味作用に着目、六〇年代は対象aや大他者やファンタスムなどの諸概念の導入と、ファンタスムの不作動による分離失敗による精神病を論じた、七〇年代はラカン自身の思想を脱構築し相対化するというものであった。そして前回の最後に、五〇年代ラカンが自宅でセミネールを開催し、『精神病』に見られる彼自身の関心の推移について論じ、神経症では<父の名>のシニフィアンを中心にネットワークを形成しているが、精神病では<父の名>が排除されること(縁取り現象)で象徴界にあるシニフィアンが無媒介に主体を襲うということをシュレーバーの引用からも示した。以降、ここから話を進めることにする。

<父の名>の排除

縁取り現象とは<父の名>の欠如した状態であるが、欠如した状態が精神病の発病につながるわけではなく、「父であること」をライフイベントなどの際に呼びかけられたとき、<父の名>の不在が発露し、穴の周囲のシニフィアンが一挙に主体を襲うことで発病する。
簡単だが実験例を見てみよう。ある精神病者は、発病時の体験を振り返って、当時は「結婚するとはどういうことか、はっきりとわかった」と述べた。これはつまり、排除された<父の名>の穴を暗示する家父長制的なシニフィアン、すなわち<父の名>それ自体ではなく、その周囲にある一連のシニフィアンが出現したということである。精神病であれば、<父の名>への回帰を許されるはずの諸々のシニフィアンが、孤立した意味作用になって主体へ襲い掛かるということになる。

エディプスコンプレクスの構造論化

ラカンが『精神病』のセミネールにて論じたのは、最終的にエディプスコンプレクスの中核をなすのは<父の名>であり、それが在るか無いかによって神経症と精神病の鑑別が可能なのではないかということであった。

次点でラカンが取り組んだのは、ソシュールから借りパクしたシニフィアンの概念をもちいて、エディプスコンプレクスを再解釈することであった。これが五〇年代なので、要素現象と意味作用についてという題目である。セミネールでいうと『対象関係』『無意識の形成物』がこれに当たる。

『対象関係』においてラカンは対象欠如の三形態としてフリュストラシオン剥奪去勢を差し出す。それぞれについて整理しておく。

ラカンはエディプスコンプレクスの再解釈をこの時期からはじめたわけだが、彼は精神分析が理論と実践において扱うことのできる最早期の子供の対象関係を象徴界・想像界・現実界という枠組みをもって解明しようとした。ここで現れるのがフロイトから引き継がれた「象徴的な母」と「現実的な乳房」である。母の世話を受ける子供は、乳房という部分対象とかかわりをもいち、その対象によって自分の欲求を満足させている。しかし、子供にとって考えてみれば、自分の前に現前し、快を提供してくれる良い乳房と、その場に不在であるか、もしくは現前していても快を提供してくれない悪い乳房は同じものに見做されないというプラスとマイナスの両極に分かれた現実的な面を持つ。一方で、母は子供の知らない法(睡眠リズム、家事、呼び出しなど)にしたがって、子供の前に現れたり不在になったりする対象として、子供の心的生活の中にプラスマイナスの両方の可能性をもつ象徴的な対象として登場する。ラカンはこの、現実的な対象としての乳房と、象徴的な対象である母をめぐる状況を「フリュストラシオン」と名付ける。そして、この状況を<子供―象徴的な母―現実的な乳房>という三項関係(ここで出る三項といえばパパ―ママ―ボクのエディプス三項しかない)によって構成されていると考えた。次に剥奪とは「想像的父を動作主とする象徴的対象の現実的穴」として定義され、去勢とは「現実的父を動作主とする想像的対処の象徴的負債」と定義される(詳細割愛)。

対象欠如の三形態を定義したのちラカンは『無意識の形成物』において「エディプスの三つの時」を示している。まず第一段階において<母―子供―ファルス>の想像的三角形が組まれる。これは、現前と不在を繰り返す母に対し、子供がその不在の意味を考え始めることから始まる。やがて子供は、母の現前/不在の繰り返しがファルスの渇望であると考えるようになり子供自身がファルスになりたいと望むことによって、対立項が結ばれる。そしてここにフリュストラシオンのパースペクティブを加えることで下の構図が完成する。

ファルス(φ)⇐母(M)⇔子供(E)⇒ファルス(φ)=想像的子供

次に第二段階では、第一段階で想像的ファルスという形で予告的に現れていた父が、母を剥奪する者として明確に登場する。第一段階では子供は母の現前と不在の原因がファルスへの渇望でなく、より上位の統御として父親の存在があるということに気付くようになる。そして第三段階では、子供は父を母にファルスを与えることが出来る者として認め、自分自身が父のようにファルスを持ちたいと父への同一化を果たすことになる。

六〇年代ラカンにおける神経症と精神病の鑑別診断

一九五六年から五八年にかけて、ラカンはエディプスコンプレクスの構造論化を行い、神経症と精神病の理解を刷新した。しかし、五八-五九年のセミネール『欲望とその解釈』から六四年の『精神分析の四基本概念』にかけて、またもやそれまでの理論を改定しはじめる(そういうとこやぞ)。後書は最近、岩波文庫にて出版された。下巻は待たれたり。

六〇年代ラカンはシニフィアンの理論と、<物>・対象a・享楽の理論を並走させるハイブリッドな鑑別診断を組み立てていく。まず五八年の論文「前提的問題」から『欲望とその解釈』の間に起こった<父の名>理論の衰退から見ていくことにする。

「前提的問題」ではエディプスコンプレクスにおける父は、心的システムの構造化における大きな「幹線道路」として機能しており、社会的な<父の名>の存在の有無によって鑑別が行われていた。一歩『欲望とその解釈』では、反エディプス、つまり父が規範的に機能していない事例が取り上げられてゆく、その一つが『ハムレット』である。
『エディプス王』と『ハムレット』は、共に父の死と母の再婚の物語である。『エディプス王』において、登場人物のすべての運命を決定しているのは、父の罪である(ライオスがペプロスからかけられた呪詛、そういえばギリシア悲劇では必ず呪詛が発生する)。そしてエディプス自身はこの父の罪を知らないままでいるにもかかわらず、ペプロスの呪詛が世代を通じて実現していくプロセスと見ることが出来る。一方で『ハムレット』においては、ハムレットの父は、自分の弟クローディアスに裏切られて毒殺されたことを知っており、そのことをハムレットに伝え、復讐を依頼する。そのため、ハムレット自身は知っている主体として現れるわけで、父はエディプスコンプレクスにおける規範的な父でないケースがあるということになる。
そしてラカンは大他者としての<父の名>がシニフィアンの体系には欠けていることを認め、同時にファルスを中心として規範化されていたセクシュアリティもまた正当性を失うことになり、こう述べられることになる。

<父の名>は、神経症と精神病の別を問わず排除されている

象徴的なものやシニフィアンという観点からの鑑別診断論が衰退するにつれ、前景化してくるのが<物>、享楽、対象aである。

<物>について
フロイトは人間の心的装置を、外界から刺激が知覚されることからはじまり、知覚標識→無意識→前意識という三つの記録の層にわたって翻訳され、最終的に意識へと至るさまを示した。しかし、翻訳のプロセスの中で心的装置に記録されるのは量的に表現することができるものだけであって、最初の満足体験のうち一部を決定的に取り逃がしてしまう。その取り逃がされた量的表現以外のものが<物>に当たる。

対象aについて
対象aじたいは、<物>の侵入をパラフレーズした形で現れるため、一度フロイトの<物>の侵入を下記引用から見ておく必要がある。

⒈強迫神経症の場合では、患者は「脅迫表象として蘇ってくる非難〔=罪責感〕に信を置かなくてもよい」すまり、脅迫神経症者は、罪責感を伴った表象を加工して妥協形成物を作り上げることによって、自分に向けられた非難をかわすことができる。この加工が、脅迫神経症における「手洗い」などの脅迫行為を生み出す。
→ここでいう非難が<物>にあたる

⒉パラノイアの場合では、「本人が信を置く回帰する症状に対して、どんな防衛も無効である」。パラノイア患者は、到来した非難(=罪責感)から身をかわすことができないのである。その結果、パラノイア患者は非難を矛盾なく受け入れることができるような妄想を作りあげることを余儀なくされる。例えば、パラノイア患者の妄想の多くは、自分に向けられた非難に対して、「それは私のせいではない、私は他社にやらされたのだ」と反論することから成立している。パラノイア患者はしばしばこの投射のメカニズムをつかって、自分の無垢性を主張する。

では、改めて対象aを定義する。まず言語の世界へと参入する前(幼児期)は「はじめに享楽があった」(新約聖書捩り)あるいは「はじめに<物>があった」とでも表現できるような神話的な段階がある。しかし、この享楽はシニフィアンの導入によって取り返しのつかないような形で喪失してしまう。しかし、人間の生活のなかには、喪失したはずの<物>ないし享楽の痕跡がしばしば顔をのぞかせる。この痕跡が、対象aである(読書ノート1/2を確認すれば抽象的ではあるが同じ内容の記述がある)。

ラカンはどこへ向かうか

当初、ラカンは「未来の関係における自らの歴史の主体による実現」を精神分析の目標にしていた、なんともサルトルっぽい言い回しではある。事実、これは五〇年代ラカンの言葉であるから、恐らくそうなのだろう。

しかしやがてラカンは、精神分析の終結を「治癒不可能性」に見るようになる。ラカンは、それぞれの分析主体が自らの症状の根にある固有の享楽モードとのあいだに適切な距離をとることが出来るようになったとき、精神分析は終結すると考えるようになった。彼はそのことを「自分の症状との同一化」と呼びすぐに「自分の症状とうまくやっていくこと savoir y faire avec son symptôme」と呼びなおした。これを著者の言葉で例えるならば「様々な対象や知識を自由に―しかし彼ら自身のロジックに従いながら―組み合わせ、自分なりの大他者を発明し、そのことによって他者と別の仕方でつながることを可能にする自閉症者の姿である」。

しかし現代では、「こころのバリアフリー」「入院医療中心から地域生活中心へ」等の脱病院化のスローガンのもとに、長期収容の時代は理念としても現実としても―いまださまざまな困難があるものの―徐々に終わりを迎えつつある。そして「精神分裂病」から「統合失調症」への病名変更が象徴するように、精神病はいまでは非定形抗精神病薬と認知行動療法によって「治りうる」疾患になり、かつての不治の病としてのスティグマは軽減されつつある。彼らは、さまざまな困難に打ち勝ち、必要に応じてさまざまな支援を受けながら、自分の能力を存分に伸ばしていくことができる可能性を高めている。もちろん、それ自体は喜ばしいことである。しかしこの論理はしばしば、「己の能力を最大限に発揮せよ!」「享楽せよ!」という、結局のところ資本の論理に回収されざるをえない超自我の命令そのものとして機能してしまっているのではないだろうか。ドゥルーズもまた、そのことに気付いていた。

もしかすると今なお起こっているのは、結局のところフーコーの『監獄の誕生』を現代に再解釈したものでしかないのではないろうかという危惧が出てくる。メンタルヘルスというものは大衆的なものであり、過度な一般化により角はどんどんとそぎ落とされてしまう。普遍を秩序とするメンタルヘルスは、つねにその外部を「異邦人」として悪魔化してしまう。一方で精神分析が行うのは、あくまで個人的な、「狂い」の場を用意することである。狂人の単独性、それは全体性との闘いであるともいえ、臨床の場でのdialogueはそれとして流布すること自体が全体性の確保になってしまい、これもまた資本に回収されうるものに変わってしまう。そしてここで再度ラカンを持ち出せば、彼は最期まで「神経症と精神病を鑑別せよ」と言った。これは症状を記号としか扱わないDSMなどの、病を全体化する思想への対抗であり、ラカン自身は最期まで分析主体の在り方に注目し続けたということが出来る。今なおラカンの思想を受け継ぐ人たちによって、病は資本に回収されずに済んでいるのかもしれない。



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