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毎日読書メモ(109)『彼岸先生』(島田雅彦)

島田雅彦は、わたしの時代の文学ヒーローだ。通っていた大学は違うが、わたしが大学に入学した年には島田雅彦もまだ大学生で、『優しいサヨクのための嬉遊曲』でデビューしたばかりだった。大学生協の書籍部が島田雅彦を講演会に呼んで、残念ながら講義と重なっていたので終わってから駆けつけて、本当に最後の部分だけ、会場の一番後ろでちらっと見て「青二才...」と思ったことを覚えている。断片的な記憶ですみません。大学オケに入っておられたのも親近感。

飛び飛びにしか読んでいないけれど、斜に構えた感じがさまになる、独特の作風。「無限カノン」3部作とかもよかったけれど(『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』)、今まで読んだ島田雅彦のベストワンは、『佳人の奇遇』(講談社、現在は講談社文庫)である。サントリーホールがきらきら輝く、すてきな物語。

そして、今更ながら1992年の作である『彼岸先生』(新潮文庫)を読んだ。泉鏡花賞受賞作。

これは夏目漱石『こころ』へのオマージュなのか? 換骨奪胎? 

大学でロシア語を学んでいる主人公菊人が、知遇を得た小説家の先生に私淑するようになり、先生の周囲にいる人々とも関りを持つようになる。世捨て人みたいな『こころ』の「先生」とは違う。しかし、僕には理解できない先生の様々な言動の裏には何があるんだろう、と、読者もまた疑問を抱くことになる。作者島田雅彦のキャラクターはは菊人と彼岸先生の二人にスプリットされているのか? そして、『こころ』の「私」同様、菊人もまた、彼岸先生の手記を読むこととなる。

冒頭に太字で日記は嘘しか書かない。ここに書かれた私はフィクションである。と書かれた日記。日記の文面がすべて嘘であるとしたら、この日記から読者が受けとめるものは何か? 嘘が先生を殺すのか? 『こころ』は明治天皇の死に殉じた乃木希典の死が通奏低音となっているが、彼岸先生にとっての生命は、嘘に押しつぶされるためのものだったのか?

この小説は1992年3月に刊行されている。携帯電話が普及する前の時代。そしてバブルが終わり、残滓にまみれた時期。ニューヨークはある意味バブル時代の日本にとっての憧れの場所であった。田村正和主演のドラマ「ニューヨーク恋物語」は第1シリーズが1988年秋、第2シリーズが1990年秋に放映されている。『彼岸先生』の中では、具体的な年次は書かれていないが、彼岸先生がニューヨークに滞在したのは(それが嘘でなければ)田村正和より少し前の時代だったのか。

でも、発表されて30年近くたって読んでも、彼岸先生の言動は時代の徒花ではなかったな、と思う。今の世に書かれても、彼岸先生は彼岸先生だったと思う。時は流れても彼岸と此岸は、橋を渡ればつながっている。


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