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弓削尚子『はじめての西洋ジェンダー史』(毎日読書メモ(413))

新聞で紹介されていた弓削尚子『はじめての西洋ジェンダー史 家族史からグローバル・ヒストリーまで』(山川出版社)を読んだ。大学でのジェンダー史入門の講義録を元に、西洋(主にフランス、イギリス、オランダ、ドイツ辺りを中心とした地域)における家族史、家族の構成員それぞれの家族の中での役割、性別とジェンダーによる、世界の歴史の中での役割、そしてグローバル・ヒストリーを取り扱い、世界の連関性の中での西洋のジェンダーについて考察されている。

大昔、大学の史学科で勉強を始めた頃に、史学概論のテキストとして読んだE.H.カー『歴史とは何か』は、最近になって新訳も出て、今も若い人に読まれ続けているということだが、その中の、歴史とは「現在と過去とのあいだの尽きることを知らぬ対話である」というフレーズが、この本の巻頭で引用されている。

過去における無数の「事実」が、「歴史」として立ちあらわれるのは、「現在」を生きる歴史家の個人的な関心に多くくかかっています。

p.1

過去のあらゆる史実や文化史的なアプローチ、それを歴史家がどう切り取るかによって、歴史の見え方は変わってくる。ジェンダー史はフェミニズムの台頭により、クローズアップされてきた分野であるが、ジェンダーは本来男性にも女性にも関係のあることであり、男らしさ、女らしさ、という無意識の観念が人々を縛ってきた、という解釈自体が、現代的な視点であるとも言える。
さまざまな階級の人間がいて、一家総出で死に物狂いで働かないと食べていくことも出来なかった人もいれば(男女差などと言っていられないギリギリの状況)、男女で家の中での役割が全く違った貴族階級、いや、男性は家の中では役割すら持たず、対外的な活動をすることが勤め、となりつつあった歴史的な過程なども丁寧に扱われている。
家庭とは、一家総動員で労働するための集合体であり、労働力として使えない子どもを捨ててしまったりしていた事例も多い。乳児期を生き延びた子どもは、すぐに労働力となり、「子ども」という時代は存在しない、というのが17~18世紀より以前の状況であり、これはフィリップ・アリエスの『《子供》の誕生』で取り扱われたことで有名になった、歴史家のアプローチの仕方によって得られた新たな見地だった。

この本は、男性性、女性性といったことが歴史上でどう取り扱われてきたかの概論で、既に書いたようにヨーロッパの中心地域を主なフィールドとして、主に17世紀以降の動向を色々なアプローチで切り取っている。
第一章 「古き良き大家族」は幻想ー家族史
第二章 女性の歴史が歴史学を変える―女性史
第三章 女らしさ・男らしさは歴史的変数ージェンダー史
第四章 男女の身体はどう捉えられてきたかー身体史
第五章 男はみな強いのかー男性史
第六章 「兵士であること」は「男であること」なのかー「新しい軍事史」
第七章 西洋近代のジェンダーを脱構築するーグローバル・ヒストリー
の七章で、性差、ジェンダー的な視点から、その時代を生きた人の姿にアプローチしている。図版も多く入っているが、性差とか、インターセックスとか、身体的特徴を描いた図など、結構生々しい絵もあってドキドキする。

逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』を読んだ後であることもあり、戦争史の中でも、女性は必ずしも銃後にいるだけではなくなっている、という実感もあるし、小谷田奈月『リリース』を読んで、ジェンダーフリーを突き詰めようとするSF世界は逆に異性愛を異端視するディストピアになる、なんて極論につながったりもするよな、と、歴史解釈とは別の面でジェンダーについて考えたりもする。
ジェンダーについて考えることもなかった時代とは違う時代に生きているから、こうして歴史研究として、男女差が歴史の中でどのように受け止められ、変容してきたかを考える機会も与えられたのだろうな、と思う。
歴史家の問題意識のありかが変わってきた結果として、ジェンダー史もクローズアップされるようになってきたと思うが、史実の中には、まだ見えていない様々な社会的な要素とか史実が存在するのだと思う。5年後、10年後には、今見えていないものがまた新たに見えてくるのかもしれない、と思う。


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