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角幡唯介『極夜行』『極夜行前』(文藝春秋)

今更だけど、前から気になっていた、角幡唯介『極夜行』と『極夜行前』を一気読み。
読んでみて、これまで北極探検のことって何も知らなかった、ということを知った。アーサー・ランサム『長い冬休み』で言及される探検家ナンセンとフラム号がどういう極地探検をしていたのかも、『極夜行前』読んでからWikipedia読んで初めて知ったし、植村直己の本とかも読んだことなかった。その植村直己と北極点到達を競うこととなった、「エスキモーになった日本人」、大島育雄さんのことも知らなかった。その大島さんが住んでいる、グリーンランドの西海岸の村シオラパルクを起点にした、極夜の旅。
角幡唯介という作家の名前を知ったのが『極夜行』だったので、極地探検を専門とする探検家なのかと思っていたら、チベット、ツアンポー峡谷探検で名を成し、ネパールで雪男探索をしていた人で、北極圏への挑戦はその後のことであった。時系列的に、『極夜行前』が当然先にあり、初出も実際の極夜の旅の前だったのだが、『極夜行』が先に単行本化され、大佛次郎賞を受賞して、そのあとで『極夜行前』が単行本化されているので、その順番で読んだ結果として、詳細なネタバレみたいな感じで『極夜行前』を読むこととなった。

シオラパルクは北緯78度線よりほんの少し南にある、先住民居住北限に近い村である。北極点が90度、ということを考えると、え、まだ12度分もあるじゃん、と思ってしまう訳だが、その12度分に人類が住むのは至難である、ということが、2冊の本を読んだだけでしみじみとわかった。
本の中にも作者が踏破した行程の地図が入っているが、北極圏全体を俯瞰しようとGoogle Mapとか見てみると、広大で人の住んでいない土地が広がっていることに改めて驚かされる(メルカトル法なんだろうね、たぶん地図に表されているよりは狭いのだと思うが)。わたしの知っている地球なんてごく限定された場所だけなんだ、と気づかされる。
そして、北極海の凍結、というのも頭では理解していても、気持ちが付いて行かない。海ですよ?! 海流があって波があるあの海が、凍結して、大荷物積んだ犬橇で、グリーンランドからカナダまで渡れるってどういうこと? そもそも、地図が緑と白に塗り分けられていて、白い部分の方が多いのだが、その白いところはいつもいつも凍結してるということなのか? どうも読書にあたっての基礎知識が足りなさすぎる気がする。
現在の北極探検では、GPSを持って行って、衛星携帯電話を持っていて、GPSで自分の位置を確認したり、いざというときに助けを呼んだりすることも可能だ。でもGPS携行の旅はもはや探検とは呼べないだろう、ということで、角幡唯介は、コンパスと六分儀を用いて、自分の居場所を確認しながら進む旅を選ぶ(当初は携帯電話も持たなかったが、妻子が出来て、最低限の連絡手段として、手荷物には入れるようになった)。本の中で、何回も、俺はここで死ぬのかもしれない、という表現が出てくる。生還して文章化されたものを読んでいるので、読者は、そこで作者が死ななかったことを知っているが、死に直面しながら、そこをどう脱出するかを考えることが冒険で探検なんだ、と知る。一方で、旅のクライマックスで、思わぬどんでん返しがあり、「まさにこのノンフィクションとは思えない展開、角幡はノンフィクション書いていると言っているけど、あいつのやっていることは単独行で第三者の目で事実検証できないから結局都合のいいところでフィクション書いているんじゃないの、などとアマゾンのレビューで書かれても仕方のないこの展開は、すべて極夜の意志だったのではないか? そんなふうにさえ思えたのだ」(p.257)というメタ的文章を読んで大笑いしたりもする。

白夜は一日中日が沈まない昼の世界。それに対して極夜は一日中日が出ない闇の世界。実際には夜明け前とか日没直後とかは空がほの明るいことからもわかるように、日が昇らない日でも、地平線/水平線のすぐ下に太陽がある時期(太陽が出なくなった直後やまた太陽が出てくる直前)はうっすらと明るくなる時間帯もあるが、真夜中のような闇が一日中続く時期が、緯度が高ければ高いほど長くなる(北極点と南極点は、春分と秋分を境目に、白夜が半年、極夜が半年続くポイントということになる)。そうした闇の時期を過ごした後、太陽が出てくるのを見た時に、自分は何を思うのか、ということを知りたくて、角幡唯介は何年もかけて極夜の旅の準備をする。
極夜でも、月が出ている時期には月光がそれなりに行く先を照らし、周囲の様子をわからせてくれる。しかし、月が出なくなると、頼りになるのはヘッドランプだけになる。そして、GPSを使わない旅で自分の道筋を定めるには、日光の下で踏破した道について、周囲の地形とか特徴とかを頭に叩き込んでおいたその記憶がすごく重要になる。
そして寒さ。氷点下30度を下回った状態に慣れると、氷点下40度になっても、そんなに違わない、と書いてあって驚愕。寝袋に入っていれば、きちんと防寒が出来る。化学繊維の防寒素材も進化しているが、動物の毛皮で作った衣類が最強である。橇とか衣類とか、人間の手で作ったものの方が、一部故障したり壊れたりしたときは自分で修繕可能なのでそれも重要。すごく寒くて、厚着していても、その厚着のもと激しく活動して衣類の内側に汗をかいたり、寝袋の中で寝汗をかいたりして、それを放置すると繊維の中で汗が凍り、かちかちのダマが出来てしまう。だから湿ったものは徹底的に乾かさなくてはいけない。テントの中で火を焚きまくり、防寒と乾燥。
そして犬。ウヤミリックという名前の犬をシオラパルクで譲ってもらい、極夜行前の準備の時から飼い慣らし、自分が日本に帰っている間は元の飼い主が他の犬と一緒に犬ぞりを引く訓練をさせてくれていた犬。犬は極寒でも、作者が誘ってもテントには入らない。人間とは全く違う強靭な身体を持っているらしい。そして、単独で旅に出た作者にとって唯一の運命共同体として、人間が見つめる死と生のはざかいで、重要な役割を担う。

日本で生まれ育った人が、ヨーロッパとかに滞在すると、冬になって日照時間が短くなってくるだけで鬱っぽい傾向を示す人が結構いるらしい。そのように、太陽が照らすということは生活の中で重要なことのようだが、極夜を行く冒険家は、月が出ている時期は月の出、月の入りの時刻に基づいて行動時間を決め、月の出ない時期にはそれさえとっぱらい、気象等の条件が一番望ましい時間に移動するよう、活動時刻をどんどん変えていく。動物を捕まえたら、皮をはぎ、内臓等自分では食べられない部分は生のまま犬にやり、自分が食べる部分は、寄生虫対策でよく火を通して食べる。身体に十分な脂肪がついていないと寒くて身動きが取れなくなるので、肉だの脂だのをひたすら摂取する。凍傷で顔が真黒くなったりもする(沢木耕太郎『凍』で、凍傷で指を喪う登山家の話を読んだので、凍傷って恐ろしいことだと思っていたが、冒険家にとってはどうってことないことのように書かれていて驚く。そういえば『凍』の山野井泰史さんも指を喪っていくことをショックとか、登山への障害というようには捉えていなかったが)。
本に書いてあることをいちいちあげつらっていると、それだけで一冊の本になってしまうのではないかと思う位、事象も心象も、驚きの連続である。文明の利器を使いまくれば、極夜の中で北極点に行くことだって出来るだろう。そういう意味で、21世紀の世界に、厳密な意味のフロンティアはもはやない。その中で、脱システム、というキーワードをとなえ、人智の範囲内で人間の力を拡張させて見える世界を探す、そんな探検/冒険こそ、自分でそういうことの出来ない読者を強く引き付けるのだろうか。
アーサー・ランサムの本の中の、20世紀前半の中産階級家庭の子どもたちには冒険があった。繰り返し読んだけれど、それはわたしとは別世界の冒険だと思っていた。
21世紀になっても、冒険はあった。世界には想像もつかないような闇夜の世界があり(それは特殊な状況なのではなく、地球が今の自転・公転をするようになってから、ずっと白夜と極夜は繰り返しやってきているのだが)、それに挑むことが冒険になり、本人が冒険前に語っていたように、極夜が明け、太陽を見た時に思うことが旅の目的だ、と言ったその通り、作者はユーレカ的発見をする。そのために、何年もかけて、極夜の旅をシミュレーションして対策を考え、それが本番でどんどん覆され、読者よりも書いている本人が一番唖然としている。本の中の地図を見て作者の動きをイメージし、ページの中で共に驚き、怒り、悲しみ、喜ぶ。
物語ではない非日常、というものに自分がこんなに惹きつけられるとは思わなかった。別に自分が冒険に行ける、と思っている訳ではないが、自分を拡張して、何かを見つけようとすることは、いつでも試してみることの出来ることなのかもしれない。

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読書、ヴァイオリン、オーケストラ、ビーズ、マラソン、ウルトラマラソン、観劇、美術館、ガレット・デ・ロワ、顔ハメ、ちょっとだけ乗り鉄。
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