見出し画像

毎日読書メモ(45)『日没』(桐野夏生)

桐野夏生『日没』(岩波書店)を読んだ。岩波書店で桐野夏生、ってなんとなく不思議なイメージだったが、岩波書店の雑誌「文学」、そして「文学」休刊後は「世界」に連載されていた小説だったようである。

太平洋に面しているとおぼしき、茨城県某所の断崖絶壁の上に建つ療養所に収容された作家マッツ夢井。太平洋から昇る日の出が見えそうなイメージなのに、小説は『日没』、白と黒の装丁、読む前からぐんと暗い印象。

総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会(通称ブンリン)からの呼び出しを無視したマッツはより強く出頭を要請する「召喚状」を受け取り、何の思いあたりもないまま療養所に入れられ、理不尽な言いがかりに抵抗しているうちにどんどん「減点」され、減点数×週数だけ、療養所で自己反省をして過ごすことを強要される。スマホの電波も入らず(関東の一角なのに!)療養所の周りは断崖絶壁で脱出の手段もなく、他の収容者とのコンタクトも認められない。ここは一体何なのか。

社会的に問題があると読者が感じた著作について、読者からの糾弾によって、ブンリンが作家を裁く。ヘイトスピーチ法が成立した際に、「ヘイトスピーチだけでなく、あらゆる表現の中に表れる性差別、人種差別なども規制していこうということになったのです。それで、私どもは、まず小説を書いている作家先生にルールを守って貰おう、ということになったのです」(pp.60-61)と療養所長はマッツに説明する。

それは表現の自由への規制ではないか。物語はここから、マッツが収容された先の、何の自由もない生活を克明に描くディストピア小説の様相を強めるが、わたし自身がこの設定から思い起こしたのは、有川浩の『図書館戦争』シリーズである。

武闘女子郁のツンデレラブコメ要素の強い『図書館戦争』だが、戦争の前提となるのは、「図書館の自由に関する宣言」へのメディア良化委員会からの侵害、検閲への抵抗である。ブンリンがやっていることはメディア良化委員会のやっていることと同じではないか(でも、もっと陰湿で隠蔽されていて、規制された作家たちの末路は悲劇的である)。『図書館戦争』を読んでいる時も、表現の自由を侵害されることへの苦しみに胸ふたぐ思いになったものだったが、メディア良化隊という敵は見える化していて、それに抵抗する人が沢山いる、ということが救いの前提となっている。しかし、マッツが対峙するブンリンは底知れぬ、強大な権力を持った敵である。

マッツは抵抗し、その後療養所から出るために恭順な態度をとり、また激高し、自らの怒りに翻弄されながらどんどん立場を悪くしていく。施設の職員や収容者などと限られた条件の中で接触し、情報を収集しようとするが、誰が敵で誰が味方なのか、入手した情報が真実なのかフェイクなのか、何も判断出来ない。転向すれば、出してもらえるのか、それとも目をつけられた時点でもう元の自由な生活には戻れない烙印を押されてしまったのか。戻れたとしても、その外の世界すら、以前の世界そのままではなくなっているということか。

こんな未来があってはならない、という、作者の強い意志を感じつつ、でも現在の生活には本当にその予兆がないと言えるのか、不安を感じずにもいられない。桐野夏生の小説は、人間の暗部を抉り出すような作品が多いが、『日没』は、個々の人間というよりは社会の闇を予見させる小説だった。


#読書 #読書感想文 #桐野夏生 #日没 #岩波書店 #有川浩 #図書館戦争

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?