見出し画像

藤野千夜『団地のふたり』(毎日読書メモ(403))

朝日新聞の書評欄で取り上げられて(評者藤田香織)いて気になっていた、藤野千夜『団地のふたり』(U-NEXT)を読んだ。藤野千夜、5月に『じい散歩』読んで、とても愉しかったのだが(感想ここ)、80代後半から90代前半までのタイムスパンを元気に生きる老人新平の元気さにも感嘆したが、そのような元気さとちょっと違った、奈津子と野枝(ノエチ)の、40年以上にわたる友情の世界もまた心地いいではないか。
築六十年の公団の団地に子ども時代から住んでいる奈津子とノエチ(それぞれ一旦実家を出ていたのに戻ってきた)は保育園時代からの親友。ノエチは両親と同居、奈津子は母親が郷里の親族の介護に行ったままずっと戻ってこないので最近は一人暮らし状態。公共交通機関がきわめて苦手な奈津子は自宅でイラストを描く仕事を細々と続けるのと並行し、自分や団地の知り合いが処分しようと思っている物品を、フリマアプリやオークションで売って、利益を持ち主と折半することがいつの間にか主たる生計手段になっている。ノエチは大学の非常勤講師をしているが、毎日のように奈津子の家に入り浸り、仕事の愚痴を語る。
50歳くらいの二人が、生まれたころからよく知っている近所の人と緩く付き合いながら、近所の喫茶店で美味しいホットケーキを食べたり、たまにノエチのお父さんの車を借りて、ノエチが運転して、奈津子一人ではたどり着けない都心で買い物三昧したり、釣り堀に行って、餌をとられるだけとられて何も収穫なく帰ってきたりする。近所のおばちゃんに網戸の修理を頼まれ、実費とポチ袋に入れた1000円のお駄賃と、その家でデリバリーのピザをご馳走になったら、その後、近所のおばちゃんたちが次々とポチ袋とデリバリーのピザの饗応で奈津子とノエチに網戸の張替えを依頼に来たエピソードで大笑い。
ノエチの兄が家に置いて行ったガラクタを売っていくうちに、フォークギターの楽譜が意外と高く売れることが判明し(最初に高額で落札されたのはブレッド&バターの譜面だった、というのがツボ)、順調に売っていくが、何故かサイモン&ガーファンクルが売れない…小説の最後で思いっきり値下げしてようやく売るが、その間に映画「卒業」の話をえんえんとするふたり。いや、母親と寝ていたダスティン・ホフマンと、結婚式の会場から手に手を取りあって逃げるかね? (わたしも禿同)
奈津子とノエチはわたしより少し年下だが、彼女たちが見てきた光景とか公団の団地のたたずまいとか(わたしは公団の団地には住んだことないが、企業の社宅に何回か住んだので、昭和の団地の雰囲気はよくわかる)、小説の中にびっしりと書き込まれてはいないのだが、その空気感が手に取るようにわかる。
テレビドラマとか見ていて、リアルにコロナ禍の生活を描いているドラマもあれば、コロナのない世界を生きている主人公たちがマスクもせずに暮らしているドラマもあり(そっちの方が多い)、近年発表された小説でも、時代を明示してないにせよコロナについては全く触れていない小説もあれば、この『団地のふたり』のように、コロナ下、気安く人に会いに行ったりしにくい雰囲気を通奏低音のように流している小説もある。小説の中に罹患した人とか亡くなった人とかは出てこないが、全体に年老いた登場人物が多いこともあり、そこはかとない不安感も漂っている。かと思えば、ノエチが買ってきた果実園リーベルのフルーツサンドに二人して心を奪われていたり、淡々とした生活と、オークションで何を売ったかという記述ばかりなのに、読者の心をざわめかせすぎない不思議な起伏にあふれている。
エレベーターもない昔の団地、いつ取り壊されてもおかしくないよね、と言いながら、まるでそこに永遠があるように、50年前から変わっていないかのような生活をする二人、そして近所の人たち。静かに呼吸して、コロナをやり過ごし、老後の不安とかそういうこともあからさまに語ることなく(何しろ周囲は人生の先輩たちだらけだ)、家の中にあったガラクタだかお宝だかわからないものを少しずつ売っている。
これは憧れの生活、というのとはちょっと違うけれど、でも、わたしはこういう風に暮らしたいと思っているのかも、と読んでいて気付く。

表紙を見ていて、阿佐ヶ谷姉妹のドラマを思い出したり。

物語の続きを書いてくれるといいなー、と思った。是非、よろしくお願いします。

#読書 #読書感想文 #藤野千夜 #団地のふたり #U -NEXT #じい散歩 #団地 #フリマアプリ #果実園リーベル #卒業 #ダスティン・ホフマン

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,937件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?