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毎日読書メモ(231)『たゆたえども沈まず』(原田マハ)

父の本棚に、原田マハの本が沢山あったので、未読のものをぼちぼち読もうかな、と思っている。まずは『たゆたえども沈まず』(幻冬舎、現在は幻冬舎文庫)を読んでみた。フィンセント・ファン・ゴッホ、弟のテオドルス・ファン・ゴッホ、日本人美術商林忠正、林の仕事を手伝う加納重吉(シゲ・カノウ)、4人の物語。そして嗚呼、『リーチ先生』(集英社文庫)の亀乃介同様、加納重吉もまた、架空の人物なんだけれど、物語の中心にいて、物語の狂言回しをする。勿論、これは小説だから、架空の人物が出てきて物語を進めても構わない。一方で、弟テオの援助を受けながら画業に打ち込みつつ破滅の道を進むフィンセント、日本美術、中国美術を機を見るに敏でどんどん売りさばく林忠正、という、ファクトの部分がかなりしっかりしていて、事実に即した部分を心情的に架空の人物が補完するのかな、と思って読み進める。亀乃介も、架空だってのにバーナード・リーチや浜田庄司と一緒に渡英して陶芸に打ち込んでいたし。物語としては面白いけれど、伝記だと思い込んで読んではいけない。文献的に、林とゴッホ兄弟が会ったことがあることは立証されていないようである。
明治初期に東大の前身の開成学校に進み、既に世の風潮が英語とイギリス文化にシフトしつつあった状況下、フランス語の習得に力を入れた忠正と重吉、忠正は学校を卒業しないまま、パリ万国博覧会を足掛かりに日本産品を海外に輸出する会社の通訳ととして渡仏し、数年後、会社の実質的な経営者となり、重吉を呼び寄せる。
フランス人社会の中で舐められまいと、堂々と振る舞う忠正の、ビジネスに対する厳しさがここかしこに出てくる。一方で、彼の心情とか志などは隠されたままである。フランスで仕事をする、という目的と手段が混同しているように見え、美術工芸品への愛があまり見えてこない。忠正に呼ばれてきた重吉もまた美術の素養は特にないまま(フランス語を使って、フランスで生活できればいいのか?)、二人はジャポニズムのブームの仕掛け人の一角を担うようになる。
やることが定まらずふらふらしている兄フィンセントや故郷の両親や弟妹を養うため、パリの有名美術商で働くテオは、美術品を売りさばく営業手腕に長けているが、自分が本当に売りたいと思っているのは、サロンで入選するような古典的な絵画ではなく、近年ブームとなりつつある印象派や更にその先のポスト印象派の絵画である、という葛藤を抱えている。二人は浮世絵にも大きな興味を抱き、それをきっかけに林忠正や重吉とも親しくなる。
フランス社会で少しずつ印象派は地歩を固めていくが、フィンセントの絵はそうした絵画とも似ていない、きわめて独自で、誰も見たこともないような絵だった。テオは兄の才能を強く感じ、支援を惜しまない。フィンセントの絵の独自性を、タンギー爺さんや忠正など、何人かの目のある人が認めてはくれているが、絵は売れない(一説には、テオは機が熟するのを待って、意識的にフィンセントの絵を売らなかったのでは、と言われている。この小説でのテオの言動もそれに即した感じで、フィンセントが描き続けた絵は殆どがテオの家に飾られていたようである)。
ゴッホの画業は1880年から1890年の約10年に集約されており、特に最後の3年間は破滅に向かって突っ走る疾走感と、その悲劇性と反比例するようなまぶしく激しい色使い、筆使いが印象的であり、悲劇性とほとばしる才能を頭の中で思い浮かべながら読む。物語の中心にいるのは重吉とテオで、アルルでゴーギャンと共に暮らして創作していたフィンセントの耳切り事件とか、その後の精神病院での療養などは、テオと重吉の苦悩、という間接的な表現によって表される。そして、遠くからフィンセントの画業を気にかけていた忠正は、この本の表紙にもなっている「星月夜」を見て、「とうとう...…成し遂げたんだな」と言う(この辺フィクションですから)。
物語を読み終えた後、プロローグに戻ると、1962年のオーヴェール=シュル=オワーズで、日本人のゴッホ研究家がテオの息子と会話を交わしたシーンが改めて身に迫る。1962年時点で、日本にあったゴッホは松方コレクションの「ばら」(今でも国立西洋美術館で見られる)だけだったらしい。ヨーロッパに来て、ゴッホの作品を沢山見て、ゆかりの地を訪ねて興奮する日本人と、幼いうちに父テオを亡くし、伯父の画業についてどんな感情を抱いていたか定かではない老人の交錯。
林忠正は、日本美術、中国美術をフランスに紹介した美術商として知られ、また、印象派の画家たちとの交流があったことでも知られているが(でもゴッホと交流があったかは不明)、彼のフランス絵画コレクションは、彼の死後殆ど散逸してしまったらしい(アーティゾン美術館にコローやドラクロワが残っているとのこと)。残念。時代が早すぎたか。
どちらかというと、朽木ゆり子『東洋の至宝を世界に売った美術商: ハウス・オブ・ヤマナカ』(新潮文庫)で、山中商会がアメリカに多くの東洋美術を輸出し売りさばいたのと似たような立ち位置だったのだろうなぁ。

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